プロローグ 死にたがりの少女

 親愛なる私の友人、アンへ


 お久しぶりです。

 ミレイユ先生がくなりました。

 これで私が生きていく意味がなくなりました。

 今まで本当にありがとう。どうかお元気で。

 さようなら。


シャルロットより     


 私の『つがい』のミレイユ先生が、息を引き取った。

 春のきざしが見え始めた、冬の終わりのころだった。

「いいかい、シャルロット。私達だいほう使つかいにとって、ふうの力は特別なものなんだ。その力で次の大魔法使いを助けてやるんだよ」

 いまくことのない木のかげに建てられた小さなお墓の前で思い出したのは、ミレイユ先生が最後に残した言葉。

 私は最後まで先生のしわしわの手をにぎりながら返事をすることもできなかった。私とミレイユ先生のつがいであるあかしだった手のこうもんしようが消えてゆく。何もなくなったそこに、私はただなみだを落とすことしかできなかった。

 すべての生物が生きていくために必ずなくてはならないもの──空気、水、そしてマナ。

 マナは生命の源だ。目には見えず、風のように大気を流れていく。そのマナをあやつって、神秘的な力を発動させる特別な力を持っている人間、それが魔法使いだ。

 ミレイユ先生は魔法使いの中でも、大魔法使いと呼ばれる人だった。

 大魔法使いの真の力、それは自らマナを生み出すことにある。生命の源を生み出せるその力に、人々はけいの念をいだいている。

 しかしミレイユ先生が亡くなり、大魔法使いの力が失われた今。魔封士である私に残された時間は少ない。

「先生、ごめんなさい……」

 大魔法使いが──ミレイユ先生がいなくては、私に生きる価値などないのです。

 ミレイユ先生をった翌朝、事情を知らせていた王立魔法研究院に所属する人達が、そうを手配してくれた。と言っても、先生をかんおけに入れ、土の中にめ、みなでおいのりする……そんな簡素な儀式だった。

 先生の墓の前で立ちくし、これからのことを思う。私はこのまま研究員達に王立魔法研究院へと連れて行かれ、こうそくされるだろう。きっと近いうちに私は死ぬ。だったら、自分で。

 ミレイユ先生と最後の別れを済ませた私は、そっとその場をはなれた。

 目指すのは今まで暮らしたおしきの裏に広がる森の中。ミレイユ先生の葬儀のため、そして私を研究院へと連れて行くためにやってきた人達に「気持ちを整理したい。少しの間一人にしてほしい」とお願いしたおかげで、私を追いかけてくる者はだれもいない。

 森の中を足早に進んでいく。自分自身の小さな呼吸と、わずかに残る雪をみしめる音だけが辺りにひびく。私がやってきたことにかんいて動物達が息をひそめているのだろう、自分以外の生命の気配を感じられない。

 早く、早く死ななきゃ。かつて故郷で起こった出来事がのうにちらつく。首をっても離れてはくれない。

 私の魔封士の力のせいですでにどこかにえいきようが出始めているかもしれない。

 大魔法使いがマナを生み出し益となる存在なら、魔封士はマナを消し去る害悪だ。

 大魔法使いと魔封士、正反対の異なる能力を持つ二つの存在は、強大な力を持つがゆえせいぎよしきれず、単独で放置すればいずれ力が暴走してやくとなる。

 力を操るためには大魔法使いと魔封士同士のマナを強く結びつけ、おたがいの力をそうさいできるようにするけいやくが必要だ。契約がかんりようした大魔法使いと魔封士は『つがい』と呼ばれ、両者の身体のどこかにそろいの紋章が現れる。

 ミレイユ先生と私の手の甲にあった、つがいの証の紋章。それは花の形をしていた。

 つがいだったミレイユ先生が亡くなった今、私の手に当たり前にあった紋章は今はかげも形もない。ミレイユ先生が息を引き取った時より、墓の下へとまいそうされていく時より、紋章が消えたしゆんかんが何より私に死を実感させた。

 大魔法使いだったミレイユ先生がいなくなった今、私が持つ魔封士の力はいずれ暴走してしまうだろう。そうなればこの森をいろどる木々も花も、ここに住む動物達も死に絶え、そのはんはどこまでおよぶのか自分でも見当がつかない。

 すぐにもどるとうそをついたせいで、着の身着のままここまでやってきてしまった。

 春のおとずれが近いとは言え、森をける風は体温をうばい、き出す息もまた白い。りよううでをさすりながら、それでも足を動かすのをやめないのは、それが私の最後の役目であるからだ。

 ──力が暴走する前に自害する。

 そのためにここまで来たのだ。

 せめて死に場所くらいは自分で選んだ場所で。森に薬草を取りに入った時、小高いおかにひっそりと生える大きなを見つけて、死ぬならここにしようと決めていた。

 あそこからならミレイユ先生のお墓が見える。森の奥深くだから人も来ないし、景色も良い。

 急ぎ足で森を進んでいると呼吸が乱れて立ち止まりそうになる。その時、ゆいいつの心残りであるアンのことが不意に脳裏をよぎった。

 ──アン。私の唯一の友達。

 幼い頃に魔封士の力が発覚し、故郷ではくがいされ、しんらいできる人間を失ってしまった私にミレイユ先生がしようかいしてくれた顔も知らない人。

 文字だけのやり取りならと始めたアンとの文通は、簡素なあいさつに始まり、日常をつづるうち、少しずつ日々のさいなやみや心情を打ち明けるにまで至り、いつしか私にとってもう一つの安心できる居場所となっていた。

 そんなアンに、あんな手紙を残すことしかできなかった。アンはやさしい人だから、きっと私の死を悲しんでくれる。それは私にとって喜ばしいことだけど、何よりひどく心苦しい。

 けれど最後にお別れを言うことができて、よかった。

 気付けば視界が少しだけ開けてきた。

 丘の上からわずかに見えるミレイユ先生のお墓を見下ろす。今頃、お屋敷にやってきた研究員達は、私をさがしているだろうか。急がなくては。

 この辺りでもひときわ大きく背の高い樹、この下が私の死に場所だ。

 幹に身体を預けようと手をれる。すると、きっと付き始めたばかりだろう、花のつぼみがぽとり、ぽとりと落ちてきて、ぞっとして手を引っ込めた。──私が触れ続ければ、やがてこの樹はれてしまう。

 もしこれが生き物……人間相手だったとしたら……つがいのいない私はほとんど災厄みたいなものだ。やはり、早く死んでしまわなくては。

 息を整えながら、まだ昼前だというのに分厚い雲のせいでうすぐらい空をながめた。

 もう一度右手の甲を見る。やはり、何も無い。つうの人にとっては何も無いのが当たり前なのに、私にとってはそうではない。自分が魔封士であることをのろわずにはいられない日もあったけど、いつしかそれを忘れることができたのは、ミレイユ先生との間に紋章という消えないきずなの証があったからだ。

 紋章は、私につがいがいることの証だった。つがいがいれば力を制御できる。普通の人間みたいになれる──だから私はこころおだやかに暮らすことができた。

 私はこしにぶら下げていた小さなナイフを手に取り、さやから抜いた。薬草をるためにとミレイユ先生がくれた物。初めは首をくくろうかと考えていたけれど、前にここに来た時は枝に手が届かず、なわをかけられそうになくてあきらめた。

 ふうは生命の源であるマナを奪う。ミレイユ先生がくなったばかりの今、その力はいつ暴走するかも、そのがいがどこまで及ぶのかもわからない。

 王立魔法研究院に連れて行かれたところで、力が暴走する前に新たな大魔法使いが見つからなければ私はどうせ殺される。つがいのいない魔封士は、存在するだけで罪なのだから。

 すうと息を吸い込んで、止めて、のどもとをあてがう。きらりと光る切っ先がおそろしくて、何も視界に入らないよう、ぎゅっと目をつぶった。

 ミレイユ先生が死んだら自分も死ぬ。ミレイユ先生が病にたおれた時からそう決めていたのに、いざその時が来ると涙がにじんだ。どうしようもないくらいに手がふるえて、こんなんじゃ手元がおぼつかず、楽には死ねないと自分に言い聞かせる。しかし何をどうやっても震えは止まらなかった。

 だいじよう。私が生きてて喜ぶ人より、死んであんする人の方が多い。アンはお互いに顔も知らない文通相手。きっと私のことなんか忘れて、へいおんな日常を送ってくれる。死んだらミレイユ先生がきっと待っててくれる。ものすごくおこられるだろうけど、このまま生き続けてほかの人の命を奪うことになるかもしれないなら、これでいい。

 大丈夫。大丈夫。大丈夫だから。自分にそう言い聞かせて、首筋に当てたナイフを引こうとした、その時だった。

 とつぜん、強い風が吹いて息ができなくなった。うまく死ねたから息ができないのかと思えば、手になにか固いものが当たって、手のひらからナイフのかんしよくが消えた。

「ッ……」

 まぶたを持ち上げれば、滲んだ視界が開けてゆく。地面に転がったナイフをぼうぜんと見つめ、無意識のうちに手のひらを首筋にひたりと当てた。

 痛くない、血も出てない──死んでない。私、まだ死んでない。

「シャルロット」

 自分を呼ぶ低い声にかたを震わせる。ぼんやりとした視界が、こもったちようかくが、じよじよに戻ってくる。

 つえを持ち、ひと目で魔法使いだとわかる男が一歩一歩、雪を踏みしめながらこちらに向かって歩いてくるのが見えた。一つに結んだ黒いかみするどい光を放つ金色のひとみ。ミレイユ先生が着ていたのと同じ、しつこくのローブ。空にかぶ満月のように青白くかがやく杖先。

 まるで夜がそのまま歩いているような人だと思った。

 私をむかえに研究院から来た人達の中に、こんなに目立つ人がいただろうか。それにこの漆黒のローブは……。

 いつの間にか樹の下までやってきていた男は、上等そうな身なりにもかかわらず私の前にひざをついた。おもむろに黒のぶくろを外し、あっと思った時には未だ震えが止まらない私の手を取っていた。

「だめ──!」

 手を引こうとしたがおそかった。

 突然のことに混乱しながら考えたのは目の前の男の身の安全だった。

 魔封士はマナをしようめつさせる力を持っている。つがいがいなくなった私は力をせいぎよすることができない。マナを奪う事態になればこの人は死ぬ。

 不意に、男の手も震えていることに気が付いた。

 男の目と目が合った瞬間──身体の中にマナがめぐったのが感覚でわかった。昔、ミレイユ先生とつがいになった時と同じ。

「なん、で」

 訳がわからぬまま口をついて出たのはそんなけな疑問。

 彼のてつぽうさにおどろいたが、しかしそれ以上に、なぜミレイユ先生とつがいになった時と同じ感覚がしたのか、わからなかった。

 男がほうと息をついて、私の手を両手で包んだ。震えを取り除こうとしているのか、温めようとしてくれているのか。気付けば死へのきようは目の前の男に対するきようがくに上書きされていた。

 ふと見れば、いつの間にか手袋を取り去り差し出された男の左手のこうには、太陽と月の形に似たもんしようがあった。

 そして私の右手の甲には、ミレイユ先生とつがいだった時の花の紋章とはちがう──男と揃いの太陽と月の紋章が、わずかな輝きと共に浮かび上がっていた。

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2024年11月30日 00:00
2024年12月1日 00:00

大魔法使いと死にたがりのつがい いちしちいち/角川ビーンズ文庫 @beans

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