第一章 太陽と月②

 門を抜けた馬車は本棟と呼ばれる大きな建物の前で止まった。ヴィルジールが先に降り、手を差しべてくれる。つうの人間は魔封士にれることを恐ろしいと感じるはずだが、彼は全く気にしていないようで、改めて彼は大魔法使いなのだとなつとくした。

 研究員の一人が私達に近づき、一定のきよを空けて立ち止まる。いつしゆんだけ私と目が合った研究員は、すぐに視線をそらした。

「ヴィルジール様と……シャルロット様。こちらへ」

 ヴィルジールが研究員の後ろについていくので、あわてて追いかける。

 目の前の巨大な建物に向かう二人に慌ててついていく。

 古めかしい巨大な建物にただただあつとうされるばかりで、足がすくんだ。

 正面とびらが開かれ、まず感じたのは鼻の奥を刺激するようなスッとしたにおい。何かの薬品だろうか。

 次に目についたのは高いてんじよう。伝統的なちようこくほどこされ、いくつもぶら下がる魔法灯から冷たい白い光が降り注いでいる。

 改めて正面に顔をもどせば、円形の空間が広がり、来訪者をむかえるように受付がある。その周りをぐるりと囲むようになにかの研究施設が並んでいる。たくさんの大きなほんだなすきに見えかくれするいくつもの扉。ガラスのびんが大量に並ぶ机。その間をいそがしそうに歩き回っている、研究員らしいローブを着た人々。ヴィルジールと違うのは、彼は黒いローブを着ているのに、ここにいる人々はなり色のローブを着ているところか。

 そんな生成色の人々は、私達が扉を開けた瞬間からだろうか、じっとこちらに注目しているのがわかった。私は思わず息がまって、その場から一歩も動けなくなってしまった。

 ああ、どれだけ時間が経っても、私はまだ──過去のおくよみがえりそうになった時、ヴィルジールが私の手を強く引いた。

「わっ……」

 何事かと目を白黒させていると、今度はとつぜん視界が真っ暗になった。

 どうやらヴィルジールが着ていたローブをかぶせてくれたらしい。視界をさえぎられるのはありがたいけど、これは少し……ずかしいし、歩きにくい。

「あの、ヴィルジールさん……」

「大丈夫。行くぞ」

 また大丈夫って……。どうやら彼なりに気をつかってくれているらしいことは伝わってくる。

「あれ何かしら」

 不意に女性の声が耳に入ってきた。明らかに私のことを言っている。ヴィルジールは無視して歩くものだから、ローブがずるりと頭から離れそうになる。私は慌てて彼の隣についた。

「新しい犬だろう」

「ええ? あれが?」

 後ろからくすくすとあざけるような笑い声が聞こえる気がする。すべてが私をこうげきしているように聞こえてひどく心地ごこちが悪い。それが事実かどうかは別として……子どもの頃を思い出して、指先が冷たくなる。

 それにしても、犬とは。どういうなのだろう。確かに大魔法使いと魔封士は常にいつしよにいるけど。

 ヴィルジールの顔を見上げれば、彼はすずしい顔をしており、彼らの声などまるで耳に入っていないようだった。

 研究院の中を進み、人気の無いろうに差し掛かった頃、ようやく私達の前を歩いていた研究員が「こちらになります」と扉を開いた。

 中にはたくさんの書類がぎゅうぎゅうに詰め込まれた本棚がかべ一面に並び、中央の机に男が一人座っていた。

「あ、ヴィルジール様いらっしゃい!」

「ああ。紋章の登録に来た」

「聞いていますよ。さあこちらに」

 男は椅子いすを二きやく引っ張ってくると、机の前に並べて私達に座るよううながした。

 こしを下ろしてちらりと男を見る。にっこりと微笑ほほえまれて、気まずくなってそっと視線をひざの上へと落とした。

「シャルロット様、そんなにきんちようなさらずとも、紋章を書き写すだけですので。ささ、お手をこちらに出してください」

 ヴィルジールが無言で左手を机の上に乗せたので、私もそれにならって右手のこうが見えるように机に出した。太陽と月の紋章が、私達がつがいであることをはっきりと示している。

 紋章を書き写すのは、研究院の管理下に置くという意味合いもあるが、だれが誰のつがいであるかを記録するためでもあるらしい。以前もミレイユ先生に拾われてすぐの頃に、おしきに研究員がやってきて紋章を写していったっけ。

 あれから六年。私の手の甲に刻まれた太陽と月の紋章は、ミレイユ先生と共に過ごしたあかしの花の紋章とは似ても似つかない。私にはり合いで重たく感じてしまう。だが、目の前の男はずいぶんと目をかがやかせていた。

「良い紋章ですね! 太陽と月。お二人共、よくお似合いで」

「早く書き写せ」

「まあそう言わんでくださいよ。こんな時でもなきゃ、大魔法使い様とふう様とお話しする機会なんてそう無いんですから」

 男は口をとがらせながら筆を走らせた。

 そうか、ヴィルジールも紋章が変わっているのか。そんな当たり前のことに気付けないほど、今の私にゆうがないことに気付かされた。以前のつがいの人との紋章は、一体どんなものだったのだろう。

 思わず手に力がこもる。すると男は紙面から顔を上げて、人好きのするみをかべた。

「シャルロット様。私はここで書記をやっておりまして、ここに所属する研究員はみなあくしているつもりです。以前のつがいのミレイユ様の功績も存じておりますよ! 長年この王立魔法研究院にじんりよくしたらしい大魔法使いだったと」

「それは……ありがとうございます」

 私がお礼を言うのも変だが、何も言わないのも変な感じがして、ぺこりとおをした。

 そう、先生はすごい人だった。こうして名も知らぬ人にまで知られているくらいには。

 ふと彼が言った言葉が引っかかって、私は下げていた頭を元に戻した。

「あの……ここに所属している研究員の方々を把握している、とおつしやいましたが」

「ええ。そりゃあもう、一番上から一番下まで、大体は」

「では、アンという方をご存知ないですか」

 アン。私の文通相手で、私のゆいいつの未練だった人。

 手紙のあてさきはいつも『王立魔法研究院のアン』とだけ書けばよかった。それでちゃんと届いて、返事が来ていた。だからアンがここにいることはちがいないのだ。

 あんな遺書みたいな手紙を送ってしまって、アンはおこっただろうか。心配しただろうか。あきれただろうか。なんにせよ、許してもらえなくても、謝りたいと思うのはごうまんだろうか。

 男は一瞬手を止めて、天井を見上げて、またすぐに目線を私達の手の甲に移した。

「アン、ですか。それって本名です?」

「さあ……わかりません」

「外見は?」

「文通しかしていなかったものですから」

 そういえばアンのこと、何も知らない。研究院で何の仕事をしているのかも知らないし、どんな見た目か、何が好きで何がきらいか、ほとんど知らないのだ。

 男はさらさらともんしようを書き写しながら、ふむとうなった。

「アンってあいしようで呼ばれている人なら思い当たるけど、それだけで手紙が届いてたんじゃアンって本名で登録されていそうだよね。ほんとにその人、アンって名前なの? 愛称か本名かはっきりすれば調べられるかも」

「そ、そうですか」

 私はぎくりとかたこわらせた。

 確かに短い名前だとは思っていた。けれどそれがただの愛称という可能性なんて考えたこともなかった。だって、アンはアンだったんだもの。

 すると男は何かを思い出したようにパッと顔を上げた。

「ああ! そういえばヴィルジール様のつがいの方も」

「おい」

 部屋にひびわたる低音に、私と男は思わず身を縮こまらせた。

 声の発せられた方──ヴィルジールの方を見ると、全身でかいですと言わんばかりの重苦しい空気をただよわせて男をにらんでいた。

「早く進めろ」

「ハヒ……すんません……」

「ごめんなさい……」

 私と男が謝罪の声を上げたのはほぼ同時だった。

 やっぱりこの人、こわい。これから毎日顔を合わせなければいけないと思うと死んでしまいそうになる。

 ヴィルジールはバツが悪そうにそっぽを向いて、改めて口を開いた。

「俺のつがいはアニーという名だった。アンではない」

「そうそう。可愛かわいい子でね」

ぐちたたくな」

 男は「はぁい」と子どもっぽく返事をして、今度こそ紋章の登録に集中した。

 それきり誰も言葉を発しないまま、私達はつがいとして改めて研究院にせきを置くことになったのだった。


    ***


 紋章の登録が終わり、私達が暮らすという屋敷につくころには、私はすっかりくたびれていた。これほど一日が長く感じたのは初めてだ。

 研究院のしき内にいくつか点在する屋敷の前で馬車は止まり、一人の使用人が私達をむかえてくれた。

「長旅おつかれ様です。ヴィルジール様」

「ああ」

「そちらの方が?」

「新しいつがいだ」

 シンプルな白いエプロンを着けたメイド服姿の女性が、美しい若木のようなあざやかな茶色いかみらして私に向かって頭を下げた。

「はじめまして。ゾエと申します」

「は、はじめまして! シャルロットと申します」

「ヴィルジール様よりお話はうかがっておりました。何かございましたらなんなりとお申し付けください」

 ミレイユ先生と暮らしていた時は私が使用人みたいな仕事をしていたから、どう接すればいいのかわからず「よろしくお願いします」と頭を下げることしかできなかった。あれ、こういうのって使用人に対して失礼に当たるんだっけ……? これは失敗だったかと、心臓がバクバクとうるさく鳴る。あんなに死んでしまいたかったのにこんなことでなやんで緊張して、自分で自分のことがわからなくなる。

 するとゾエはそっと私の左手を両手で包みこんだ。

「ミレイユ様のこと、残念でした」

「あ……」

「心がえぬうちから慣れない土地に連れてこられ、お疲れでしょう。ヴィルジール様、しきの案内を?」

「いや。先に食事を人数分」

「かしこまりました」

 ゾエは私ににこりと微笑ほほえんで、屋敷の中に入っていった。

「……あの方がここを一人で管理されているのですか?」

「ああ。彼女は簡単な魔法をあつかえるから。年も近いだろう、困ったことがあったらたよるといい」

 ──いいなあ。

 魔法が使えるからと一言で言っても、だれもが魔法使いになれるわけではない。

 魔法とはマナをあやつる力のこと。その力が備わるかはけつえんや育ったかんきようにかかわらず、この世に生をけたしゆんかんさずかるかどうか──つまり運の要素が強い。

 加えて強い魔法使いになるためには、一種の才能と、マナのうつわがどれほどあるか。身体の中にめておけるマナの量は個人で決まっている。何十年と訓練を重ねても強大な力を得ることは難しい。だからこそ、理論上はマナを無限に扱える大魔法使いは重用され、敬われる。

 しかしわずかな魔法の力でも、生活の助けとなることを考えれば百人力だ。

 私はふうという特別な力を持っているけれど、同じ特別な力を持つなら魔法使いになりたかった……。

「シャルロット?」

 ヴィルジールに顔をのぞき込まれて、はっとわれに返る。

 出会ったばかりの彼のことを、私はまだ何も知らない。しかし確実に言えるのは、私の力はこの人のためにあるということだ。

 精一杯の笑みをかべたけど、うまく笑えただろうか。

「……シャルロット」

「は、はい」

 ヴィルジールはじっと私を見て、何か言いたそうに口を開いた。

「──おおーい! ヴィルジール!」

 しかし聞こえてきた声は女性のものだった。とつぜんの大声に飛び上がる。

 声がした方を見れば、そこにはすらりと背の高い女性が、ヴィルジールと同じしつこくのローブを揺らしながらこちらへ歩いてくるのが見えた。

 自信に満ちたサファイアのひとみを輝かせ、肩より短いぎんぱつを耳にかけている。これまで出会った研究院の人達がヴィルジールの前ではしゆくしていたように見える中、彼女は堂々とヴィルジールの前に立った。

「何しに来た?」

 つれないヴィルジールのこわいろに少しおどろいた。感情が読めない人だとは思っていたが、これだけで今まで私には気をつかってくれていたのだと理解できてしまったから。

「相変わらず無愛想だな。君があわを食って出て行ったのを心配していたというのに」

「…………」

 ヴィルジールはまた何か言おうとして、苦虫をつぶしたような表情でだまりこくった。

「ねえ、君がヴィルジールのつがい?」

「うわっ……!」

 突然後ろから話しかけられ、私は再び飛び上がってしまった。

 見ればそこには背の低い少年がいた。

 彼は美しいきんぱつんだ空色の瞳をしており、まるでどこかの貴族の令息のような身なりの良いで立ちをしている。

 誰も彼もうるわしく、れ木のようにくすんだ茶色い髪と黒い目を持つ自分がこの場にいるのはちがっているとさえ思える。

 彼は私よりも年下だろう。そんな少年とも目を合わせることができないなんて、自分が情けない。なけなしの自尊心でなんとか意識を保ちながら、私は彼におをした。

「は、はじめまして。シャルロットと申します」

「はじめまして。僕はルネ。そこの大魔法使いのつがいの魔封士だよ」

 ルネと名乗った少年が無愛想に銀髪の女性を指さした。

 女性はあきれたようにかたをすくめると、私に一礼した。

「つがいが失礼した。私の名前はレティシア・ド・ラ・フォンティーヌ。フォンティーヌはくしやく家次女をやらせてもらっている」

 ゆうな一礼にあわてて礼を返す。貴族の人と話すのは初めてだ。失礼の無いように、ヴィルジールにめいわくがかからないように……。

 そんなことを思っているとレティシアはヴィルジールをひじいた。

「可愛い子で良かったなぁ、ヴィルジール」

 レティシアの一言にヴィルジールがさらに顔をしかめた。おそろしくて思わず後ずさる。

「シャルロット、ヴィルジールの顔は怖いかもだけど悪い人じゃないから安心してね」

「おいルネ」

「そうでしょ?」

 私よりも背の低い少年に何も言い返せずにいるヴィルジールを見ていると、この三人は以前からこんな調子で仲が良いのだろうとわかる。

 よっぽど所在なさそうに見えたのだろう、ルネがふわりと微笑んで私を見上げた。

「研究院へようこそ、シャルロット」

「は──はい。ありがとうございます。これからよろしくお願いしますね」

 今度こそうまく笑えただろうか。ルネは満足げにうなずいた。

「そうだ! せっかくだ、かんげいかいもよおしてはどうだろうか?」

 レティシアが良い思い付きだと言わんばかりに満面のみを浮かべる。「いいねそれ」とルネが同調し、目まぐるしく動くじようきように頭が追いつかない。

「やかましいだろう。迷惑なら迷惑と言っていい」

 二人からきよを取ったヴィルジールがそっと耳打ちしてきた。

「いつもこんな感じなんですか?」

「今日は特別うるさい」

「私、こんなににぎやかなの、初めてです」

いやか?」

「──いいえ」

 存外、つるりとその言葉が出て、自分でも驚いた。ヴィルジールもまた、目を丸くしている。

 こんなに感情が乱高下したことは、この十六年間を思い返しても初めてのことのように思える。

「なら、よかった」

 そう言ってヴィルジールは、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。

 この人は表情が読めなくて、何を考えているのか全然わからなくて、こわいと思っていたけど、ルネが言った通り、きっと悪い人ではないのだ。

 私はこの人のつがいの魔封士だ。この人の力にならなくてはいけない。私にそれができるだろうか。

「あの、ヴィルジールさん」

「さんはいらない」

「……ヴィルジール」

「なんだ」

「私──」

 私、がんりますね。あなたのとなりにいても、ずかしくないように。せっかくあなたに拾ってもらった命なんだから。

 なけなしの勇気をしぼって決意表明をしようとした、その時だった。

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大魔法使いと死にたがりのつがい いちしちいち/角川ビーンズ文庫 @beans

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