第2話

 私フレデリカ・ローレンツは学院に通わず飛び級で卒業した後、どう研究室に入った。

 魔道具研究室は、国が運営する魔法研究機構の一研究室だ。

 魔法研究機構──大きな三階建ての研究機関で、王宮がある城下町から少しはなれた場所に存在しており、魔法理論、魔法力学、魔法言語学、魔法開発などの分野ごとに研究室が分かれている。

 魔道具研究室は魔道具のばん技術を研究し、それを通して新たな魔道具の発展にこうけんする人材を養成することを目指す場所だ。王立学院を卒業し、試験と面接に合格することで入ることが出来る。

 新たな魔道具の発展に貢献する人材を……と言っても、実際魔道具を研究することは重要視されておらず出世コースからも外れている。世間はいかに魔法のりよくを上げるか、新しい魔法を開発するかを重要視しており、魔道具研究室のかたせまい。場所も研究機構の大きな建物の一階のはしに位置している。

 魔道具は生活ひつじゆ品になっているものの、主に魔力がなく魔法を使えない平民が使う物というイメージが定着している。

 魔道具研究室には私をふくめて十数人がざいせきしているが、私以外は全員男性で平民か、もしくはだんしやくあとぎではない者達だ。研究で功績を上げて上の役職を目指すというより、自分の家業の助けになるためにといった理由で働いている。



 時は数ヵ月前にさかのぼる。

 ある日の午後、そんなにんのない魔道具研究室にデイトン室長に連れられ見慣れぬ人物が入ってきた。

 その人物は背が高く細身で色素がうすい金のかみいろをしており、常にがおのせいかにゆうな印象を受けた。研究員のみなと同じ白衣を身につけてはいるが、明らかに質が高い素材で作られたネイビーのシャツにネクタイをつけていて、彼が高位貴族であることをうかがわせる。

(確か、今日から入室すると言われていた──)

「皆、少し良いでしょうか?」

 ガチガチにきんちようした室長は声を大きくして私達に声をかけると、横の人物に頭を下げ話し始めた。

「今日よりエミール・フィッツジェラルドこうしやく閣下が、ヴィルヘート国より留学でいらっしゃいました」

 しようかいされた彼はニコリと微笑ほほえむと、胸に手を当てていねいにおをした。

「はじめまして。今日からいつしよに研究させていただくエミール・フィッツジェラルドと申します。留学期間は半年間と短いですがよろしくお願いします」

 彼は研究室を軽く見回し、私と視線があったかと思うとすぐに目を逸らした。

 研究室に女性がいることをおどろかれたのだろうか?

 元々魔道具を研究する女性は世界的にも少ないし、魔法研究機構の建物内部で働いている女性もかなり少ない。そもそも働きに出る女性はめずらしいのだ。

「えー。フィッツジェラルド公爵閣下は、自国で魔石への伝導効率を上げる研究をされていたそうで、こちらで採れる魔石との伝導率のちがいを研究したいとのことです」

「あの、公爵閣下はめていただけませんか?」

「はっ! 申し訳ございません!」

 室長が青ざめとつに謝ると、彼は困った様子で軽く手をった。

「いえ、ここでは僕はいつかいの研究員ですから、他の皆さんと一緒の対応をしてもらいたいだけなんです」

 彼は室長にお願いすると研究員達の方を向き、あいきようがこぼれるようなひとなつっこい笑顔を見せた。

「皆さんも僕のことは先ほども言った通り、新人の研究員としてあつかってください」

 研究員達は彼の言葉に対してうなずいたり、軽く頭を下げたり、笑顔で返したりしている。

「では公爵閣下……あっ! 申し訳ございません!」

 室長がペコペコと彼に謝ると、彼は困った顔のままあいまいに微笑んだ。

「ええと、フレデリカ君。こっちに来てください」

 急に室長から手を振って名指しで呼ばれ二人のもとへおもむくと、研究員達も紹介が終わったと各自作業にもどり始める。

「彼女を紹介いたします。とてもゆうしゆうなフレデリカ・ローレンツこうしやくれいじようです。研究のことは彼女に教わってください」

 室長から紹介を受けた私は、彼に向けて決まりきった貴族的な笑顔を作り、カーテシーをしてあいさつをする。

「はじめまして、フレデリカ・ローレンツと申します」

「はじめまして、よろしくお願いします」

 彼は胸に手を当てながら頭を下げると、パァッとかがやかしい笑顔を私に向けた。

「彼女の研究内容は……」

 室長がチラチラと私を見るので、続けて自分の研究内容を紹介する。

「今の私の研究テーマは人工魔石の開発です。その中で魔石のけつしよう構造の研究もしているので、魔石の伝導効率を上げる研究にもお力になれるかと思います」

「人工魔石を?」

「ええ。魔石は天然物で、今は魔素のい場所でしか手に入りませんが、人工で作れるようになったら、物理的な魔道具の限界もえられると思うのです」

「限界を超える……。今の魔道具の限界は、魔石に構造魔法式を書き込める容量によって決まっていますからね。薬品を用いて魔石を連結させることにより容量を増やすことは可能ですが、魔石自体が個体のあいしように左右されるので大量に連結させると安定しない……」

 彼は口元に手を当てて考え込んでいるが、私が言おうとしていることを理解してくれて嬉しくなり、つい早口で言葉を重ねてしまう。

「その通りです! 人工で魔石を作ることが可能になったら、すべて一定の魔素のうで魔石をそろえることが可能になりますよね? 安定性も増しますし、出来ることが格段に増える。そうしたら魔法を超えられるかもしれない」

 さらに話を続けようとしたが、視界の端にいた所在なげな室長に気づいて、話を打ち切った。

「で、ではフレデリカ君、公爵閣下にご案内をお願いします」

「はい。わかりました……。それでは、ここの研究室の案内と、その奥にある実験室、次に魔道具工作室の設備の説明を私からさせていただきます」

 室長はほっとした様子で私に案内をまかせ私達に頭を下げると、げるように研究室からつながっている室長室へ引っ込んだ。

 デイトン室長ははくしやくにある中年の貴族で、室長というかたがきであるものの魔道具にはくわしくなく、魔道具研究室室長というかんしよくに追いやられた立場だ。主に研究予算の割り振りやしんせいなどの事務的な作業をしている。

 室長は気が弱く強く出ることが出来ない性格で、特に身分が上の人物に対してこわがっている節がある。私が魔道具研究室へ入った当時も私の身分ゆえに、今のようなじようおびえた態度だった。

 彼の担当をまかせられたのも、私がこの研究室で一番身分が高いからだろう。

 私は彼に向きあうと、りつけたような貴族的な笑みを再度かべた。

「フィッツジェラルド公爵様ではなく、何とお呼びしたらよろしいでしょうか?」

「では、エミールと」

「エミール様ですね」

「様もなくてかまいません。それから、出来れば敬語もなくていいです。もっと気楽な感じで接してもらいたいと、後でほかの皆さんにもお願いするつもりです」

 彼はうつたえるように私を見るが、流石さすがに呼び捨てには出来ない。

「……エミール様と。私のことはフレデリカと呼んでください」

「フレデリカ……さん」

 彼は私の名前を口にすると、わずかに顔を赤くした。

「はい。私も敬語はなくて構いません。研究員の皆には敬語を止めてもらうようにしています。研究のためにも効率化が最優先なので」

「効率化……」

「ええ。身分差を気にして回りくどい言い方をされたり、づかわれたりすると、何を求めているのか伝わらないことが多いですから。余計な手間と時間が増えるだけで、なものは出来るだけ減らしたいです」

 私が研究室に入った当時は、室長を始め周りの皆も私に対してれものにさわるような扱いで、色々と困る面も多かった。数年かけてじよじよに皆と同じ扱いにしてもらい、今でも周りからきよを取られてはいるが、日々の研究のやり取りでは困らなくなった。

「なるほど。そういう観点から。フレデリカさんらしいですね」

 彼はそう言って、クスリと少し笑った。

「私らしい?」

「いえ、なんとなくそう思っただけで。ここでは貴族的なことは止めましょう。フレデリカさんも、無理して笑わなくてもいいです。つかれるでしょう?」

 私は少しなやんだが、貴族的なみを止めてスンとしたいつもの表情に戻すと、彼は声をはずませた。

「そう、それがいいです。僕に対しては、単なる研究室のこうはいと思ってください。それに、僕への敬語はなくしてもらえませんか?」

「……でも流石にエミール様は公爵というお立場ですし、ねんれいも私より上ですよね?」

 私は今年十八歳だが、彼はとても私より下には見えない。

「確かに僕は二十歳はたちですが、効率的ではないですよね? それに研究室に入ったばっかりの新参者に、身分が一番上のフレデリカさんが敬語を使っていたら、他のみなさんも身分差を気にして、研究に関することを教えていただくのに支障をきたします」

 確かにまず私が彼に対して扱いを改めないと、周りの皆も気安く接することは出来ないだろう。彼は半年しかざいせき出来ないのに、余計なことで時間を無駄にさせたくはない。

「わかっ……た」

 私が敬語を止めると、彼はうれしそうに顔をほころばせた。

「良かったです。出来れば、『エミール様』も止めてほしいです。他の皆さんを呼ぶ時と同じ感じでお願いします」

「他の人と同じように……? では『エミール君』ではどう?」

「はいっ! それでお願いします!」

 彼はニコニコと嬉しそうに喜んでいる。

「エミール君も私に対して、敬語を同じようにめてほしい」

「僕はずっとだれに対してもこうなんですよね。この方が楽というか……。僕のがコレなんです」

「そう……楽ならかまわないけれど」

 私はそれから彼に今いる研究室の説明を行う。ここは研究の他、居室もねており、実験データの整理や検討、議論をわす場所にもなっていること、使用上の色々なルールを教えながら彼の個人デスクへと案内した。

「僕のデスクはフレデリカさんのとなりですか?」

「ええ。無理矢理デスクを増やすために、私のデスクと並べたから少しせまいかもしれない。使いづらかったり、別の場所が良かったりしたらえても……」

「ここがいいですっ! 替えなくてだいじようなので」

 彼は食い気味に言うと、持っていたかばんを何もないまっさらな彼のデスクに置いた。

 続けて研究室の奥にある実験室に移動する。実験室では、せきの構造や強度、特定のかんきようでの変化、薬品を用いて魔石の反応などを調べたり、他にも魔道具に使う新しい材料を作ったり、薬品を合成したり様々なことが出来る。そのための実験装置が置かれていて、とても楽しいところだ。

 安全上のルールや機材の説明をし終わると、研究室を出てろうはさんだ対面に位置する工作室に入った。実験室よりやや広めに造られており、魔道具を製作することが出来る。他にも魔石をけずったり加工したりすることも可能だ。その奥には魔道具を作るための素材保管室がある。

「後は……」

 工作室を出て、廊下を進んだ隣の少し小さめの部屋に入る。

「ここはきゆうけい室。元々魔道具研究室の教授がいる部屋だったけれど、こうれいのため来られなくなり、代わりの人員を探して不在のまま二年。誰も使ってないから私達が勝手に使っている場所。水場もあるからお茶をれることも可能。お湯はこちらの湯をかす魔道具を使って」

 ここに元いた教授は、私に色々な魔道具のを教えてくれた人だ。言葉は少ないがゆうしゆうな人だった。教授がいた時は、私はよくここに入りびたって終業時間を過ぎても教えてもらいたがったため、無理をさせてしまったことがある。それからは反省をして、しっかり時間を守ることにした。

「ありがとうございます」

「わからないことがあったら、その都度私に聞いてもらえれば。建物内にある他の研究室と共有のカフェテリアとか資料室、図書室などの説明は受けた?」

「はい。午前中にハンゼン理事長から色々と案内してもらいました」

 ハンゼン理事長は魔法研究機構のトップで、過去に魔法省長官でもあった人だ。私も何度か会ったことがある。魔法が至上と思っている典型的な貴族で、会うたびに魔法開発研究室の方へとさそわれるので少しへきえきしている。

「そう。じゃあ、大丈夫だね」

 私達は自分のデスクにもどりつつ、他に説明しておいた方が良いものを考えていると、エミール君から私が作った魔道具が見てみたいと要望が上がった。

「大型の物は除くとして……魔力波形測定機は少し時間がかかる……。きんきゆうだつしゆつ用魔道具もためせない」

 何を見せれば、効果が目に見えてわかりやすいだろうか……と悩みつつ自分のデスクの椅子いすに座ると、自分の白衣のポケットに入れていた物が太ももに当たった。

 これがあったと、いつも持ち歩いているメモ用の魔道具をポケットから取り出す。私の横に座った彼にその魔道具をわたすと、彼はまるでこわれ物を持つように大切そうに両手で受け取った。

「簡単な物で申し訳ないけれど、私がアイデアをメモするためにいつも持ち歩いている魔道具」

「金色のかいちゆう時計……? でも文字ばんはなくて、代わりに白い画面になっているんですね」

 エミール君はキラキラとした目で、私が渡した魔道具を色んな方向から観察している。

がいかくは懐中時計を流用しているの」

「なるほど。このリューズ部分に読み取り部分がついているから……。押すと画面に信号が印加、画面はライラル混合物? ああ、そうか流動性があるんですね」

 説明するよりも先に彼が理解してくれたのが嬉しくて、興奮して早口になってしまう。

「そう! 流動性を持たせることにより……っ! いや、使ってみた方が早い! このリューズ部分のボタンを押しながら、頭の中で何でもいいから形を想像してみてほしい。花でも何でも……」

 そこまで言って私はこの魔道具の問題点を思い出し、彼の使用を止めようと手をばしたがすでおそく、彼はボタンを押して魔道具を起動させてしまっていた。

 しかし、彼は無事に魔道具を起動出来たようで、画面にジワジワと映像がかび始める。問題なかったかと伸ばした手をしまい、映像が浮かびきるのを待つ。

 これは『使用者の脳内イメージを画像として表示する魔道具──つうしようメモリーリーダー』。

 ある程度形が完成したところで、ボタンから手をはなすように伝える。

 画面に表示されたのは、長いくろかみで少しつり上がった金色のひとみをした色白の女性。上半身の正面姿で、白衣を身につけ白いシャツにこんいろのリボンをしている。つまり現在の私の姿だった。目の前にいるから、想像しやすかったのだろう。

「これ、すごいじゃないですか。え? どうやって脳内の映像を……?」

 エミール君が興奮しながら目をかがやかせる。どうやら彼は私と同じタイプで、魔道具の仕組みを知りたくなるようだ。

 私は少し得意げにメモリーリーダーの説明をし始めた。

「実は単純な仕組みで出来ていて。魔法を唱える時に脳内にイメージを浮かべて、魔法を発動させるでしょう? 魔道具を作る手順で言えば、イメージを構造魔法式に置きえてほうじんとして記述することで魔法を発動させるわけだけれど、これは単にイメージをそのまま映像で表示させるだけ」

「……単純? ……表示させるだけ?」

 エミール君は目を見開き固まった。少し説明を簡略化しすぎたかもしれない。それからよりくわしい説明を数分かけてすると、彼は一応なつとくしてくれた。

「なんとなくは理解出来ましたけれど……。全然単純ではないじゃないですか」

「え? 子どもでも作れるような技術しか用いていないでしょう?」

「技術の面で言ったらそうかもしれませんが……。どうやったら、そんな発想が……。色んな理論が複合的にからんでいて、ちょっとまだ理解が……。それに、技術革命が起きるような凄いしろものですよ? これを使えば、魔道具は構造魔法式を用いずに、魔法を発動させることが出来るじゃないですか」

 彼は興奮して凄いとめてくれているが、まだこのメモリーリーダーの問題点に気づいていない。

「そんなに単純にはいかないよ。人間の脳内の映像は凄くあやふやなものだし、想像するにも限界がある。同じ物を見て脳内に思い浮かべたとしても、人によってちがう映像になるでしょう?」

「……そうですね」

「現に君が想像したこの私の姿も、現実の姿とは少し違うはず」

 先ほどエミール君に使用してもらい私の姿が表示されたメモリーリーダーを、対比させるように私の顔の横に持ってくる。

 彼はメモリーリーダーに映し出された私と、現実の私を見比べるとほほゆるませた。

「現実の方が美人ですね」

「……ありがとう。そのにんしきも君の目を通して脳内で受け取られるので、私の認識とは多分違う。例えば火を出したいのに水をイメージしたら、ほうだと発動しないだけで済むけれど、魔道具だと壊れる。きよくたんなイメージの差ではなくとも、さいな差でも壊れる可能性がある。それに、なぜ壊れるのかっていう原因も究明しづらい。あやふやな基準だと、開発するのも一苦労」

「でも、毎年世界的にかいさいされている魔法学会で発表していれば……」

「そんな大層なものではないよ。それに、これにはもう一つめいてきな欠点があって。魔法が使えない人には、この魔道具も使えない」

「え……」

「私の専門じゃないから原理はわからないのだけれど、脳内イメージを外に出す能力の個人差によるのかもしれない。イメージを外に出せないから、体内にある魔力にもつなげられず魔法が使えないって説がある。多分同じ原因かもね。自分を基準に作ってしまったから気づけなかった」

 貴族である私やエミール君は魔法が使える。ザックリと貴族は魔法を使える人。平民は魔法が使えない人が多い。なので、魔法を使えることが貴族のアイデンティティでもある。

 先ほど、私はエミール君が魔法を使えない体質であった場合を失念していてあわてたが、使えるようだったので安心した。もし使えない体質だった場合、彼を傷つけていた。その事実に寒気を覚えた。

 貴族の中でもまれに魔法が使えない人が存在する。魔法を重視する貴族社会で、魔法が使えない体質の人の生き辛さはじんじようじゃないだろう。

「魔道具はだれでも使えるからこそ便利。使う人を選ぶのならそれこそ魔法でいい。だから、これは世に出してはいけないし、使い物にもならない」

「でも、これで魔法が使えない人の原因が究明出来るかもしれないじゃないですかっ! 将来的に今魔法が使えない人も使えるように……あ」

 彼もそうならないことに、言っていてちゆうで気づいたのだろう。みなが魔法を使えるようになったら、貴族の優位性がなくなってしまう。そんなことを今の貴族達が許すはずがないし全力でつぶそうとするだろう。魔道具は魔石の容量という物理的な限界が今はまだ存在するから、魔法をえていない。そのため製造が許されているのだ。

「だからはいすべきなのだけれど……。でも、初めて作った物だから捨てられなくて。今でも思いついた図形アイデアをこれで自分用にメモするくらい」

 ちよう気味に語ると、エミール君が残念そうにほかのやり方があるかもと考え込んでいる。自分で使い物にならないと言いつつも大事にしていた物だったので、エミール君がなおも凄いのにとしがる様子に少しなぐさめられた。

 その後は、エミール君からヴィルヘート国の魔道具を見せてもらったり、最新の魔法工学について語りあったりしていると、あっという間に終業のかねが鳴る時間になった。

「……もうこんな時間」

 私はもう少しエミール君としやべりたいと思ったが、初日に彼を残業させないためにも先に帰りたくを始めた。

「帰るんですか?」

「終業の鐘が鳴ったら帰ってだいじよう。エミール君も遅くならないうちに帰って」

「はい。ありがとうございます。では、また明日あした

「……また、明日」

 そういえば……私はこの研究室に来てから、誰かに帰りのあいさつをしたことも、されたこともなかった。不思議と温かい気持ちになり、彼に挨拶を返すと帰路についた。

 帰り道、馬車の中でエミール君との今日の会話を思い返していた。こんなに喋ったのは初めてかもしれない。いつも、他の研究員とは最低限の研究の話しかしない。皆も私のことは身分差があってこわいだろうし、私も人と話すよりは研究のことを一人で考えている方が楽しかったから、話しかけることはなかった。

 彼がクルクルと表情を変えて、喜んだり残念そうにしたりしている様子が犬っぽく感じられて、少し微笑ほほえましい。彼の表情に加え、やわらかそうな髪もそう思わせるのかもしれない。

 昔、私が初めて魔道具の勉強をした時、犬のぬいぐるみをとなりに置いていつしよに本を読んだなと思い出し、なつかしい気持ちになった。

 自分が言ったことを理解してもらい、さらに同じテーマについて語りあえることは、なんて楽しいことなのだろう。早くも明日が待ち遠しい。

「こんな生活がずっと続けばいいのに……」とポツリと一人でつぶやいた。

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