第2話 救助の代価

「呼吸なし、脈拍なし、心拍停止、瞳孔も開いてるわね……」


 うつぶせに倒れた男を仰向けにして介抱してみたけど、どう考えても完全に死んでいた。まだ応急処置をすれば間に合う可能性は高い。


 だが、私は乙女である。ファーストキスもまだない。異性との付き合い方などとんと見当もつかない。そんな私にとってマウストゥマウスは難易度が高すぎる。


「うーん、お亡くなりになったってことにして、このまま回収しても良いんだけど……」


 探索者の遺体の回収も清掃員の仕事の一つだ。だが、この男は先ほど心停止したばかりだ。助かる可能性も十分にあるのだが……。


「ふう……。私もとことんお人よしね……」


 腕組みをして思案していた私は軽くため息をつく。腰のベルトポーチから緊急時のためと用意していた瓶を取り出す。その中には虹色のどろっとした液体が入っていた。


 ――エリクサー。あらゆる怪我や状態異常を癒し、魔力を回復させる秘薬。一本で三千万円と割高だけど、それを補って余りあるほどのメリットがある。


 瓶のふたを開けて彼の喉の奥に突っ込む。エリクサーが彼のお腹の中に注ぎ込まれ、見る見るうちに傷や火傷が治っていく。ある程度回復したところで、その男は意識を取り戻した。


「――うげぇ、げほっ、げほっ。な、何するんだよ!」


 男は喉奥に突っ込まれたポーション瓶によって激しくむせる。そのせいで顔じゅうにべったりとエリクサーが付着していた。


「うわっ。ちょっと、吐き出さないでよ。もったいない」

「そ、そんなこと言われても……」


 文句を言う私にたじろいでいた彼だが、おもむろに立ち上がると深々と頭を下げた。


「回復してありがとう。僕の名前は山本五郎さんもとごろうだ。ポーションのお金はちゃんと払うよ」

「私の名前は影野彩愛かげのあやめよ。ポーション代は別にいいわ。どうせ払えないだろうし」

「そんなことはない! ポーション代くらい払うだけのお金は持ってる!」


 私が肩をすくめると、彼は見下されたと思ったようだ。手に力が入り、苛立ったような表情になる。


「三千万円……よ」

「えっ?!」


 そんな強気の姿勢も、エリクサーの金額を伝えるまでだった。一気に表情が抜け落ち、身体が小刻みに震える。


「そんな……。冗談だよな? たかがポーションで……」


 魂の抜けたような半笑いを浮かべながら、期待のこもった眼差しで私の顔を見つめる。


「私が使ったのはエリクサー。最高級のポーションよ」


 その期待を打ち砕くように事実を告げると、目を丸くしてうなだれた。しばらくして顔を上げると、怒りに歪んだ表情で詰め寄ってくる。


「そんなことあるわけないだろ? エリクサーなんて、こんな一般人が手を出せるような代物じゃない!」

「確かに通常の回復ポーションよりは割高だけど、それで命を買えると思えば安いものよ。何より……、あなたは一度死んでいるの。エリクサーでなければ間に合わなかったわ」

「……ッ!」


 さすがに自分が死にかけていたことは理解しているらしい。膝を折って言葉を詰まらせていた。


「エリクサーは確かに一本あたりの値段は高い。でも、一滴舐めれば回復ポーションよりも回復するの。それがエリクサーを使っている理由よ」

「どういうことだ!」

「わからない? 戦闘中に悠長にポーションを飲み干している余裕などあるわけがないでしょ」

「そ、それは……!」


 パーティーでダンジョンに来る探索者であれば、フォローし合ってポーションを飲むくらいの余裕はできるだろう。基本的にぼっちの私には、そんな悠長なことを言っている余裕はないのだ。


「ま、そういうわけだから。エリクサーのお金は気にしなくていいよ。期待はしていないし。私はここを片付けたら戻るから、先に帰っていいわ」

「……エリクサーのお金は、必ず払う。時間はかかるかもしれないけど。それから……助けてくれてありがとう」


 ずいぶんと律儀なヤツだと感心する。お礼を言う人は多いけど、たいていはエリクサーの金額を聞くと逃げるからね。


「それじゃあ、僕は行くから」


 彼は軽くお辞儀をして歩き出した――ダンジョンの奥に向かって。


「どっちに向かってんのよ。入口は逆方向じゃない」

「サークレットを取ってこないとだから……」

「それって……上層ボスのゴブリンロードじゃないの。あなたの実力じゃ勝てないわ。まして一人でなんて死にに行くようなものよ」


 彼は首を横に振って、ふたたび歩き始めた。


「パーティーの加入試験なんです。失敗する訳には……」


 そもそもサークレットはCランク昇格のためのアイテムの一つだ。加入試験のために取ってくるような代物ではない。


「ホント、バカばっかりで困るわ……」


 奥に向かって進んでいく彼の後頭部をほうきで殴りつける。その勢いで前につんのめって転倒した。


「な、な、何をするんですか! あなたには関係な……」


 突然、背後から襲われたことについて私に抗議しようとする。しかし私の顔を見ると、尻すぼみになっていった。


「関係ない? そんな訳ないよね。アンタを助けるためにエリクサーまで使ったのよ。何でだかわかる? ゴミを増やされると困るのよ!」

「ゴミって……」

「死んだらただのゴミよ。元がどんなに偉くても、強くても、天才でもね!」


 これまでに多くの元有能探索者というゴミを回収してきた私にとって、彼のように自らゴミになろうとする行為は許しがたいものだ。その結果として私の仕事が増えることなど微塵も考えず。くだらない自己満足のために無謀な行動をするようなヤツなど探索者を今すぐにでも辞めるべきである。


「それじゃあ、どうしたらいいんだよ……」

「パーティーなんて腐るほどあるわ。そんなパーティーにこだわる必要ないじゃない」

「それじゃダメなんだ。上を目指すなら、優秀なパーティーに入らないと……」


 確かに多くのパーティーはCランクやDランクあたりで現実を知って落ち着いてしまう。だから、Bランクより上に行けるパーティーはとても少ない。とはいえ、仲間たちの死や、圧倒的な上位モンスターという現実を目にした彼らを責めるのは筋違いだろう。


 そんな人たちでも無謀に命を散らすような愚か者に比べれば遥かにマシだ、私にとっては……。


「しかたないわね。言っても分からないだろうし、私も付いていくわ。でも、戦わないから戦力として当てにするのは無し。ちょっとでも、そんな素振りを見せたら、ぶん殴って入口まで引きずっていくわ」

「……わかったよ。それじゃあ、よろしく頼む」


 私は彼の後について、迷宮の奥へと進んでいくことにした。


◇◆◇


こちらの作品ですが、大幅改稿して、新たに連載開始いたしました。

ストック分は今後公開していきますが、こちらの作品も読んでいただけますと幸いです。

https://kakuyomu.jp/works/16818093090308992860

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