〈二〉不死鳥の役目
真新しい館の図書室を見て、朱華はほっと胸を撫で下ろした。引っ越してきたばかりで何もないかもしれないと心配していたものの、そこに設置されているたくさんの棚にはどれもびっしりと書物が詰まっている。
ここにあるものは娯楽小説が主だった。子供を孕めば自由に動けなくなるかもしれない朱華のために、国中から暇を潰せるような書物が集められているのだ。
「えっと、確か
いつか見た、とある小説の名前を思い出す。あまり表題は気にしたことがないからあやふやだが、今探している話は汪琥もしくは
そんなことを考えながら棚を眺めていくと、やがて一冊の書物に目が留まった。〝汪琥異人伝〟なる名前の書物だ。汪琥というのはある一族の名なのに、異人伝とはこれいかに――と朱華は首を捻ったものの、創作にそういった疑問は不要だろう。きっと汪琥一族と異人が何らかの形で関わるのだ。それに、今重要なのはその作品自体の内容ではない。
「あ、あったあった」
書物を開けば、目的の文章が朱華の目に飛び込んできた。この題材であれば大体の作品はこれを引用している。朱華は自分の当てが間違っていなかったことに満足すると、その文章を頭の中で読み始めた。
〝――その昔、不死の鳥に護られた土地があった。その鳥の住まう霊山の周りには人が住み着き、栄え、やがて国となった。
国を治めた一族には優れた方士が多かったが、彼らは先祖が受けた呪いのせいで身体が弱かった。どれだけ手を尽くしても長生きができない。国の発展と共に医学にも力を入れたが、どの医師も彼らの寿命を延ばすことはできなかった。
人よりも持てる時間が少ないという事実が、徐々にその一族を蝕んでいった。かつて一族を呪った者はもうおらず、憤りをぶつける先も残っていない。
それは一族内の不和を招き、協力し合う関係の邪魔をした。不満が嫌悪を、嫌悪が憎悪を育て、きっかけが何だったのか忘れてしまうほどの敵対関係を生んだ。そうして彼らは、互いに背を向けるようになった。
一つだった国は、いつしか三つとなった。そして互いに忌み嫌い合い、緑豊かな大地には争いが絶えなくなった。
不死鳥は嘆いた。彼女は人間を愛していた。それこそ我が子のように、国として成長していく彼らを微笑ましく思っていた。
それなのに子供達が争い合い、毎日のように多くの命が失われていく。不死鳥への敬意は忘れられていなかったが、そんな彼女の苦言も子供達には響かない。たとえ一時的に聞き入れたとしても、世代が変わればまた同じことの繰り返し。
不死鳥は子供達を呼び寄せた。三つの国の王が霊山にやってきた。最初の国を作った一族の末裔達だ。どの王も、若い男だった。
不死鳥は彼らに言った。
「わたしの血をあなた達に分けてあげます。ここに来た順に、いつまでも分け続けてあげます。だからどうかもう争わないで。あなた達が争う姿を見るのはとても悲しいのです」
すると不死鳥は人間の女の姿になり、最初に彼女の元に来た王の手を取った。
「まずはあなたから。独り占めはいけません。わたしはみんなに生きてほしいのです」
かくして
不死鳥の血の力でかつて一族を蝕んだ呪いは効果をなくし、険悪だった三国は再び手を取り合うようになった――〟
「……この話、
パタン、手元の書物を閉じる。今読んだのはこの島に伝わる伝説だ。この島では最初に
非常に有名で、人々の意識に深く刻まれた伝説。そのためこの三国のいずれかで生まれた娯楽小説では、冒頭にこれを配置するものが多い。以前聞いた話では、この伝説を最初に読ませるだけでその作品への没入感が強くなるのだそうだ。
この地で生まれた者は、誰もがこの伝説を聞いて育つ。宵藍とて例外ではない。彼のあまりの態度に自分の記憶違いを疑ってこうして確かめてみたが、やはり認識に間違いはなかった。
つまり彼は不死鳥がなんたるかを正しく理解した上で、その不死鳥である朱華との婚姻を受け入れたのだ。
であれば、自分の役割も承知しているはず。
「わたしがしっかり説得しなきゃ。宵藍様だって、昨夜みたいなこと望んでいないはずだもの」
朱華は書物を棚に戻すと、そのまま小走りで図書室を後にした。
§ § §
「……何のつもりですか」
そう呆れたように言う宵藍の前には朱華がいた。ここは軍部にある宵藍の執務室、椅子に座る彼はまだ仕事中だ。妻とはいえ、朱華のような人間が来るような場所ではなかった。
だが朱華は全く気にした様子もなく微笑んで、机の向こう側にいる宵藍に「お迎えにあがりました」と告げた。
「もうこんな時間です。早く寝なければお体に障りますよ」
外は夜。軍部にはまだ仕事をする者もいるが、勤務時間は過ぎている。とはいえ、夕食時と言える時間帯だ。それなのに早く寝なければならないという朱華の言葉の真意を察すると、宵藍はこれみよがしに溜息を吐いてみせた。
「まだ早いですよ。どうせ一緒に寝ないのだから気にする必要はありません」
「……やはり、今日も?」
「まだしばらく体調が悪いので」
健康的な肌色で淡々とのたまう宵藍に、朱華の眉がくっと曇る。
「いつなら良くなりますか」
「来年か再来年くらいですかね。長引きそうです」
「ッ、そんな悠長なこと言っている場合ですか!? わたしはもう十八です。仮に再来年となれば二十になってしまいます。そこから子作りしたとして、二人……三人は産めるかどうか。彗国ではいつも五人はもうけると聞いています。たった三人なんて、皆様になんと申し開きをしたらいいか……」
「聞いている、ね」
宵藍が鼻を鳴らす。相変わらず朱華を映さないその目は更に彼女から離れ、机の上の筆に向けられた。まるで仕事の続きをさせろと言っているかのようだ――朱華はそう思ったが、ここですぐに帰るわけにはいかない。
「何かおかしなことでも言いましたか?」
「おかしいでしょう。あなたが聞いたのは不死鳥の話では? だったらそれはあなた自身のことです。なのに他人からの伝聞でしか知らず、更にそのことをおかしいとも思わない……そういうところが気持ち悪いと言っているんですよ」
昨夜よりも具体的に、宵藍から〝気持ち悪い〟理由が告げられる。彼の言っていることは事実だ。だが朱華には、それに何の問題があるのか分からなかった。
「ですがそういうものでしょう? わたしには今代の〝朱華〟として生きてきた記憶しかないんです。確かに先代の〝朱華〟はわたし自身ではありますが、記憶を一切引き継いでいないのですから他の方に聞くしかありません」
不死鳥は何度でも蘇る。ただし、記憶は引き継がない――それは誰だって知っている話だ。なのに何故宵藍はそんなことを引き合いに出すのかと、朱華にはいくら考えても理解できなかった。
「とにかく夜伽をさせてくださいませ。わたしにはあと七年しかないんです。その間にできるだけ多くの子を産まなければならないんです」
「ならば他の者に種をもらえばいいでしょう。私が役立たずだと報告すればすぐに手配されますよ」
「ッ、お役目を放棄するつもりですか……?」
明確に言葉にされた宵藍の意志を聞いて、朱華の胸に動揺が走る。昨夜はただ気分が乗らなかっただけだと思っていた。子供の我儘のように一時的なもので、冷静に状況を理解すればすぐに収まるものだと思っていた。
しかしこの口振りは違う。自分に与えられた役割を他人に譲ると言っているのだ。想定していなかった宵藍の考えに、朱華の表情が固まる。
だが宵藍はそんな彼女の心境を知ってか知らずか、ずっと見続けていた筆を取って、「ええ」と涼しい顔で頷いた。
「離縁でもなんでも好きにしてください。私は子を作る道具に成り下がる気はありませんから」
そう言って仕事を再開してしまった宵藍に、朱華は何も返すことができなかった。
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