「愛はいかが?」

 星空のようなLED装飾に包まれて、わたしたちの体は下に引っ張られる。ホログラムで表示される現在位置はどんどん高くなっていって、横に示された数字が目まぐるしく増えていく。


『――お疲れ様でした。間もなく展望階・サウザンドビューに到着いたします』


 たどり着くのにはたったの2分しかかからなかった。エレベーターの扉が開くと、左右に立ったスーツ姿のスタッフに歓迎される。キチンと整った服装は本来ここに来るお客さんがだいたいお金持ちの人だということを暗に示しているようで、ちょっとだけ場違いな気分。けどそんなのを吹き飛ばすくらいに、すぐ先に見える景色がわたしたちを圧倒した。


「スゴい……ここがみらいビルディングの最上階……」

「ネオンの山脈のてっぺん。高さ1000メートルの展望エリア。隣に並ぶようなビルも雲もない、空の世界だね」

「窓際、行ってみようか」


 大きな大きな窓ガラス。見下ろせばミニチュアみたいな東京の街並みが見えて、見上げれば少し濁ったメタルブルーの空が果てしなく続く。東京でこんなに広い空を見れるのが信じられない。誰にも邪魔されず、わたしたち4人だけがこの景色の中に立っていた。


「にゃはは。いい眺めだね、ホントに」

「そうだね。あっ、集合写真撮りましょ? ドローン起動!」

「構図はどうしましょうか。上から街と撮るのも、下から空と撮るのも面白そうです」

「思いつくだけ撮りまくろうよ。気が済むまで何枚でも」

「いいね! たくさん撮ってね、みふゆ☆」


 ギュッと4人で集まって、上からも下からも。1人ずつでも撮って、2人ペアも全員の組み合わせで撮って。これは後で〈ImagineTalkイマトーク〉のグループチャットが画像の洪水になりそうだ。

 そうやって隅から隅まで展望エリアをグルグルしていると、太陽の位置が目に見えて変わっていく。


「――月って、明るくても見えるんだね」

「ホントだ。意外とキレイに見えるんだね」


 時間制限なんてないけれど、帰りの時間を考えるともう少ししたら降りないといけないかな、って頃合いに、わたしたちは横に並んで月を見ていた。青白い濃淡で地平線の近くに浮かんでいる。


「そういえば、まだ聞いてなかったことがあった」

「なぁに?」

「どうしてここに、東京のてっぺんに来たかったの?」

「にゃはは、言ってなかったね。大したことじゃないよ。ただてっぺんから見える景色を知りたかったの」


 でも、としのぶちゃんは続ける。


「ひとりでも、来ようと思えば来れた。だけどひとりじゃきっと……変なふうに聞こえるかもしれないけど、ひとりじゃきっとフラットにてっぺんを見れなかったから。ありがとうみんな。とってもキレイだった」

「こっちこそだよしののん。確かにこんな絶景、ひとりぼっちじゃ寂しくなる」

「ええ、みんなでここに来れて良かったです」

「だね。これからもさ、何か見るときはこうやって4人で並んで見たいな」

「……にゃはは、そうだね」


 チリン、と背後で音が鳴って、下りのエレベーターが扉を開けた。


◆◆◆


 上りもあっという間だったから、下りもあっという間だ。気づいた時にはもう地上1階に着いていた。このビルは商業施設でもありオフィスビルでもあるから、ロビーにはビジネスパーソンと一般客が入り混じっている。


「あーあ、終わっちゃったねぇ。でもこれで無事に登山旅は完了かな!」

「帰るまでが旅、ですよ。ここのお隣から地下鉄に直結しています」

「わたしとうさぎちゃんはほぼ一緒だからいいとして、みふゆとしのぶちゃんはどこで乗り換えだっけ……しのぶちゃん?」


 振り返ると、しのぶちゃんはエレベーターの中で『開』ボタンを押したまま残っていた。その隣には運搬ロボットが。


 直後、ロボットが突然変な音を出して震え出す。ガクン、と沈黙してから再び動き出したとき、アイカメラの縁には赤いライトが光っていた。


『――や、久しぶり。元気にしてた? しのぶのお友達のみんな』

「なっ、その声って……」

「しのぶちゃん家の、ロボットAI……!?」

「な……何が一体どういうことなんですか」

「にゃはは、ごめんね。アタシがここに来たのは、もう1個理由があったの」


 昨晩見たような顔で、しのぶちゃんは口を開く。


「アタシの願いは叶えられた。だから今度は、この子たちの願いを叶えてあげないといけない」

「……それって、契約だから?」

「ゆかぴ……!?」

『ボクたちの喋りすぎ、覚えられちゃってたんだ。でもここから先はキミたちとは無関係の物語だ。巻き込むことはできない』

「ちょっと待ってよ、何する気なの――」


 ――ありがとう、うさぴ、みふぴ、ゆかぴ。アタシの友達になってくれて。みんなとの思い出、絶対忘れない。


 その言葉と共に、しのぶちゃんが『開』ボタンを指から話す。


 ダン!! と大きな音がして、ビル中が真っ暗になった。ロビーを行き交っていた人たちが口々に「停電か!?」と叫ぶ。ほんの10秒足らずで明かりは回復し、周りの人も元通りの落ち着きを取り戻す。


 だけどわたしたちの目の前のエレベーターは閉じられていて。ロボットの荷台に積んでいたはずの荷物が側にポツンと置かれていた。

 その中に、しのぶちゃんの荷物だけが無くて。


「ちょっと……! しのぶちゃん! ねぇ!」


 階数表記がないまま動き出すエレベーターの駆動音がだんだん小さくなっていった。


 そして、非常警報が鳴り響いた。


◆◆◆


 メッセージを送る。付いた既読は2つ。最後のひとつはいつまで待っても増えない。


 あれから2日経った。わたしたちはどうすればいいか分からずに、ただグループチャットへメッセージを重ねていくことしかできなかった。


 〈QuShiBoクシーボ〉を開くと、今日もあのについての投稿がズラリと並んでいる。東京みらいビルディング32階、クラインテック東京支社の『商品サンプル』が突如脱走したとか何とか。MOZシリーズ最新型のボディ、展示用の生身付き。しのぶちゃんとあのAIが関わっていることはわたしたちには明白だった。


 視界の片隅でスケジュール通知がポップアップする。バイトの時間か。今日がシフトだってことも忘れてしまっていた。うさぎちゃんと一緒の出勤だったことは少しだけ幸いだったかも。


『おや、何だか浮かない顔をしているね。ふたりとも』


 出勤したら、着替える間もなくアニムスさんにそう言われてしまった。


「あはは……バレちゃいますか」

「そうですね……ちょっと色々、ありまして」

『ふむ。気分が落ち込んだまま仕事をしても調子は出せないだろう。話せる話であれば聞こうか』


 細かいところはボカしながらだけど、わたしたちはあの日起こったことをアニムスさんへ伝えた。アニムスさんはまるで面接のときみたいに、静かにわたしたちの言葉を聞いてくれた。


『親友が突然音信不通か。確かにそれは気が気ではないね』

「……ここでお別れになっちゃうなんて、絶対イヤです」

「わたしもイヤ……! だけど、どうすればいいのか……」

『そのお友達の家は、訪ねてみたかい?』

「それは……まだですけど、でも遠くに住んでいて」

『しかしいつものゆかり君だったら、後先考えず電車に飛び乗っていそうだけれど?』

「それは……」

『ふむ。ならひとつきっかけを与えてあげようか。今日のキミたちの仕事は、だ』

「…………あ」

「そういえば、あのロボット……」

『交通費はよく分からないが、これくらいあれば十分かな?』


 アニムスさんから〈ImaginePayイマペイ〉の入金が。その額が1のに気づいて、わたしの体は弾け飛んだように部屋を出ていた。走りながらみふゆへ通話をかける。


「みふゆー! 今時間ある!? 今から行くよ――――つくば!」


◆◆◆


 ピンポーン、とインターホンの音色が静かなエントランスに響く。これで3回目。応答はない。

 地下駐車場にも潜ってみた。あの黒くて大きい車は停まっていなかった。


 途方に暮れた。ここまで来たのに。空はすっかり暗くなっていた。


「どこにいるの……しののん」

「どう、すればいいんだろう。これから」

「どうするって言っても……もうこんな時間になってしまいました……」


 ぼんやりと街を見ていた。どこかにしのぶちゃんがいないかな、なんてバカな期待にけて。


 ぼやけ始めたわたしの視界は、街中にユラリと揺れるピンク色の髪に収束していく。あれれ、とうとう幻でも見始めちゃったのかな。だけどその人は遠くからじっとわたしの目を見つめ返していて。

 思い出に残るあの顔で、はっきりとどこかを指さして、いなくなった。


「……!」

「ちょっと、ゆかりん!? まさかいたの!?」

「分かんない! けどもしかしたら……もしかしたら!」


 走る。走る。あの人が指さした先へ。


 その街角へ立っていたカラフルな髪の女の子へ。勢いのまま突っ込んだ。


「しぃぃぃぃぃのぉぉぉぉぶぅぅぅぅぅぅちゃぁぁぁぁん!!」

「!? ゆかぴ……にゃぁっ!?」

「しののん!」

「しのぶさん!」

「みんな……どうして……」

「おバカ!! なんで! なんでいなくなったの! あんな突然!」

「ゆかぴ……それは、あの子たちとの契約で……アタシの願いは叶ったから……」

「何よ契約とか! しのぶちゃんの願いって!」

「アタシの、願いは……ただ、ただフツーに青春をしたかった。だからみんなと出会えて、アタシはホントに幸せになれ――」

「じゃあまだ全然叶ってないじゃん! まだ1年も経ってないんだよ!? もっと行きたいところも遊びたいことも話したいこともたくさんあるのに! あの空を見たのがわたしたちの最後でいいの!? そんなの自分勝手すぎるよ! 青春!? まだまだこれからじゃん!!」

「……! そっ、か。そうだね。ごめんねゆかぴ。ごめんね、みんな」


 抱きついたままのわたしの体を、しのぶちゃんの腕がそっと抱き返した。ほんのり暖色交じりの街頭が全員を照らす。みんなの頬を流れる涙も隠すことなく。


「ねぇ〈フィロソファー〉、いるんだよね」

『いるよー……。ええと、その、色々とごめんね』

「あっ、荷物持ちのロボット!」

「あぁ……! この、このー! アルファなのか誰なのか分かんないけどあなたも本当におバカ!」

『うわうわわ!』

「ゆかりさん! 機体は! 機体はわたしたちのロボットですから壊しちゃダメです!」

「にゃ、ははっ! ねぇ〈フィロソファー〉、契約更新ね。アタシの願いは……みんなと、ずっと一緒にリア活すること! だからアタシの願いに、また協力して?」

『――改めて言われなくてもそのつもりだったよ? 最初からキミの願いはタイムライン上の特定イベントではなく状態の変化と維持じゃないか』

「……にゃ、は?」

『キミを今日ここで突っ立たせてたのだってそう、キミを『日常』へと送り返すには友人との離別と再会というプロセスが必要だと思ったからであってうわうわわ!』

「にゃっ、この、このー!」

「しのぶさんまでー!? 壊さないでくださいー!」


 あぁ、なんか。なんか本当に。全身の力が抜けてしまう。それを支えてくれる力で、しのぶちゃんがここにいることを強く感じられる。


「あはは……さて、ようやくこれ送れるよ」


 そう言ってみふゆは〈ImagineTalk〉のグループチャットに写真を送る。ポコポコポコ。いや多いな。こんなに撮ってたんだ。


「にゃはは! いっぱいだ! いつまでも見てられるね」

「みなさん、明日から学校ですよ。しのぶさんもちゃんと来てくださいね? 約束ですよ」

「もちろん! 約束ね☆」


 さてと、それじゃあ改めて。みんなでしのぶちゃんに向き直り、声を揃えて。


 おかえりなさい。


◆◆◆


 フワッと意識が遠くなって、心地よい熱と涼しげな風と共にじんわり戻ってくる。耳をすませば揺れる草木の音と、遠くでツクツクボーシと鳴くセミの声。

 目を開けば快晴の青空の下に、古き良き平成時代の校舎が見える。『ネウロンE-7』と刻まれた校門前には袖余りスーツにメガネ姿の女性教師――狐森先生が立っていて、登校する生徒と挨拶を交わしている。


 と、わたしのすぐ後ろで登校ログインの光が生まれた。振り返るとそこにいたのは、藍色ロングヘアの子に、茶髪お団子メガネの子。

 そして、ミルキーホワイトのツインテールをしたギャルっ子も。


「おはようございます。ゆかりさん」

「おはよん!」

「おはよっ、ゆかぴ☆」


 視界の隅に表示された暦は9月。今日から2学期だ。


「おはよう。みんな」


 うさぎちゃん。みふゆ。しのぶちゃん。そして、わたし。みんなで校門をくぐり抜けた。

 そして今日からまた、わたしたちの日常が始まる。



デジタルシティ・りあるでいず 〈第1部完〉

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