第22話 助けて、勇太郎君……【side佳純】


 【side佳純かすみ


「へえ、凄いじゃんッ! 良かったねカスミンッ」

「う、うん。そうだね」


 ある日の夕方、私は愛也奈あやなちゃんと一緒にいた。

 先日のことを聞いて欲しかったので、夕食に誘ったのだ。


 私は高彦君との出来事と、勇太郎君との出来事の境界を曖昧にしながら、その日味わった極上の幸せがどんなものだったかを伝えた。


「ん~、でもさぁ。ちょっと不思議なんだよね」

「え、な、何が?」


「なんかさ、その彼氏、いくらなんでも急激に変わりすぎじゃない?」


「どういうこと?」


 それはそうだろう。別人なのだから、とは言えなかった。


「今までなるべく言わないようにしてたけど、聞いてる限りだとその彼氏ってカスミンのことあんまり思いやってない感じがしてたんだよね。自分の欲望最優先でさ。言い方悪いけどカスミンのことダッチワイフかなんかだと思ってるんじゃないかってくらい身勝手」


「え、ダッチ……え?」

「ようするにオナニーするための人形ってこと」


「あはは……。それは言い過ぎだよ」


 今になって思えば、そうなのかもしれない。

 彼の場合は、きっと想いが溢れすぎて自分の感情をぶつけることが愛情表現だと思っている感じがする。


 相手がどう受け止めるかが考えられていないから、すれ違いが起きる。


 だけど、それは彼ばかりが責められるべきじゃなく、私にだって原因はあった。


「私も、自分を主張しなさ過ぎてたんだと思う。気持ちを伝えたら、分かってくれたよ」


「そっかぁ、上手くいって良かったねカスミン♪」

「うん、ありがとう愛也奈あやなちゃん」


 私は勇太郎君との夜が忘れられず、思わず愛也奈あやなちゃんにそのことを話してしまった。


「それでね、あんなに気持ち良くなれたのは生まれて初めてで、セックスってあんなに気持ち良かったんだって、ようやく分かったんだ」


 私は高彦君と勇太郎君の境界を曖昧にし、彼氏と上手くいったというていで話を進めていた。


 誰かに聞いて欲しかったのもあり、吐き出すことで心の整理を付けようとした。


「ねえカスミン。正直に答えて欲しいんだけどさ」


「な、なに?」


「カスミンが言ってる上手なセックス経験、これまで私が聞いてきた彼氏とは別人だよね?」


 ギクリと心臓が締め付けられる。

 私は不器用な女だ。隠そうとしても、その悩みは完全に顔に出ていたのかもしれない。


「そ、それは……」


「今までなんか理由があるんだと思ってあんまり突っ込まなかったけどさ、絶対おかしいって、いくら何でも分かるよ」


「……ッ」

「あのさ、まさかとは思うけど浮気とかじゃないよね? 彼氏と別れたって話聞かないし、今までの彼氏とあまりにも別印象だし、私心配で」


「う……、うん。浮気、じゃない、と思う」


 と思う。そんな歯切れの悪い言葉を口にする私に愛也奈あやなちゃんは心配そうに眉をひそめた。


「ねえカスミン、私、カスミンの親友だと思ってる。困ってることがあったら力になってあげたいって思ってるよ。誰かに脅されてたりしてない? 変な奴につきまとわれてたりしてないよね?」


「そ、それは大丈夫ッ。うん、ごめん、実はちょっと説明にしにくい状態だったから、上手く言えなくて、今までごまかしてた……ごめん」

 

 私はとうとう観念して本当のことを伝えることにした。


 正直これ以上自分一人で抱えるのは限界だった私は、ポツポツとここ一ヶ月の間に起こった出来事を話していった。

「それで、どういう事が起こってた訳?」

「えっとね……」


 ◇◇◇


「はぁああああっ!? 何よそれっ! バッカじゃないのっ! その彼氏バカだろっ! 死ねよそいつッ!」

「あ、あの、一応私の彼氏……」


「そんなの絶対に断らなきゃダメだよッ! なんでそこで流されてるのっ! っていうか、そんな奴すぐにポイッしなきゃっ!」


 案の定、愛也奈あやなちゃんは激高した。これほどの怒りをあらわにする彼女を初めて見た私は戸惑ってしまい、ひたすら謝るしかなかった。


「今まで言えなくてごめんなさい……でも、この一ヶ月、私は凄く楽しかったよ。ある人のおかげで」

「ある人って?」


「うん……彼氏の親友の男の人なんだけど、私が知ってる中で一番信用できる人だから、相手役はその人を指名したの」

「はあ……なるほどねぇ。っていうか、もうその人が彼氏でいいんじゃない?」


「……うん……そうかもしれない。でも」


 それでも私は、いまだに苦悩の渦中にいる。それを口に出す事をためらっていた。


 見かねたように、愛也奈あやなちゃんは私の手を握ってこう言った。


「うん、じゃあ私から一つ提案があるんだけどさ」


「なに?」


 愛也奈あやなちゃんの提案とは、その相手役に「このようにメールしてみて」というものだ。


 その内容を見て、私はもうそうするしかないと感じていた。



 それは私にとって罪悪感と渇望に挟まれた苦渋の決断だった。


 もう高彦君とセックスしたいとは、とても思えなかった。

 私は無意識に勇太郎君に操を立てたのだ。


 彼に与えられた熱量を高彦君に上書きされることを無意識に拒んだ。

 

 それは私自身も気がついていなかった。

 

「それって……彼に選択を任せるってこと、だよね」


「うん。カスミンが自分で決めきれないなら、もう一度その人にお願いするしかないでしょ」


「だけど、私は何も成長してない」


 それこそが私の苦悩における最大の要因だった。

 高彦君に歩み寄る努力もしないで、勇太郎君になびいても良いのだろうか、と。


 でも愛也奈あやなちゃんはハッキリと答えた。


「そんな事ないよっ。だってカスミンはずっと彼氏に寄り添おうとしてきたじゃない。それを受け止めるでもなく、分かろうともしなかったんだったら決定的に相性が悪いとしか言えないよ! カスミンは何も悪くない。少なくとも十分過ぎるほど努力した筈だよっ」


愛也奈あやなちゃん……うん、ありがとう。じゃあ、私なりに文面を変えてその人に送ってみるね」


「うんうん。それが良いよ。彼氏に寄り添おうとするカスミンは立派だけどさ、その彼氏はちょっと業が深すぎる気がするからさ。人には相性ってものがあるんだし」


 その言葉に私は救われた。

 自分がやってきたことが、ちゃんと彼氏に寄り添う努力であるとハッキリと肯定されたことが嬉しかった。


 そして、相性。これも大きかった。

 私は不安なんだ。


 曲がりなりにも一年付き合って分かった。

 高彦君は、性癖は歪んでて不器用なだけで、とても真っ直ぐな人であること。


 人を愛する事に関して誠実であろうとしている人であると。


 涙まで流して誓いを立ててくれたのだから、彼の性格を考えれば、寝取らせの性癖は『我慢』するだろう。


 でも、あくまで『我慢』なんだ。もしも、これから先の未来で我慢が効かなくなり、勇太郎君以外で寝取らせをしようと言い始めたら……。


 そう考えると、高彦君との将来に不安を感じざるをえなかった。


 私は、彼に歩み寄るには既にどうしようもないほど疲れ切っていた。


「たぶんその彼氏にはもっと主張の強い女がふさわしいと思うよ」

「うん、そうかもしれないね」



 

 愛也奈あやなちゃんが帰った後、私はシャワーを浴びながら先ほど送ったメールの内容を思い出していた。


 勇太郎君に送った一本のメール。

 それは決断することができない私の救難信号に近いものだった。


 私は自分の気持ちを決めきれない。

 決断することができないでいた。


 もう一手、何か決め手が欲しい。


(卑怯者……卑怯者……卑怯者……)


 自分を責める言葉が頭の中で繰り返される。

 自らの意志で決めきれない自分の弱さが心底憎かった。


 しかし、このままではいけない。成長しないといけない。


 自分自身の卑怯さ加減に辟易へきえきしつつ、このままではいけないという想いから勇太郎君に救いを求めた。


 身体が、疼いて疼いて仕方が無い。


 あの日を境に、私は高彦君とエッチする事ができなくなってしまった。


 どうしても思い出してしまう。あの日味わった圧倒的な充足感を。


 自分の身体が誰のぬくもりを求めているのかを、私は心の底で理解してしまっているのかもしれない。


 まもなくあの日から四日が経つ。

 生理という言い訳もそろそろ通じない。


 その前になんとか決着を付けなくちゃ。


 私は卑怯だ。

 肝心なことが何も決められない。

 どうするのが正解なのか分からない。

 選択を間違えて、傷つくのが怖かった……。


 高彦君は自らの過ちを認めて、性癖の誘惑を押し殺して歩み寄ろうとしてくれた。


 本筋で言うなら、私は彼に応えるべきなのかもしれない。


 彼が決意したのと同じように、私も変わることを決意して歩み寄るべきなのかもしれない。


 だけど……。その間ずっとあの苦しいセックスに耐え続けるのか。

 

 あの日、彼と体を重ねて感じた快感は、多分まだ残っていた勇太郎君の残滓のおかげだと思う。


 私も積極的に高彦君とのセックスを楽しむべきなのか。


 でもそのビジョンがどうしても浮かんでこない。イメージできない。


 もう高彦君の感触が思い出せない。頭に浮かんでくるのは、勇太郎君のことばかり。


 全てを満たしてくれた勇太郎君と、比べてしまわないだろうか。


 あの最高を味わってしまった私が、果たして高彦君と付き合い続けていけるのだろうか。


 これから先、高彦君とやっていけるだろうか。彼と重なるたびに、勇太郎君の熱量を思い出して比較してしまわないだろうか。


 そして何より……


「私、本当に高彦君のこと、好きだったのかな……?」


 心と体が乖離して、自分の本当の気持ちが分からない。


 私は気がついてしまった。彼に対して感じていたのが、不満とストレスだったことに。


 好きであろうとするあまり、本当に好きなのかどうかも分かろうとしなかった。


 私は、あまりにも恋愛に未熟だったのだ。


 だから、だからこそ……


「助けて……勇太郎君……」


 一番悪いのは私だ。だけど、もう自分の力ではどうしようもなかった。

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