第11話

 水曜日の昼休み。いつものように俺と直江は屋上で弁当を食べている。

 直江は俺と小雪が勧めたアニメにはまったのか、少々眠そうだ。


「アニメって止まらないね。見だしたら夜更かししちゃったよ」

「学業に影響のない範囲にしろよ」

「わかってる」


 欠伸を噛み殺している直江は、口元に手を当てながら目を瞬かせる。

 昨日、湊と揉めた直江だが、無事に仲直りできたことで安堵しているようだ。


「それで、湊におすすめのアニメは聞けたのか?」

「うっ、そ、それはまだだけど……」

「課題、やる気あるのか?」

「ご、ごめん」


 直江はしゅんとしおらしく項垂れる。


「わかった。やるよ。やらなきゃ始まらないもんね」


 小さくガッツポーズを作りながら、直江は気合を入れる。

 一気に二人のヒロインを育てることになった俺だが、直江は少しずつではあるが成長を見せている。小雪も本人のやる気があるので、あの調子なら人見知りも改善されるだろう。


「それでさ、椋木はそういうのないの?」

「そういうのって何だ?」

「だから、好きな人とかいないのってこと」

「はん」


 俺は鼻で笑った。

 俺に好きな人だと。馬鹿馬鹿しい。俺は二次元に生きている男。三次元の女になんぞ興味はない。


「人の心配している暇があるならもっと課題を与えた方が良さそうだな」

「えっ!? じょ、冗談だって」


 直江はこれ以上課題を増やされてはたまらないと手を横に振る。

 そして、直江は真剣な表情を浮かべると、遠慮気味に言葉を紡ぐ。


「あのさ……物は相談なんだけど、私と付き合ってみない?」

「は?」


 何を言ってるんだこいつは。湊が好きなんじゃなかったのか。俺が困惑していると、直江は慌てて手を横に振り、弁明する。


「いや、マジのやつじゃなくてさ。私って好きな人の前だとあまのじゃくになっちゃうでしょ。だからもし湊と付き合えてもこのままじゃうまくいかない気がするの」

「それは確かにな。お前の場合そのあまのじゃくの性格を治さないことにはな」

「だから、練習っての? やってみたくて。椋木なら、上手くできそうな気がするんだよね」

「そういうことなら、まあ構わんが」

「そうだよね。駄目だよね……え、いいの?」


 直江はきょとんとした表情を浮かべる。


「お前が言い出したんだろうが」

「まさかそんなあっさりオーケーされると思ってなかったから」

「俺はお前を勝ちヒロインに育てると約束した。その為の協力なら惜しまないさ」


 実際、こうやって報酬ももらっていることだしな。

 俺がそう言うと直江は「そっか」と呟くと破顔する。


「じゃあ、そういうことで。今日から私たちは疑似カップルね」

「ただし、湊の前では彼氏の振りはしないからな。そういうのは逆効果だと思うから」

「うん、わかった」


 そんなわけで、俺と直江は付き合う振りをすることになった。


「じゃあさ、さっそくなんだけど、呼び方、変えていい?」

「まあ恋人同士なら呼び方は変えるだろうからな」

「じゃあ、……晴彦」


 恥ずかしそうにそう呟いた直江は、目を泳がせながら俺の名前を呼ぶ。


「じゃあ俺は伊吹と呼ぼう」

「はうっ!?」

「なんだその反応は」

「いきなり名前で呼ばれたら緊張するじゃん」


 自分は名前で呼んでおいて呼ばれたら照れるとか。まだまだ伊吹は甘い。


「てか、そっちはちょっとぐらい照れなよね。可愛くない」

「何を照れる必要がある。ただ名前で呼ぶだけだろ」

「むかつく。いつか絶対照れさせてやる」


 伊吹は唇を尖らせながらそう言う。

 俺を照れさせる暇があるなら湊を照れさせろと言いたい。だが、確かにと俺は頷く。


「俺を照れさせれたら湊にも通用するだろ」

「むかっ。その余裕、腹立つな」


 そう言うと伊吹はお弁当の卵焼きを箸で摘まむと、俺に差し出してくる。


「はい、あーん」

「ぱくっ」

「ええっ、なんの躊躇もなく!?」

「こんなので照れさせよとか百年早い」


 俺は卵焼きを咀嚼しながら飲み込む。意識している相手ならまだしも、なんとも思っていない女子のあーんイベントなんて楽勝だ。


「てか、か、間接キスだし」


 伊吹は頬を赤く染めながらそう言う。


「高校生にもなって間接キスでいちいち赤面しないだろ」

「こいつ、もしかしてすごく強敵なのでは」


 伊吹が俺を見て震える。まあラブコメイベントは一通りマスターしているからな。この程度では動じない。


「うう、私ばっかり照れてなんだか負けた気分」

「もっとラブコメを読んで出直してくるんだな」

「オタク、バカにできない」


 伊吹は溜め息を吐くと水筒からお茶をコップに注ぎ、呷る。

 ふーっと息を吐くと空を見上げる。今日も天気は悪そうだ。午後から雨になると予報でも言っていた。野球部が中止になれば、湊がアニメ研究部のほうに顔を出すかもしれない。


「湊が来たら、今度こそ決めろよ」

「わ、わかってる」


 チャンスはそう何度も訪れるものではない。野球なら一打席に一球あるかないかと言われている。伊吹はもう既に一度チャンスを逃している。今度は掴まないと一生掴めないだろう。


「小雪も頑張ってるからな。お前も負けるなよ」

「そうだよね。笹さんもがんばってるんだもんね」


 伊吹は深呼吸すると、立ち上がる。


「よし、大丈夫。絶対湊に聞き出す」

「その意気だ」


 昼休みが終わるチャイムが鳴り響く。俺と伊吹は後片付けを済ませると、教室に戻った。


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