序章 伯爵令嬢として生きます②

    ***


 最初に感じたのは温度だった。温かなものに包まれている。確かめようと意識すれば、次は手がぴくりと動いた。体がけて消えてしまったようなきよだつ感はなくなっている。

(死んで、いない?)

 今度は瞼を開く。瞼の重みはなくなり、すんなりと目は開いた。しかし視界にあるのは、見慣れたてんじようではない。王宮のしつ室や団長用の私室でもなく、医務室でもない。けれどけんかんはなく、オフホワイトの天井になつかしさを感じる。

(どういうこと? 私はどこにいる?)

 執務室で倒れてから何があったのか。現状をあくすべくエリネは身を起こす。

 だが、現在地を確かめる間はなかった。ノックの音が数度聞こえ、とびらが開く。

「おはよう、お姉様」

 部屋に入ってきたのは、金色のかみを二つに結い、愛らしい顔つきに似合うアプリコットカラーのドレスを着たむすめだ。彼女の大きな緑のひとみがこちらに向いている。

 エリネは、彼女のことを誰よりも一番知っている。

「ライカ!」

 目に入れても痛くないほど可愛かわいい、大好きな妹。頭で考えるよりも先に体が動いた。エリネは持ち前のしゆんびんな動きでベッドを飛び出し、ライカにきつく。

「お姉様? どうしたの?」

「ライカがどうして生きて……まぼろし? いや、夢?」

 幻にしてはおかしい。れればちゃんとライカがいる。そうなれば夢なのか。何度も家族と会う夢を見てきたが、ここまでリアルな夢を見るのは初めてだ。

「私はあの時に死んだ? ではここは死後の世界?」

 エリネはぶつぶつとつぶやく。現状がまったく理解できず、冷静さを欠いていた。

「もう、何を言ってるの」

 うでの中のライカがくすぐったそうに笑う。

「お姉様もこわい夢を見たり、ぼけたりするのね」

「え? 夢を見ているのは今なはず……」

 どうようしているすきに、ライカはエリネの腕からするりとけだしていった。

 ライカの姿を目で追い、部屋を見回し、改めてにんしきする。エリネとライカがいる場所は、マクレディアのしきだ。ここはエリネが使っていた部屋である。

(おかしい。家は焼け落ちたはず。なのに屋敷がある。調度品もあのころと変わらない)

 自分がいるのは、どこだろう。答えが見えず、エリネはその場に立ちくしていた。ふるえる声で、ライカに問う。

「フラインは? ジェフリー、あと騎士団のみなは? 私は執務室にいたのでは──」

 これにライカは目を見開いていたが、その後にくすくすと笑い出した。

「お姉様、本当に変な夢を見たのね。しやべり方も少し変わったみたい。もしかして騎士団に入る夢でも見たのかしら。いつも話していたものね。騎士になりたいって。十八歳になったんだから資格は満たしているし、入団試験を受けてみてもいいと思うけどな」

 ふふ、と楽しそうに話すライカと異なり、エリネはあんぐりと口を開けて固まっていた。

(まるで入団前みたいに話している。それに十八歳って……)

 おそるおそる、手のひらを開いた。多少の肉刺まめはあるものの、れいな手だ。手のこうには大きなきずあとが残っていたはずが、綺麗に消えてしまったかのようにつるんとなめらかだ。

うそだ……いや、そんなことがあるわけ……」

 一歩、踏み出す。ここがエリネの部屋であるならば誕生日にもらった手鏡があったはずだ。キャビネットの扉を開けば、記憶通りに手鏡がある。

 意を決して手鏡をのぞきこむ。

はだが……ぷるぷるつやつやしている!)

 たんれんで負った傷や日焼けもない。はだつやはよく、ぴんと張ったようなかんしよくは昔を思い出す。

 それは、十八歳の頃の、エリネの顔だった。


 エリネが現状を理解するにはずいぶんと時間がかかった。

 日はしずみ、家族で食事を共にする。エリネのとなりにはライカがいて、対面には両親がいた。

(どうしても慣れない……)

 エリネが過ごしていた日々では、ライカも両親もくなっている。マクレディアの屋敷はごうとうが押し入った際に火が放たれ、全て焼け落ちた。二度ともどらぬと思っていた日々が、とつぜんやってきたのだ。さらに十八歳まで若返るおまけつきで。

(夢にしては随分と長すぎる。ご飯の味も、水の冷たさも感じる)

 少しずつ、夢ではないのかもしれないと考えるようになってきた。

(まさか、私は過去に戻った?)

 そう考えれば、しっくり来る。死にぎわ、失った家族に会いたいと願った。だが、それがかなうとはせきすぎて、なかなか信じがたい。

「今日のエリネは、落ち着いているなあ」

 もくしたままのエリネにおどろいた様子で父がぎこちなく笑う。これに母もうなずいた。

「先ほども驚いたのだけど、所作が急に綺麗になっていたのよ。それに口調も……だんからクールではあるけれど、無理に冷たくおうとしているみたいで……」

「昨日とはおおちがいよ。お姉様が急に大人になったみたい」

 ライカや母にてきされても、エリネはあいまいに笑うしかできなかった。

 大人びているのは当たり前である。本当に過去に戻っているのなら、今のエリネは十八歳の見た目だが、中身は三十歳。騎士団長として王宮勤めをし、王宮のもよおしに参加することも多々あった。振る舞いはじゅうぶんにきたえられている。

 そして口調も。騎士団という男所帯に交ざるのだから、女だからとめられぬようにやわらかな言葉を禁じ、女性らしいものは全て遠ざけてきた。

 これらは十八歳のエリネにはなかったものである。両親や妹が驚くのも当然だ。

(未来から戻ってきたと話せばなつとくしてくれるのかもしれないけど、私が知る未来では皆が死ぬ。それを告げたくない)

 理由はわからないが、時が戻り、このようにして再会できたのだ。この先の出来事を話せば、両親や妹はどんな表情をするだろう。想像して、エリネの胸が痛む。

(過去に戻ったのだとしたら、理由があるはず。しようさいがわかるまで、皆には明かせない)

 現在わかっているのは、過去に戻ったかもしれないということ。何が起きているのかわからない以上、かつな言動はひかえるべきだ。

 しかし、過去に戻ったのだとしたら、エリネはやりたいことがあった。

 エリネは改めて、家族の顔を見回す。

(みんな生きている。夢じゃない)

 女の子らしい振る舞いを苦手としたエリネをしからず、好きなことをのびのびとさせてくれたやさしい両親。どんな時も『お姉様』としたって、どんな時もそばにいてくれた、大好きな妹。エリネは未来を知っている。ならば、家族の運命を変えられるのではないか。

(過去に戻ったのだから、皆を守りたい。絶対に失いたくない)

 これまでに何度も、過去に戻りたいと願った。騎士団に入らなければ両親や妹のそばにいられたのにとこうかいをした。

 理由はわからないが過去に戻ったのなら、後悔を晴らせるかもしれない。

(私は騎士にはならない──この人生を、はくしやくれいじようとして生きる!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る