第4話 無視される障害者イベントと多様性の軽視
デフリンピックやパラリンピックのような障害者を主体とした国際的なイベントは、社会の多様性を象徴する重要な機会だ。しかし、それらがメディアで大きく報じられることはほとんどない。オリンピックと比較すると、その取り扱いの差は歴然としており、これが視聴率至上主義による選別の結果であることは明白だ。
障害者スポーツが持つ意味
障害者イベントは、単なる競技ではない。そこには、困難を乗り越えたアスリートたちの努力や、多様性を尊重する社会の理想が詰まっている。しかし、メディアはこれを十分に伝えていない。なぜだろうか?
理由の一つは「関心が集まりにくい」というメディア側の思い込みだ。障害者の活躍に興味を持つ視聴者が少ないとされ、報道量が削られてしまう。この思い込みは、視聴者が情報を受け取る機会を奪い、結果的に障害者への理解が深まらない悪循環を生む。
パラリンピックの現実
たとえば、パラリンピックの報道時間はオリンピックに比べて圧倒的に少ない。オリンピックの熱狂的な報道の後、パラリンピックが始まっても「これ以上盛り上がらない」という理由で、取り上げられる頻度が激減する。この無関心の裏には、「健常者の競技だけが価値がある」という暗黙の偏見が存在している。
また、デフリンピックに至っては、そもそもその存在すら知らない人が多い。デフリンピックは聴覚障害者のための国際大会で、競技に独特の工夫が必要となるが、それを伝えるメディアがほとんどないため、社会に認知される機会が非常に少ない。
社会に与える影響
こうした報道の偏りは、障害者に対する偏見を強化しかねない。彼らの存在や活躍を伝えないことは、障害者が「特別な存在」として社会から切り離される要因の一つとなる。また、障害者スポーツに触れる機会が少ないことで、多様性を理解しようとする社会全体の意識も低下してしまう。
メディアがすべきこと
メディアが視聴率を優先するのは、ビジネスとしての側面から仕方がない部分もある。しかし、報道機関にはそれ以上の責務があるはずだ。多様性を伝え、障害者の活躍を社会に浸透させることは、その一つの大切な役割だろう。
たとえば、障害者スポーツの魅力を広めるための特集番組や、選手個人に焦点を当てたドキュメンタリーを増やすべきだ。SNSやオンラインメディアも積極的に活用し、テレビの視聴率に依存しない形で発信していく必要がある。
読者に問いかける
私たち一人一人が、障害者イベントにもっと関心を持つことが、偏見をなくし多様性を尊重する社会を作る第一歩だ。あなたは、次のデフリンピックやパラリンピックをどれだけ知っているだろうか?
次回は、SNSの普及によって浮き彫りになった「メディアの嘘」と、同時に広がる規制の現実について考える。SNSは本当に私たちを自由にしてくれるのか、それとも新たな管理の道具になるのかを探っていきたい。
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