第8話 報道が作り出す「敵」と「味方」
報道は、しばしば「善」と「悪」の単純な二項対立の物語を描く。視聴者の感情を引きつけるために、特定のグループや個人を「敵」として設定し、それに対抗する「味方」を称える構図が作り出される。これは一見すると分かりやすく、エンターテイメント性の高い構成に見えるが、その裏には深刻な問題が潜んでいる。
メディアが作る「敵」
犯罪や社会問題が報じられる際、メディアはしばしば「敵」を探し出し、それを視聴者に提示する。その敵は、若者、移民、精神障害者、あるいは母子家庭のように、社会的に弱い立場にあることが多い。視聴者が「こういう人たちが問題を起こしている」と信じ込むように仕向けることで、報道は一種の娯楽的要素を持つようになる。
たとえば、ある事件で容疑者が精神疾患を抱えていると判明した場合、メディアはその疾患に焦点を当て、「だからこの事件が起きた」と結論づけるような報道を行う。このような報道は、他の精神疾患を抱える人々をも「潜在的な危険人物」として扱う偏見を広める。
「味方」を称賛する報道
一方で、メディアは「味方」を称賛する報道を行うことも多い。たとえば、犯罪被害者や災害の被災者が「立ち上がる姿」を描くことで、視聴者の感動を誘う。このような物語は、視聴者に希望を与える一方で、問題の本質を曖昧にする危険がある。
災害報道では特にこの傾向が顕著だ。被災地の人々が復興に向けて努力する姿を「美談」として報じる一方で、復興が進んでいない地域や、支援が行き届いていない現実はほとんど報じられない。これにより、視聴者は「問題はすでに解決した」と錯覚し、本来必要な支援の声が上がらなくなる。
対立を煽る構造
報道が「敵」と「味方」を設定する背景には、視聴者の感情を操作し、番組への関心を引きつける意図がある。特に、対立を強調することで視聴者を引き込み、ニュースの視聴率や記事のクリック数を稼ぐ手法が多用される。
この手法は、社会的な分断を深める原因にもなる。たとえば、移民問題では「地元の労働者VS移民」という対立構造が描かれることで、両者の間に不必要な緊張感を生む。また、特定の政党や政策を支持する報道では、反対派を「敵」として描き、対立を煽ることで視聴者の感情を刺激する。
「敵」と「味方」の単純化の危険性
「敵」と「味方」という単純な物語は、視聴者に分かりやすさを提供するが、その分、物事の本質が見えなくなる危険性をはらんでいる。問題の背景にある複雑な要因や、当事者の多様な声が無視されることで、解決の糸口を見失う可能性が高まる。
さらに、視聴者自身が報道に影響され、「敵」とされたグループに偏見を抱くようになる。これは、社会的な分断や差別を助長するだけでなく、対立の解消をより困難にする結果を招く。
報道の責任と私たちの視点
報道は「善悪の物語」を提供するのではなく、事実を伝える責務を持つべきだ。本来、ニュースの役割は視聴者に複雑な現実を伝え、考えるきっかけを与えることにある。しかし、視聴者の注意を引くことばかりを優先する現在のメディアは、その役割を果たしているとは言いがたい。
私たち視聴者も、報道が提示する「敵」と「味方」をそのまま受け入れるのではなく、冷静に事実を見極める必要がある。ニュースが描く物語の裏に隠された視点や、意図的に削除された声に耳を傾けることで、偏見や分断を防ぐことができる。
次回は、報道がどのようにその責任を放棄し、「監視者」ではなく「加担者」として機能しているのかについて掘り下げる。特に、政治やスポンサーの影響を受けるメディアの構造的な問題に焦点を当てる予定だ。
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