第2話 視聴率至上主義が作り出す偏見

テレビや新聞などの伝統的なメディアは、視聴率や購読者数が収益に直結するため、「大衆が求める情報」を届ける傾向が強い。しかし、その「大衆が求める情報」という名のもと、特定の視点に偏った報道や印象操作が行われていることに、私たちはもっと目を向ける必要がある。


たとえば、若者や母子家庭、障害者といった社会的弱者に対する報道はどうだろうか。犯罪が発生した際、「若者」の非行や「母子家庭」の背景、「精神障害者」の特性がセンセーショナルに取り上げられることがある。まるでこれらの属性が事件の原因であるかのように報じられる一方で、事件の本質的な背景や社会構造の問題は軽視されがちだ。これにより、偏見が広がり、当事者たちが更なる苦しみを味わう結果を招いている。


障害者に関する報道もその一例だ。デフリンピックやパラリンピックといったイベントは、国際的に注目されるはずの大規模な行事であるにもかかわらず、ほとんど報じられない。理由は単純だ。「視聴率が取れない」と判断されているからだ。報道の少なさは、障害者への社会的理解を深める機会を奪い、彼らが抱える課題を「遠い世界の話」としてしまう。メディアが多様性を伝えないことで、私たちは知らぬ間に偏った価値観を内面化してしまうのだ。


さらに、報道は時に不安や恐怖を煽ることで視聴者の関心を引きつける手法を取る。たとえば、災害報道では、被災地の苦境を必要以上に dramatize(ドラマ化)する一方、復興の進捗や被災者の声を十分に伝えないことが多い。これは、視聴者の「目を引く」ことを重視しすぎた結果であり、その後の継続的な支援や問題解決には結びつかない。


視聴率至上主義の背景には、広告収益を求めるメディアの構造的な問題がある。しかし、それは報道機関が「何を伝えるか」を恣意的に決定する権力を持つことを意味する。伝えるべきことが伝えられず、むしろ偏見を助長するような報道が増えれば、社会はどうなっていくのだろうか。


報道機関が「センセーショナルな見出し」や「視聴者を引きつける話題」に偏る限り、私たちはその情報を鵜呑みにするのではなく、批判的に考える力を持たなければならない。次回は、災害報道の問題点とその「一過性」の本質について掘り下げる。ニュースが伝えない「その後」を考えることで、私たちは報道に対して何を期待すべきかを問い直す必要がある。

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