第1話

「フレデリカさん! 大好きです! 僕とけつこんしてください!」

「……え?」


 朝、私が勤めているどう研究室のドアを開けたたんこうはいであるエミール君にひざまずいてこう言われたのだった。始業前ということもあり、すでに来て会話をわしていた十数人の研究員達もいつせいに静まり返り、私達に目を向けた。

 エミール君は、晴れた日の海のような色のひとみかがやかせて私を見上げており、彼の金のかみいろも相まって毛足の長い大型犬を思わせる。

 私はそんな彼の勢いに一歩後ずさったが、すぐに気を取り直した。流石さすがにエミール君を跪かせたままでは気が休まらない。

「……とりあえず、立ち上がって」

「はい!」

 エミール君が立ち上がり、私は安心すると断るために頭を下げた。

「私にこんいんの決定権はないので、父であるローレンツこうしやくに正式に申し入れをしてください」

 そう返事をして彼の横を通り過ぎ、自分のデスクに向かう。

 私は昨日第一王子のアーネスト殿でんとの婚約の通知を、父から知らされたばかりだった。その時に父は新しい婚約者について何も言ってなかったので、私が言えることは何もない。

「あの、待ってください。フレデリカさんは僕との結婚はいやですか?」

 エミール君にそう問いかけられり返ると、彼は喜びにはずんだ表情から一転して、不安げなまなしをかべていた。まるで𠮟しかられた大型犬をほう彿ふつとさせるような表情だ。

「そもそも貴族の婚姻において嫌とかいう個人の感情はこうりよされないから、その質問は無意味では?」

「フレデリカさん個人としての考えをお聞きしたいんです。僕との結婚が嫌かどうかを」

「嫌かどうか……?」

 今までそんなことを考えたことがなかったので、あごに手を当ててしばし考える。婚姻は家と家の結びつきで、利益があるかどうかでしか判断が出来ない。それに元より、人に対して好きとかきらいとかの感情もいだいたことがない。

「それは少し難しい質問……。『結婚は嫌』の定義がハッキリとしないことには。何もお答え出来ません」

 私は再度頭を下げると、自分のデスクにかばんを置いた。彼はあわてて私を追い横に来て、なおも不安げな目で問いかける。

「じゃあ、この気持ちはめいわくかどうかなら答えられますか? 僕はフレデリカさんのことが大好きです」

「迷惑……?」

「好きだと僕に言われることで、気持ち悪いとか感じたりしますか?」

「そんなことは思わないけれど……?」

 彼が言っていることがよく理解出来なくて首をかしげた。

「じゃあ、僕が今後もフレデリカさんに好きと言ってもいいですか?」

「私の許可が必要? 発言することは自由。私に君を制限する権限はないよ」

「そう言ってくださるフレデリカさんが好きです」

 彼は少しあんした様子で笑った。

「……?」

 今まで人から好きだと言われた経験がないので、この場合何て返事をしたらいいのかわからない。社交でめられた時と同じ対応でいいのだろうか? 歴代の家庭教師達の教えを思い出しても、こういう場合の対応は聞いたことがなかった。

「はー……最初に会った時から、フレデリカさんのことが好きで仕方なくて」

「ありがとう……?」

 とりあえず礼を告げると、彼は何がうれしいのかニコニコしている。

「自由にフレデリカさんに好きだと言えるのが嬉しいんです。今まではフレデリカさんが、婚約されていて言えなかったので」

「ん……? 私が婚約破棄されたことを、どうやって知ったの?」

「……フレデリカさんは知らなかったとは思うのですが、この国のほとんどの貴族は既に知っている情報です」

「……そうなの?」

 私が研究室を見回すと、ほかの研究員達は私から目をらした。

「とにかく、これで僕は堂々とフレデリカさんにアプローチが出来るわけです。今まではおもいを押し殺していましたから」

「そう……」

「ええ。かくさずに好きだと言えるだけで嬉しいんです」

「それなら、良かった……?」

「はい。最終的な目標はフレデリカさんの気持ちを手に入れ結婚することですが、当面の目標としては、僕のこの気持ちをわかってもらえるようにがんるところから始めます」

「何を頑張るのかよくわからないけれど、先ほど言った通り君の自由だから。好きにすればいいと思う」

「はいっ!」

 やがて始業のかねが鳴ると彼はそのままとなりのデスクに着席し、何事もなかったかのように作業を始めた。私もいつもと同じように今日の研究にのめりこんでいった。

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