第3話 災害報道の「一過性」とその裏側

災害が発生すると、メディアは一斉に現場の状況を伝える。崩壊した建物、泣き叫ぶ被災者、物資を求める人々の映像がテレビやインターネットを通じて次々と流れる。確かに、初動での迅速な報道は必要だ。被害の実態を明らかにし、社会全体に支援を呼びかける役割を果たす。しかし、その報道はいつも長続きしない。


たとえば、震災や豪雨災害の報道を思い出してほしい。被害が起きた直後は、24時間体制でのニュースが展開されるが、数週間も経つとその話題は消えてしまう。復興が進んでいるのか、被災者がどのような生活をしているのか、といったその後の状況はほとんど報じられなくなる。メディアが災害を一過性の「ニュース」として消費し、それ以上追求しないのはなぜだろうか。


この背景には、視聴率至上主義がある。災害報道が視聴者の関心を引くのは「ショッキングな初動の映像」だけであり、復興や支援の継続的な話題は注目されにくい。テレビ局や新聞社は「新しい話題」を求めて次のニュースへと移り、未解決の問題が置き去りにされる。


さらに問題なのは、報道の「切り取り方」だ。被災地の復興を報じる際、「前向きな姿」を強調し、深刻な問題を意図的に隠すケースがある。復興が進んでいるように見せることで、社会に安心感を与える一方で、まだ支援が行き届いていない地域や、被災者の声が十分に反映されない現実が隠されてしまうのだ。


また、インタビューの際に配慮が不足していることも問題だ。突然カメラを向けられ、状況を説明することを求められる被災者の心理的負担は計り知れない。特に、失ったものの大きさを再認識させられるような質問や、涙を誘う映像を撮ろうとする行為は、被災者の尊厳を軽視していると言わざるを得ない。


では、私たちは災害報道に何を求めるべきだろうか?

それは、災害直後のセンセーショナルな映像ではなく、長期的な支援の重要性を訴え、現地で起きている現実を継続的に伝えることだろう。報道機関は「今そこにいる人々の声」を拾い上げ、社会がその声を聞き続ける手助けをするべきだ。


次回は、障害者イベントがどのように無視されているのかを掘り下げる。視聴率至上主義の中で置き去りにされている、多様性とその重要性について考えてみたい。

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