第9話 傷心の五郎
彼女を見た瞬間、私は素早く物陰に身を隠す。前回は相手の正体が分からなかったがために修羅場に巻き込まれたが、今日は気付かれる前に隠れることができた。
「ゆ、結衣……?!」
「……五郎?! 何でここにいるのよ!」
五郎を見て、あからさまに動揺する結衣。五郎の方も、先ほどまで悠斗と親しげに話していた姿が記憶に残っているのだろう。今にも泣きそうだった。
「おーおー、五郎君じゃないか。こんなところで何をしているんだい?」
「僕はダンジョンで特訓を……」
「はっはっは。そんな格好でかい? まるで清掃員じゃないか」
「清掃員だからって……強い人もいるんです。ね、彩愛さん……、あれ?」
私の姿を探す五郎は、掃除機を背負ってノズルを右手に持っている。だから清掃員みたいに見えるのは間違いないだろう。だが、悠斗の態度は清掃員を侮蔑するようなものだ。それにつられるように結衣も侮蔑の視線を向ける。
「こいつらムカつくわね……」
あらかじめ五郎の行動を先読みしていた私は、隠れると同時に忍法箱隠れの術を使っている。段ボール箱を被った私のステルス性能は九十九パーセントだ。
「誰か他にもいるのか? ……って誰も居ねえじゃねえか」
「彩愛って……。この間の女じゃないの?!」
「ぶははは、ついには女の幻覚まで見るようになっちまったか。哀れなヤツだな!」
「何よ、やっぱり付き合ってるんじゃないの? 嘘ついたのね、酷い!」
悠斗に嘲笑われ、結衣に責められながらも、彼は私の姿を探して周囲を見回す。当然ながら見つかるはずもなかった。彼らが会話に気をとられている間に、私は段ボール箱を被ったまま、悠斗の後ろまで移動する。
「そういう結衣だって、何で悠斗さんと……」
「そりゃあ、お前が浮気なんかしているから、こいつは俺と付き合うことにしたんだよなぁ? ははははは!」
「そ、そうよ。浮気性の五郎なんかより、私のことを気にかけてくれるわ。それに将来性だって、悠斗の方があるんだから!」
勝ち誇って笑う悠斗。結衣は下唇を噛んで目を伏せながら五郎を責め立てる。二人の様子から、裏でどんなやり取りがあったかは想像がつくが、五郎は……。予想通り口をだらしなく開けて膝から崩れ落ちる彼を放置して、吹き矢を準備する。
「ふっふっふ、そんなに笑いたければ死ぬまで笑うがいいわ」
悠斗の首筋目掛けて吹き矢を放つ。まっすぐに飛んだ矢が彼の首筋に刺さる。刺さった直後は首筋を撫でていたが、すぐにそんな余裕はなくなる。
「ぶはははは、五郎ふははは。貴様ふひひひひ、何をはははは、やりゃはははやがったはははは」
爆笑しながら五郎に掴みかかる悠斗。それは下手なモンスターよりも不気味に見えたのだろう。向かってきた彼を、死に物狂いで回避する。そのまま勢いあまって地面に転がるが、それでも爆笑していた。彼の爆笑のせいで、シリアスな雰囲気が台無しである。
「ぶははははきさまはははは、おぼひぇへへへへひゃがれはははは!」
捨て台詞(たぶん)を残して、悠斗は立ち去る。結衣も、そんな彼を追いかけてダンジョンから出ていってしまった。
二人がいなくなったので、私は段ボール箱をしまうと彼の前に立つ。このまま死んでしまうんじゃないかと思うほど憔悴しきっていた。
「結衣……どうして……」
「まったく、何でそんなにへこんでいるのよ」
私も落ち込む彼の気持ちが分からないわけではない。だけど、いや、だからこそ、彼に冷静な声で話しかけた。
「彩愛さん。いたんだね」
「当然でしょ。結衣って子に見つかって、修羅場になるのはイヤだからね」
「あはは、確かに……。でも、もう手遅れだったよ。結衣は……」
そこまで言って、膝を抱えて俯いた彼を見下ろす。おもむろにほうきを取り出すと、全力で彼の背中に叩きつけた。
「ぎゃっ! な、何をするんだよ!」
「そんなウジウジしてんじゃないわよ。アンタ、手遅れって言う以前に何もしていないでしょ」
「そんなことは……」
言い返そうとする彼をにらむと、すぐに言葉を詰まらせて俯いてしまった。あまりのヘタレっぷりに、さすがの私もため息が漏れるというものだ。
「ふぅぅ、アンタは自分が、自分だけが強くなればいいと思っているでしょ?」
「そんなことは、ないと……」
「それなら、何で一人で特訓なんてしてたの?」
「それは結衣が都合が悪いって……」
言葉通りに素直に捉えるところは、彼の美点でもあるのだろう。だが、今回はそれが裏目に出たわけだ。
「どうせ、アンタのことだから、置いていかれた翌日に特訓とか言い出したんでしょ?」
「え? ええ、そうですけど。あんなことがあったし、少しでも鍛えないと……。それで結衣も一緒に、って思ったんですけど、彼女はやる気がないみたいで……」
「その時に、どうせ根性がないとか思ったんでしょ?」
私の言葉に、黙ってうなずく。それを見て、本当に分かっていないのだと呆れてしまった。
「結果的には、無事に戻って来れたかもしれない。でも、彼女からしてみたら、自分のせいで死んだかもしれないって、ずっと心配していたんだよ?」
「そ、それは……」
「彼女はアンタに無理をして欲しくなかった。なのに翌日には鍛錬だからとダンジョンに誘う。能天気にもほどがあるわ」
「それなら、そうと言ってくれれば……」
彼の鈍さに、思わず手が出そうになるのを抑えるのも限界に近い。
「そうしたら、アンタは自分のせいだって、余計に思いつめるでしょ。だから彼女は自分をあえて悪者に仕立て上げたのよ。それすら気付かずに、自分だけが強くなろうと一人でダンジョンに行ったんじゃないの?」
「それは……。そうですね……」
五郎は私に反論しようとして――全面的に自分の非を認めた。座り込んでうなだれたままの彼の尻を蹴り上げる。
「ぎゃっ、な、何を……」
「分かったら、彼女のところに行ってあげなさい」
「でも、もう僕は……」
「まあ、私にとってはどうでもいい話だからね。でも、後悔したくないなら行ってみることね」
五郎はよろめきながらも立ち上がるとダンジョンから出ていく。その彼の姿を見て、自分の頬が緩むのを感じていた。
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