第一章 太陽と月①

「シャルロットだな?」

 男の金色の瞳に、情けなく放心する自分の姿が映っていた。

 おたがいの手の甲に浮かび上がる太陽と月の紋章。これの意味することは一つだった。

「あなたは、だいほう使つかいなんですか?」

 男が小さくうなずいたのは私の予想通りだったのに、ちっともなつとく感が無かった。

 王立魔法研究院が大魔法使いに支給する漆黒のローブを着ていたことで察しはついていたが──だとしたら彼にはつがいがいるはずなのに、なんで私とけいやくできたの?

 大魔法使いと魔封士はいつついのみでしかありえない。大魔法使いが複数の魔封士と契約することはできないし、逆もまたしかりだ。

「俺の名前はヴィルジールという」

 あまりに突然の出来事にぼうっとすることしかできないでいる私に気をつかってか、あるいはあきれてか……男はそう名乗った。

「シャルロット、です」

 二度も名前を呼ばれているのに改めて名乗るのはなんとも間抜けだった。

 じようきようあくするために、少しずつ頭が働き始める。

 私は、魔封士の力が暴走する前に自害を試みた。しかしヴィルジールと名乗った目の前の男の──恐らく魔法だろう、それにはばまれて失敗した。そしてなぜか、大魔法使いと魔封士の契約が発動し、私とヴィルジールは一対の『つがい』になった。

 ヴィルジールと、ヴィルジールの手の甲に浮かぶ紋章と、自分の手の甲に浮かぶ紋章を何度も見て、ようやく彼とつがいになったことを実感し始めていた。

「立てるか」

 ヴィルジールが手を差しべるので、私は反射的にその手を取った。彼に支えられながらよろよろと立ち上がり、すぐにその手をはなした。

 生きている実感がいてくると同時に、ひどい恐怖がおそってきた。

 十歳の時にミレイユ先生のつがいになって六年。これまでミレイユ先生以外の人と話したことは全くと言っていいほどなかった。いて挙げるならアンとの文通があるが、あれは果たして人と話したうちに数えて良いものか……。

 アンとの文通は、私があまりにもミレイユ先生以外とのせつしよくけたがったため、心配したミレイユ先生が提案してくれたものだ。他人との接触を恐れる私に、ミレイユ先生は同年代の子どもと会わせようとしたり、研究院から女性の職員を呼んでみたりと、様々な手をくしてくれたが、私は部屋のすみおびえるばかりでてんで先生の期待にこたえられなかった。

 ならば顔を合わせない手段ならどうかと言われて始めたのが、アンとの文通。おかげで多少は他人との接し方を身につけられた……と思う。

 そんな私の身を案じてか、ミレイユ先生は自ら王立魔法研究院にれんらくを取り、研究員達に死後の世話をたのんでいたらしい。今おしきに人が集まっているのはそのせいだ。彼らとも多少は会話したはずだが、先生の命が失われることに取り乱し泣いていたため、何を話したのかまるで思い出せない。

 ようやく我に返ってみれば、男と二人きり。私がここまで人と話さなかった原因がのうをよぎろうとして、必死におくふたをした。

 きよを取ろうと後ずさりする私にヴィルジールは気を悪くしたかと思ったが、表情があまり変わらないのでどう思っているのかわからない。

 ヴィルジールは青い満月のようなつえを支えに足元からなにか拾い上げた。

さやは」

「えっ……ああ、鞘……」

 彼が手にしていたのは私が首をき切るために用意したナイフだった。こしにつけていた鞘を外してヴィルジールに恐る恐るわたすと、彼はナイフを鞘に収め、杖先でちょんとつついた。杖に巻き付いた長いリボンがゆらりとひるがえる。彼の仕草をぼんやりとながめている間に、ヴィルジールの手の中からいつの間にかナイフが消えていた。

「歩きながら説明する。行くぞ」

「は、い」

 説明。なんの説明だろう。わからないことが多すぎる。

 ヴィルジールがみしめて固くなった雪道を避けながら、距離を空けてついていく。さきほどまで死のうとしていたのに、固くなってすべる雪道で転ぶのがいやなんて。なんとまあ情けないと、内心ちようした。

 前を歩くヴィルジールの歩調はゆるやかで、時折こちらをり返ってはまた前を向く。つがいは離れてしまうと制御の力を失ってしまうから、私がちゃんとついて来ているのか確かめたいのだろうと思った。

「ミレイユ先生が以前王立魔法研究院にいたことは知っているか」

「はっ、はい」

 この人、口を開くのにまえれがなさすぎる。ミレイユ先生はいつも話しかける前に短い声けをしてくれていたのだと気付かされた。

 確かにミレイユ先生はこのロザンジュ王国が建てた魔法を研究するせつ、王立魔法研究院にいたと言っていた。私と出会う以前に大魔法使いの力が弱まってしまい、前線で働き続けることが難しくなったから、国の外れに当たるこの地域に居を構えることになったのだと言っていたっけ。

 大魔法使いとふうの力は最初から備わっているわけではない。ある日とつぜんその力が本人の意思に関係なく目覚め、老いと共にじよじよに失われていくのだ。

「俺は以前彼女に魔法を教わっていた。そのえんでシャルロットのことを頼まれていた」

「私のことを……ですか?」

「大魔法使いのお前が、シャルロットのつがいになれと」

 土混じりの雪のように、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 ヴィルジールは大魔法使いで、ミレイユ先生に私のことを頼まれていて。少なくとも、彼が本当に大魔法使いなのだということは、手の甲のそろいの紋章が示している。

「でも、あなたのつがいの魔封士は……?」

 つがいがいなければ力が制御できないのは大魔法使いも魔封士も同じだ。力が見つかれば国によって厳しく取りまられる。私もそれで故郷を追われたんだから。この人だってきっと例外ではないはず。

 ヴィルジールは何も言わなかった。彼の背中しか見えない私は、彼がどんな表情をしているのかわからず、言葉を続けるべきかなやんだ。

「死んだ」

 雪を踏みしめる音にかき消されそうな小さな声でヴィルジールはそう言った。今度はこちらが言葉を失う番だった。

 なにがなんだかわからないが、私と彼は同じく、つがいをくしたらしかった。

 私と彼がつがいの契約を結べたのは、お互いに独りだったから。でも、こんなに都合のいい話があるのだろうか? ミレイユ先生が亡くなったのと同じころに、彼のつがいの魔封士が亡くなるなんて。

 いつの間にか私達は森をけようとしていた。ミレイユ先生のお屋敷には王立魔法研究院から私をむかえに来た人達がいる。私が姿を消したことでさわぎになっているのだろうかと思うと足が重い。

だいじようか」

 ヴィルジールがかたしにこちらを振り向く。

 気付いたら私は立ち止まっていた。

 大丈夫か、って何。体調が? それともさっき死のうとしたこと? あなたとつがいになったこと? 先生が死んだこと? 大丈夫って何。

 頭の中にぶわっと言葉がかんだけれど、どれもこれも口に出せないまま。

 するとヴィルジールは立ち止まって、身体の正面を私に向けた。私と同じくらいの背だったミレイユ先生よりずっと背が高い。どんよりとしたくもり空にり合いなほど、金色のひとみかがやいていて、その目で見られると自分のいんうつとした内心をあばかれるようでおそろしかった。今すぐげ出したい気分にられたが、ヴィルジールはそれを許さないとでも言わんばかりに私のすぐそばまでやってきて、私を見下ろした。

「シャルロット。お前は俺のつがいになった」

 ヴィルジールが再びぶくろの下をのぞかせれば、太陽と月のもんしようがそこにある。

 それを見ればいやが応でも、この人が私のつがいだと実感させられる。

「だから大丈夫」

 ──大丈夫って何。

 私のつがいは、ミレイユ先生だけだったのに。


 お屋敷に戻ると、外に出ていた研究院の人達が私達を見つけていつせいに集まってきた。

「ヴィルジール様、一体なぜ、いつこちらに?」

 研究員の一人があわを食ったようにヴィルジールを問いただした。

 そういえば……ミレイユ先生が亡くなったことで、私は周りが見えていなかった。このお屋敷にどれくらいの人数がやってきたのか、その中にヴィルジールがいたかなど、いまいち覚えていない。だがこの研究員の口ぶりだと、どうやら彼は王都から単身私のもとへやってきたようだった。

 ヴィルジールは無言で研究員をにらむだけで、何も言わない。大魔法使いという立場に研究員達はひるんだのか、私の方に視線を向けた。

 どこに行っていたのかと今にもきゆうだんされそうなふんだったので、あわてて頭を下げた。この人達は仕事をしに来ただけ。そこに私の都合は関係ない。

「申し訳ありませんでした」

 私が謝ったことで、いつたんその場は収まった。申し訳ないのは本心からだし、逃げ出したかったのもまた本当の気持ちだった。

「問題はない。先生との別れをしんでいたのだろう。出発の準備はできているか」

 先程まで何も言わなかったヴィルジールが口を開いた。大魔法使いに言われては、研究院の人達もうなずくことしかできないらしい。

 改めてヴィルジールは大魔法使いで、私は彼のつがいとなったのだと、手のこうの紋章をさすりながら、まざまざと思い知った。


    ***


 ロザンジュ王国。大陸を分断するように流れる大河の北側に位置する、雪深い国だ。

 王立魔法研究院がある王都エフェメールは、私とミレイユ先生が住んでいた川沿いの村外れからははなれた所にある。

 必要最低限の荷物を転送魔法の力で王都に送り、私達人間は馬車にられて移動していた。生き物は魔法で移動させることができないからだ。

 馬車は三台に連なり、そのうちの一つを私とヴィルジールでせんりようしていた。

 自決をヴィルジールに止められ、研究院の人達のもとにもどると、彼らは私達がすでにつがいのけいやくを終えていたことに大層おどろいていた。

 上下左右にようしやなく揺れる馬車の中で、ヴィルジールと二人きり。気をつかわれたか、そもそもつがいとは『そういうもの』であるせいか。しかし初対面の、それも大の男といきなり二人きりにさせられたのは、いささか胃が痛い。

「あの」

 意を決して声を上げてみる。

 ヴィルジールは馬車に乗り込んでからずっとこちらを見ずに窓の外を流れる景色に目をやっていたが、きちんと聞いていたらしい。居住まいを正してこちらに向き直った。

「どうした」

「ヴィルジール様、は」

「ヴィルジールでいい」

 お屋敷に来ていた研究院の人達を真似まねして呼んでみたがまずかったらしい。顔から血の気が引いていくのがわかった。

 そもそもずっとミレイユ先生と二人、外の人とかかわることなんてほとんど無かったから、つうの話し方すらわからないのに。先生が私を守ろうとしてくれたやさしさと、ごうとくの文字が脳内をよぎった。

「ヴィルジールさん」

 今度はもう少し気安い呼び方をしてみた。しかしやはり不服そうだ。彼のけんしわが寄っている。出会ってからずっと似たような表情をしている気もするが。

「ヴィルジール……」

「なんだ」

 ……呼びづらい。しかし彼はそれで満足したらしい。

 大魔法使いと魔封士、つがいは対等……。そう先生に教えられてきた。先生とうまくやれたのは、先生が優しかったからだ。だがそんな先生の優しさに、少しずつ疑問を持ち始めている自分がいる。

「あなたは、先生から私のことを聞いていたんですか」

「ああ。時折手紙のやり取りをしていた」

 その言葉に、私は息がまる思いがした。

 ずっと先生といつしよにいたのに、私は何も知らなかったのだと思い知らされる。

「──どうして……どうして先生は、私に、あなたのことを教えてくれなかったんでしょうか……」

 ミレイユ先生が死んでしまうことを、私は何より恐れていた。しかし先生は私と出会った時にはずいぶんと年老いていて、もうじゆうぶんだと言えるくらい長生きした。

 心の中で、いつまでっても成長できない子どもの私がをこねようとする。もし、先生が死期をさとっていて、最初から彼に私を預ける気でいたのなら、なにか一言、私に教えてくれてもよかったじゃないか。そうしたらもっと、心の準備ができた。先生がなんの心配もなくけるようにしてあげたかった。

 さいに聞いた先生の「その力で次の大魔法使いを助けてやるんだよ」という言葉は、きっとヴィルジールのことを指していたのだ。ならばそう言ってくれたらよかったじゃないか。

 先生の優しさはつまり、私を信用できなかったがゆえのものだと思い知る。事実私は、魔法使いとしてはほとんど引退状態だった先生の手伝いと、家事と、先生のつがいの役目だけをこなして、今日まで生きてきたのだから。結局私は、ずっとずっと子どものまま。

 ひざの上でスカートを強くにぎりしめれば、くしゃくしゃに皺が寄る。手を離しても皺は消えない。まるで私の心を表しているみたい。

「……先生は」

 不意に聞こえたヴィルジールの声はひづめの音にかき消されてしまいそうなほど小さくて、私は目を見開いた。

「先生は……シャルロットのことを大切にしていた」

 それは果たして質問の答えになっているのだろうか。

 ヴィルジールは苦虫をつぶしたような顔で、それ以上はこのことについて何も語らなかった。ああ、この人も何も教えてはくれないのか。やはり、私がまるで小さな子どものようだからにちがいない。

「シャルロットは王立魔法研究院について、どれくらい知っている?」

 話をそらすようにヴィルジールは問いかけた。

「研究院は、簡単に言うと、マナの研究をする所……ですよね」

 つっかえながらそう言えば、ヴィルジールは頷いた。

 ──王立魔法研究院。ロザンジュ王国の王都、エフェメールの外れに位置するきよだいな研究せつ。まるで一つの村のようなそこには、城のように大きな建物があるという。そこでは魔法使い達が日々新たな魔法の発見や薬の研究をしている。

 しかし研究院の最も大きな目的は別にある。ロザンジュ王国各地のマナの流れについて情報を集約することだ。

 マナはすべての生命の源である。多すぎれば生命の発育に異常をきたし、少なすぎれば生命活動が弱り果て、やがては死に至る。

 王立魔法研究院から各地に魔法使いや研究員がけんされ、常にその地に異常が無いかかんし、研究院に情報が集められるのだ。

 たいていはマナが少し乱れたくらいではきんきゆう性は無いが、まれさいやくとなりうる変化が起こる場合がある。そんな時に派遣されるのが、大魔法使いとふうである。

 たんてきに言えば、大魔法使いはマナを増やし、魔封士はマナを減らすことができる。この力を使い、マナの乱れを一時的に正し、その間に何が原因でマナが乱れたのかを検証、解決するのが王立魔法研究院の役割である。

 私とミレイユ先生が暮らしていたおしきにも時折研究員がおとずれては、周辺のマナの流れについて先生と情報共有を行っていた。もっとも、私は先生以外の人間がおそろしくて、いつも遠巻きにながめているだけだったけど。

「最近、どうもこの国のマナの流れが悪いらしい。俺達もすぐに仕事にり出されるかもしれない」

 ヴィルジールはたんたんと言った。

 不安だ。これからこの人と仕事をしていかなければいけない。

 それはヴィルジールが大魔法使いであり、私が魔封士であり、私達がつがいである限り、望まなくともやらなくてはいけないことなのだ。



 馬車が王都エフェメールに入ると道の様子は様変わりした。

 そうされた道を馬車はなめらかに走る。りようわきには数え切れないくらい建物が立ち並び、どんてんの下でも人々がかざって楽しそうに生活している。

 私はミレイユ先生に拾われて以来、ほとんどを屋敷の中で過ごしていた。街の様子をしっかり見るのは初めてで、しんせんだった。

 ミレイユ先生はついてくるかと何度も私をさそってくれたけど、故郷の村の人に寄ってたかってひどい仕打ちを受けたあのころを思い出すと、大勢の人間がこわくて、どうしても外に出る勇気が出なかった。

 あまりはなれ過ぎると私もミレイユ先生もマナのバランスが取れなくて困るから、結局今みたいに馬車に乗って街へは来ていたけれど、ミレイユ先生の用が済むまで馬車の中でうずくまっていたっけ。

 馬車は止まることなくびゅんびゅん走る。遠くに王城を見ながら、街の中央をけてどんどんひとのない方へ向かっていく。

 すると、住宅街をさらに抜けた先に、大きな古いきゆう殿でんのようなものが見えた。

 てつさくで囲われ、広大なしきにはほかにも石造りの建物が立ち並び、まるで一つの村のようだ。

 ここが王立魔法研究院。

 先頭の馬車が兵士が並び立つ門の前で止まり、ぎよしやが何か声をけると、鉄製の門が開かれた。馬車は中へと進んでいく。なんだかこれからしよけいされに行くような気分だった。

「シャルロット」

「は、はい」

「俺達はこれから、研究院内の屋敷に住むことになる。女性の使用人が一人いる」

「あ、そうなんですね……」

 研究院には大魔法使いと魔封士が住むための屋敷がいくつかあって、ミレイユ先生も以前はそこに住んでいたらしい。話には聞いていたが、いまだに現実を受け入れられず、ヴィルジールの口から実際に告げられてもまるで他人ひとごとのように感じられてしまう。

「屋敷に行く前に研究院の本とうもんしようの登録があるのだが……だいじようか?」

「大丈夫か……とは」

「本棟には多くの人がいる。難しいようなら書記を屋敷に呼ぶことも可能だが」

 気をつかわれている。ありがたい反面、どうにもみじめな気持ちになった。自分はいつまで経ってもこのまま変われない。めいわくをかける相手が、ミレイユ先生からこの人や研究院の人達に変わっただけ。

「……大丈夫、です」

 ヴィルジールはさきほど、仕事に駆り出される可能性を示した。今まで私は屋敷に引きこもってミレイユ先生に言われたことをこなしながら、仕事をした気になっていた。けれど、それだけではもう生きていけないのだ。

 先生の言葉を思い出す。──だいほう使つかいにとって、魔封士の力は特別なもの。私は彼のつがいとして生きていく他ないのだ。

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