序章 伯爵令嬢として生きます①

 あの、やわらかく温かな場所で微笑ほほえれいじようたちの手は、絹のごとくなめらかなのだろう。

 エリネ・マクレディアはしつ室の窓から、王宮の庭園をながめていた。

 庭園では王女しゆさいによるお茶会が開かれていた。はしにレースをあしらった純白のクロスがかれたテーブル。その上にティーカップやを並べ、王女に招かれた令嬢たちが色とりどりのドレスに身を包んで微笑みあっている。

(……私とは、ちがう世界の人)

 エリネはため息をつき、かくするように手を開く。エリネも女性の身ではあるが、その手のひらはつぶれた肉刺まめあとや傷跡だらけで、さわってみればかたい。令嬢たちのしなやかな手とはおおちがいだ。

 その体を包むものだって異なり、エリネがまとうのはミリタニア団を示すカッパーレッドの制服と、ひらりとしたマント。こしには王よりたまわったけんいている。今日は内務の予定であるから制服を着ているが、日によってはこれがよろいに変わる。長い金のかみも、動きやすいよう高い位置で一つに結っていた。

 この道を選んだのはエリネ自身であり、こうかいはしていない。ミリタニア王国の騎士団長としてしようがいを剣に注ぎ、王と国のために生きる。そのかくらぐことはないものの、美しい令嬢たちを見るたびエリネの胸はざわついた。どうしても視線ががせなくなる。

(あの生き方をしていたら、私の人生は違ったのだろう)

 休みなく続くたんれんの日々も、傷跡だらけの体も、変わっていたのだろうかと想像する。剣とはえんの令嬢として生きたなら、いまごろは庭園で花を眺めてゆうにお茶を飲んでいたかもしれない。そばには母や父がいて、大好きだった妹もとなりにいるはずだ。

 躊躇ためらうようにゆったりとした動きで、エリネは手をばす。庭園の微笑ましい光景に、二度ともどらぬ日々を重ね──しかしガラスにれる直前で、指先は止まった。エリネはり返り、執務室のドアに視線を送る。

「……なんだ。ジェフリーか」

 まもなくして現れた姿にエリネは小さくつぶやいた。やってきたのはエリネと同じくカッパーレッドのあざやかな制服に身を包んだ、ミリタニア騎士団の副団長ことジェフリーである。

 彼はエリネの表情を確かめた後、たんたんと言った。

「そうやって窓辺にいるなんて、また令嬢をにらみつけていたんですか?」

「睨みつけていない」

 エリネとしては睨みつけているつもりなどまったくない。観察しているだけだ。

 否定しながらも再び庭園を見やる。令嬢が一人、こちらを見上げていたが、エリネと目を合わせるなりげるように顔をそむけてしまった。

「あなたにそのつもりがなくとも、令嬢たちはあなたをおそれていますよ。『けんぴようの番犬』が睨んでくるとうわさになっているそうですから」

『堅氷の番犬』とはエリネのことである。エリネの冷静な物言いや振るいが氷のようだとたとえられ、ミリタニア王に忠誠をちかう様子から『堅氷の番犬』と異名がついた。これについて、エリネは好きなように呼べばいいと思っている。面と向かって『堅氷の番犬』としてくる者はわずかだが、どのような呼び名をつけられようが気にしていない。

(今じゃ、親しみを込めてエリネと呼んでくれるのは一人ぐらい)

 短くため息をつく。ミリタニア騎士団の団長となってからはかたきで呼ばれるようになった。今や、親しみを持って名を呼んでくれる者は一人だけだ。彼だけはれ馴れしいほどきよが近い。その姿を思いかべると同時に、ジェフリーが言った。

「フライン殿どのでしたら、北部ガドナ地方にえんせい中ですよ」

 今日の天気を語るかのように、淡々とした物言いだった。彼は真面目まじめすぎるため、表情の変化が少なく、からかっているのかわかりにくい。エリネはかたまゆをあげ、聞き返す。

「何も言ってないだろう。どうしてフラインの名が出てくる」

「執務室に入った時、団長が残念そうにしていたので。フライン殿を待っていたのかと」

 エリネはすぐに否定できなかった。というのも、最近フラインと顔を合わせていないため、そろそろ会いにくる時期と思っていたのだが、現れたのはジェフリーであった。

 大陸のしやとして名をせるミリタニア王国。この国は剣とに守られている。

 剣とは、エリネが率いるミリタニア騎士団だ。カッパーレッドにきんの旗章は、国内最強と語られる騎士団の印である。

 魔は、ミリタニア魔術士団を指す。サファイアブルーに白銀のわしえがかれた旗章のもとに集まるのは魔術のせいえい。天才の終着地と呼ばれる魔術士団において、最も強大な魔力を持つ筆頭魔術士がフライン・レイドルスターだ。

 騎士団長と筆頭魔術士。部下を束ねる身であるエリネとフラインは旧知の仲だ。仲が良いと語っていいのかはなやましいところだが、彼だけは『エリネ』と名を呼んでくる。

「否定しないんですね」

 持ってきた書類を執務机に置きながら、ジェフリーが言う。こわは先ほどと変わらないが、おそらく彼なりに揶揄からかおうとしているのだろう。エリネはこれをいつしように付し、冷静さを保ったまま答える。

「否定するのもめんどうだ。興味がない」

「そんなことを言うと、フライン殿が泣いてしまいますよ」

「あいつが泣くものか。人を苦しめて困らせて、泣いているのを見て楽しむタイプだ」

 エリネはフラインをそのように思っているが、ジェフリーはこうていも否定もしなかった。

(北部ガドナ地方はずいぶん遠いけれど。何の用があるんだろう)

 フラインがいない理由は気になったが、それは戻ってから聞けばよいだろう。

 エリネは窓辺から執務机へと戻ろうとし──異変を感じた。

のどが苦しい。これは──!)

 喉に何かが巻き付き、められているような感覚。しかしジェフリーは執務机の前にいて背を向けている。

ほかの者の気配は感じなかった。これはいったい)

 喉は焼け付くように痛んで、苦しさから声があげられない。

 ジェフリーにしらせるべく足をみ出す。しかし、体の力はエリネの想像以上に失われていた。足元が柔らかに波打つような感覚で立っているのもやっとだ。

「フライン殿が戻ってきたら、団長がさびしそうにしていたと伝えておきましょう。フライン殿も面倒な人ですから」

 気づかぬジェフリーだったが、言い終えて振り返るなり表情を変えた。それはエリネがゆかたおれこむと同時であったため、彼の目が大きく見開かれる。

「団長!? これはいったい──だれか、すぐに来てくれ!」

 ジェフリーは声を張り上げ、ろうにいる者たちにおうえんを求めた。

 エリネはまだ意識があった。しかし、体の内側をねじられているかのように全身が痛い。喉は苦しく、呼吸するのにも体力を使う。

 執務室にエリネとジェフリー以外の者はいなかった。しんにゆう者の気配もない。いったい誰が、どのようにしてエリネをおそったというのか。

「宮医! いや、魔術士だ。フライン殿をび戻せ!」

 ジェフリーがさけんだ。近くにいるはずなのに、その声を遠く感じる。執務室になだれ込んでくる者たちの足音も聞こえなくなってきている。

(ああ。ついに、私は死ぬんだ)

 目を閉じる。何も見えず、何も聞こえず、体が深いところに落ちていくように、重たい。

 これが死という感覚だろうか。焼け付く痛みも氷の冷たさであった床も、すべての温度がわからなくなっていた。五感は切りはなされ、まるで谷底に落ちていくかのようだ。

(死んだら、お母様やお父様……大好きな妹にも、会えるのかもしれない)

 エリネが思い浮かべるのは、人生のちゆうで失ったいとしい人たち。エリネが年を重ねても、おくの中の愛しき者たちは老いることなく、変わらずまぶたの裏にあった。彼らが先に死を経験していると思えば、このじようきように恐れはない。

 意識がうすれていく。痛みも感じず、体というわくみも感じなくなっていた。最後に思い浮かぶのはいまごろ遠征に出ているだろう友人だ。

(フライン……先に死んで、ごめん)

 彼がどんな表情をするのか考えようとし、そこでエリネの意識がえた。


 エリネ・マクレディア。

『堅氷の番人』の異名を持つ、ミリタニア王国初の女性団長。国内に敵なしとしようされるほどのたくえつしたけんにて名を馳せ、異例の若さで騎士団長に任命された。

 彼女を襲った病については現在も不明である。多くの宮医や魔術士が彼女を助けようとし、遠征に出ていた筆頭魔術士までもが王宮に引き返すも間に合わず、エリネ・マクレディアは三十年の生涯を終える。

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2024年11月30日 00:00
2024年12月1日 00:00
2024年12月2日 00:00

死に戻り騎士団長は伯爵令嬢になりたい 松藤かるり/角川ビーンズ文庫 @beans

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