第37話 前に進むために【side佳純】



 突然の訪問に驚き、私達はテーブルを囲んで話をすることにした。


「まさか噂のお隣さんが君だったとはな……」

「あはは……ウチもビックリしてるよ。話には聞いてたけど、なんとなくゆう君っぽい人だなぁとは思ってたんだよね。本当にまさかだったよ……」


 まさか愛也奈あやなちゃんが勇太郎君の元カノさんだったなんて……。愛也奈あやなちゃんの一人称が【ウチ】になっている。


 これは彼女がテンパって余裕がなくなった時の特徴だった。


 たぶん、本来の自分だったんだと思う。


 予感はあった。

 彼女の口から語られる"素敵な元彼"の特徴は、あまりにも勇太郎君に合致するところが多かったからだ。


 確信があったわけじゃないけど、そうじゃないかって思ってた。


 だって勇太郎君の口から、元カノさんの進学先がパティシエの専門学校だって出たのだから。


 彼女と出会っておよそ一年半。


 ただの一度も元彼さんの名前が出てくることはなかった。


 偶然だったのか、口にしたくない事情があったのか。


 多分、それは後者の理由だった。


 思い返せば勇太郎君と愛也奈あやなちゃんの話には共通することばかりだ。


 どうして今まで気がつかなかったのか。


 さっきの告白前の勇太郎君とのやり取りで、だんだん確信に近い予感はあったのだけど、それを口にして幸せな時間が終わってしまうことを恐れた私は、それをできるだけ考えないようにしていたのかもしれない。


 自分の卑怯さに嫌気がさす。でも、それでも止められないほど勇太郎君のことを好きになってしまっていた。


「まさかの再会で色々と言いたいことはあるけど、まずは、ありがとう」


「ゆ、ゆう君……?」


「悩んでいた佳純かすみちゃんの力になってくれたこと。感謝してる。そのお礼が言いたかったんだ」


「勇太郎君……」


 勇太郎君はぺこりと頭を下げて愛也奈あやなちゃんに感謝の意を伝えていた。


 聞いている限りだと理由も分からない内にフラれてしまった愛也奈あやなちゃんに対して、彼が口にしたのはまず感謝だった。


 そんな姿にキュンとしてしまう。

 まず何よりも感謝する言葉を素直に伝える誠実さに惚れ直してしまった。


 それに引き換え、彼との時間と親友との関係を天秤に掛けてしまった罪悪感が胸を刺した。

 

「アヤちゃん、俺は、どうすればよかったのかな……。どうしたら君を苦しみから解放してあげられたんだろう……やっぱり、俺の前から去ろうとする君を引き留めずに見送るしかなかったんだろうか」


「ゆう君に不満なんてなかった。ダメだったのはむしろウチの方で……」

 

 そして彼女の口から勇太郎君がフラれた理由……【勇太郎君に振ってもらった】理由を語り始める。


「申し訳、ありませんでした……」


 愛也奈あやなちゃんはこれまでの経緯と、勇太郎君と離れてしまった理由を語った。


 自分が劣等感を感じて、離れる選択をしたこと。

 自信が無くて、戻るに戻れなくなってしまった。


 身勝手な自分をずっと後悔していた事。

 そのことを謝りたいのに、今更どの面下げて謝ったら良いのか分からず、卑怯にも逃げてしまっていた事。


 この一年で聞かされていたその理由を愛也奈あやなちゃんは淡々と、ありのままに語る。


 自分を擁護せず、全ての責任は自分にあると。


 誠心誠意謝っていた。


「なるほど……な。だけど、それでも俺は別れたくなかったよ……そばに居て欲しかった」

「ウチも……後悔したよ。もうどうしようもなく劣等感を感じてしまって……本当にごめんなさい……。申し訳ありませんでしたっ!」


「アヤちゃん……って、まだ呼んでもいいかな?」

「うん、ゆう君さえよければ、そうしてくれると嬉しい」


「それじゃあアヤちゃん……とりあえず」


「え?」


 勇太郎君は、何やら凄く満面の笑顔で愛也奈あやなちゃんに近づき、その肩に手を置いた。


 そして瞬く間に不思議な形で腕と足を絡みつけて、愛也奈あやなちゃんの身体をあり得ない方向に曲げてしまった。



「ぎょえええええっ!! イダダダダッッ、もげるっ! ホントにもげちゃううううっ」


「やっぱりそんな理由で納得できるかぁあああっ! そんなんでフラれたら俺はどうすりゃ良かったんだっ、おおんっ(#゜Д゜)!?」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃいいいいっ!! だってぇ、だって自信なかったんだもんっ!」


「俺の寂寥感かえせッてんだ。悩みに悩み抜いたこの1年をどうしてくれるんだお前はっ!」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃいいいっ!」


「あ、あの勇太郎君、もうそのくらいで……」


 それでも勇太郎君は止まらない。こんな激高している彼は初めて見る。


「俺はっ! アヤちゃんがっ! 大好きだったんだぞっ! 結婚して、幸せな家庭を作るんだってっ! 決心してたのにっ! アヤちゃんのこと、世界で一番幸せにするって誓ってたのにっ! それがダメだったのかよっ! もっとちゃらんぽらんなダメ彼氏にでもなればよかったのかよっ!」


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 怒り心頭に発す勇太郎君の罵倒は止まらない。


 首を絞めている腕に力は入ってないみたいだけど、行き場の無い怒りで勇太郎君の心が慟哭しているのが分かる。


 首を絞めているというより、抱きしめながら泣いているみたいに……。


「あの、勇太郎君……」

佳純かすみちゃん、ごめんけどちょっと待っててくれ」


「分かってる。怒る気持ちは凄く分かるんだけど、ちょっとだけ聞いて欲しいの」


 私の言葉で、勇太郎君は首に掛けていた技を解いた。


「はひぃ、はひぃ……ふえぇ……ゆう君、ごめんなさい……ひぐっ……うぇえん、ごめんなさい……」


「ふう……だけど、君の性格を考えれば理解できなくもない。悩みが頂点に達する前に察せなかった俺にも責任はある」


「ゆう君は何も悪くないよっ! 全部ウチがバカだったの……全部ウチが悪いの……」


「分かった、もう良いよ」

「え?」

「確かに改めて聞いてもなんだそりゃって理由ではあったし、まったく納得できるものじゃなかった。ハッキリ言って理不尽にもほどがある」


「あう……分かってる。気が済むようにしてほしい。どんなヒドいことしてもいいから」


「いいよ、もう終わった事だ。過去は過去。アヤちゃんのことは……」


 私は、そこで終わりを感じた。


 勇太郎君は、全てを水に流して決着を付けようとしている。


 でも、なんだろう。この気持ちは……。私は思わず口に出していた。


「あのね勇太郎君」

「なんだい佳純かすみちゃん」


「私、愛也奈あやなちゃんと出会ってから今日まで、勇太郎君と別れてしまった事を後悔してる気持ちをずっと聞いてきた。私が言えた事じゃないけど、これに関しては愛也奈あやなちゃんが悪いと思う」


 でも、と、私は付け加える。


「だからこそ、私には愛也奈あやなちゃんの気持ちも分かるんだ。好きな人に自分が追いついてないもどかしさとか、自分のやっていることが十分じゃないって焦りとか……」


「それは……」


「分かってる。私と愛也奈あやなちゃんは同じなんだよ。好きな人に寄り添う形を間違えた。相手の事じゃなくて、自分の事で精一杯になっちゃった。心が弱くて、大事な事と向き合う事から逃げちゃった臆病者なの」


 愛也奈あやなちゃんと私の馬が合ったのも、きっとそういう所で同じ感性を持っているからなんだと思っている。


 あまりにも恋愛に不器用で、自分の気持ちの表現の仕方を知らない臆病者。


「カスミン……」


「きっと勇太郎君が大好きで大好きで、だからこそ離れようと思ったんだと思う」


「……」


 勇太郎君は複雑そうな顔をしつつも、柔らかく笑っていた。


 優しい勇太郎君は、彼女をきっと恨んでなどいないのだろう。


 大好きだからこそ、その怒りは強く、また優しいからどうやってぶつけたらいいのか分からない。


 だけど、大きな心で許そうとしている。


 だから、この選択は誤りかもしれない。せっかく綺麗に終わりかけていた話を、無駄に蒸し返してしまうだけかもしれない。


 だけど……。


「ねえ勇太郎君」

「なに?」

愛也奈あやなちゃんのこと、まだ好きな気持ちはある?」


 私は、勇太郎君に問いかけていた。

 このまま終わってはいけない気がした。


 セックスの時、彼は言っていた。まだ好きなくらい、思いは残っていると。


 きっと余計な事だ。わざわざ収まり掛けていた波風を自分で立たせる行為だ。


 それでも私は聞かずにはいられなかった。


「いや、でもそれは」

「私の事は一旦抜きにして、率直な気持ちを聞かせて」


「それは、言葉にするべきじゃないと思う。俺はもう佳純かすみちゃんの恋人になったし、確かに理不尽すぎて納得はできないけど、一度は本人の口から聞いて受け入れた事だし、もう過去の事だ」


「分かってる。だからこそ聞かせてほしい。愛也奈あやなちゃんのことをどう思ってるのか。勇太郎君の率直な気持ちを聞かないと、きっとここにいる全員が決着付けられないような気がする」


 違う、きっと勇太郎君の中ではもう決着がついてる。


 きっちりと切り替えて、新しい恋人である私に向き合おうとしてくれている。


 でも、それなら愛也奈あやなちゃんは?


 愛也奈あやなちゃんの気持ちはどうなるんだろう。


「きっと、愛也奈あやなちゃんは前に進めないと思う」

「……」

「それは……」


 残酷な事をしいていると思う。


 愛也奈あやなちゃんの気持ちが分かってしまうだけに、ここでこのままお別れしてしまったら、全員の心にしこりを残したまま終わってしまうような気がする。


 いや違う。私のエゴだ。


「アヤちゃんのことは、好きだよ、今でも。俺が嫌われたのなら、それを直す努力がしたかった」


「ゆう君は、何も悪くない。全部、全部ウチがバカだったから……」


「だけど、俺はそのことに決着を付ける。アヤちゃんに恨みは持ってないよ」


「ゆう君……私がバカでした……」


愛也奈あやなちゃん、それはもう言っても前に進めないと思う。だからね、私から一つ、二人に提案があるの」


「提案?」


 それは私が勇気を振り絞って、大切な二人にできる恩返し。


 きっと普通じゃ選択できない、あり得ない決断となるだろう。


愛也奈あやなちゃん、確認したいんだけど」

「うん」


「勇太郎君のこと、今でも好きだよね?」

「そ、それは……」


「正直に答えて。嘘偽り無い気持ちを知りたいの」


「好き……好きだよ……。あんな事いったの、死ぬほど後悔してる。勇気がなくて、頭が悪くて、臆病で卑怯者だから、ゆう君が傷ついてるって分かっても、戻る勇気が湧かなかった。だから、私は消えます……もう二度とゆう君の前には姿を現わしません」


 そう言って立ち上がろうとする愛也奈あやなちゃんの腕を掴み、私は強く引っ張った。


「カスミン……?」


「ねえ勇太郎君」


「なんだい?」


「勇太郎君にお願いがあるの。愛也奈あやなちゃんに、贖罪しょくざいの機会を与えて欲しい」


「贖罪の? それってどういう……」


「これは、きっと無茶なお願いになるかもしれない。勇太郎君に途轍もない負担を強いてしまうと思う。でも、私にとって二人が二人とも大切な人だから、みんなが幸せになれる未来の可能性を掴みたい」


 私は、決意する。私を幸せにしてくれた勇太郎君……。

 私をずっと支えて助けてくれた愛也奈あやなちゃん。


 そして、私自身も同じように幸せを掴める未来。


 これは、きっと間違いだらけの選択に違いない。


 愛也奈あやなちゃんと勇太郎君が進もうとしている未来を奪う行為かもしれない。


 でも、私はそれでも嫌だった。


 このまま、【普通の結末】に向かってしまうことが。


 ここでキッチリお別れして、心の決着を付けて、時間が経てば良い思い出になる。


 きっと何年か後の同窓会かなんかで、「あの時はああだったね。お互い大人になったね」なんて、昔を懐かしむような。


 そんな未来は、私は嫌だった。


「勇太郎君……一度愛也奈あやなちゃんとよりを戻してほしい」

「な、なんだってっ!? そんなことっ」

「大丈夫、最後まで聞いて……」


「……分かった」


愛也奈あやなちゃんと勇太郎君……。二人はよりを戻して、昔のように愛しあってほしい。その上で……」


 バカなことを言うと思う。

 バカでバカでバカでバカで、不器用で、間違いだらけの選択。


 それでも……。


「私に勇太郎君を差し出して。そうしたら私が、愛也奈あやなちゃんから勇太郎君を寝取る。愛也奈あやなちゃんは、そのことでいっぱい苦しんで、その後で、"三人で一緒に付き合おう"」


「なっ!?」

「カスミンッ!?」


 あまりにも突拍子もない事だ。それを聞いた二人の目は、これでもかというほど見開かれていた。



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