第10話 本当の幸せって?【side佳純】

【side佳純かすみ

 ドクンッ……ドクンッ……ドクンッ……


 エレベーターの扉が閉まり、勇太郎君の顔が見えなくなったところで壁に背を預ける。


 心臓の音がうるさい。

 顔が真っ赤に腫れ上がったように熱くなっているのが分かる。


「キス、しちゃった……自分から、彼氏じゃない人に……」


 ほっぺに……だけど、自分の意志で彼氏じゃない男の人に唇を差し出した。


 高鳴る心臓が激しい鼓動を打ち鳴らし、呼吸困難に陥るかと思うくらい息を荒くする。


 彼といると、自分が自分じゃなくなっていくみたい……。


 いや、違う。私は自然体なんだ。


 それが当たり前であるような、それが許されるような、ごくごく自然な私でいられる時間。


 それが勇太郎君との時間で感じていた事だった。


 彼との会話は凄く楽しくて、趣味が合って、ウキウキして、デートはドキドキさせられっぱなしだった。


 中学の時から変わらない、大きな安心感。

 それでいて大人びた紳士的な振る舞いに、私は心からデートを楽しむことができた。


 さっきなんて、私は本当に彼とキスをしても構わないとすら思ってしまった。


 彼氏でもない人なのに、そこまで心を許してしまっている。


 私、勇太郎君に恋している?


 ううん。だって私は高彦君の彼女だもの。そんな筈はない。


 でも、デートが終わる度に、もの凄く寂しさを感じてしまうのも本当だった。


 高彦君のことは好きな筈。

 それは普段の彼と過ごしている日々の中でも認識している。


 でも、それ以上に、毎週日曜日のデートを楽しみにしている自分がいた。


 私は高彦君が好き……の、筈。

 でも勇太郎君の事も同じくらい、好きになっているのかもしれない。


 気がつけば勇太郎君の事を考えている時間が増えている気がする。

 

 今だって、このエレベーターをもう一度降りて、追いかけたくなってしまっている。


 あの時、おでこにされたキスが唇だったなら、どんなに良かっただろうなんて、考えてしまっている。


 私は、望んでいた? 勇太郎君とキスすることを、完全に受け入れていた……?


「うわっ、あ、あれ? カ、カスミンじゃんッ、どったのよっ!?」

「え?」

「ビックリしたぁ。誰かうずくまってると思ったらカスミンなんだもん」

 

 気がつくと目の前に愛也奈あやなちゃんがいた。

 心配そうにする愛也奈あやなちゃんに顔をのぞき込まれ、そこでようやくエレベーターに乗りっぱなしでうずくまっていた事に気がついた。


「具合悪いの? 病院行く?」

「あ、ち、違うの。さっきまでデートしてて、それで」


「あ、なーるほど♪ 彼氏とドキドキデートだったわけだぁ」


 私の反応を見て安心したのか、急ににんまりと笑顔を見せる愛也奈あやなちゃん。


「あり? でもそんだけ盛り上がったのに、お泊まりデートにはならなかったんだ」

「う、うん。ちょっと疲れちゃってね。そうだ。お茶煎れるから上がっていかない?」

「いいの? いくいくッ!」


 私はこの高鳴る心臓を少しでも紛らわそうと、愛也奈あやなちゃんを部屋に誘った。


 他愛のない話をしながら、やがて気分は落ち着いていった。


「最近のカスミン、凄く楽しそうだよね」

「え、そ、そうかな?」


 それはきっと勇太郎君のおかげに違いなかった。


「なんかさー。悪いと思ってずっと言わないようにしてたけど、カスミンの彼氏ってちょっと問題ありそうだなって思ってたんだよね」

「あ、あはは……。まあ、ちょっと突っ走っちゃう人だから」

「でもさ、なんか最近のカスミン見てると大分変わってきてる感じがする。もしかして、彼氏変わった? あ、違う彼氏になったってこと」

「え、ううん。ずっと同じ彼氏だよ。でも、確かに最近は凄く楽しい、かな」


 彼氏との時間ではないけれど、とは言えなかった。

 

「先週のサファリパークやその前の水族館の時も思ったけど、その彼氏の変わりっぷりは凄いよ。なんかウチの元彼みたい」

「そうなんだ」


 私はここ最近の勇太郎君とのデートが彼氏とのデートとは違う事をあえて話していなかった。


 そんな事を言っても混乱させてしまうだけだし、なんとなく後ろめたい事をしている自覚はあったからだ。


 だけど、誰かに話さずにはいられなかったから……。


 愛也奈あやなちゃんには悪いけど、彼氏との事だと偽ってその日の出来事を報告していた。


「いやぁ、ウチの元彼ってさ、気遣いができて、紳士的で、優しくて温かくて。最高の男だったなぁ」

「凄いよねぇ。なんだか理想的」

「しかもエッチが上手いんだコレが。何回ガチ昇天するかと思ったか分かんねぇ(笑)」

「あ、あはは……」


 羨ましいな、と思った。愛也奈あやなちゃんは元彼さんともの凄く幸せなセックスをしていた。


 少なくとも、愛也奈あやなちゃんにとってはセックスは幸せだった。


 彼女が元彼さんと別れた理由については聞いている。


 それはなんとも彼女らしいというか、なんとなく分かるような共感できる理由だったのだけど……。


「はぁ……今になって思うよ。なんで別れちゃったんだろうって」


 後悔の念が強く募っていることが分かる。

 愛也奈あやなちゃんは元彼さんと別れてしまったことを酷く後悔していた。


「でも、悪いのはウチだからさ……今頃はもっと素敵な彼女作ってるんだろうなぁ」


 何度もそう言っていた。でもその思い出はどれも美しいもので、特にベッドの上では毎回のように天国みたいだったと。


 セックスは幸せになれる。彼女は幾度も私にそういった。


 私は、その経験はない。勇太郎君となら、そうなれるだろうか?


 約束の一ヶ月まで、あと一週間。来週のデートの後、いよいよその日を迎える事になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る