イミテーション・アクアリウム

 透明な板1枚へだてて、小さな魚影がわたしの前を通過する。


 この仮想空間は青色でできていた。青い絨毯に、大きな水槽。天井までもが青く塗られていた。


「あの群れ、なんでしょうか? とても大群ですね」

「説明しよーぅ。あれはイワシの群れだね。その数は数百から数千匹で構せ……」

『イワシは単独で行動することは少なく、常に群れを作る習性があります。何千匹ものイワシが連携し一斉に方向を変えることで、捕食者を混乱させたり、攻撃を避けたりすることができます』

「にゃはは、みふぴが解説横取りされた~」

「この世界ワールド、音声ガイドが自動で流れるんだよぅ。みふゆさんの存在意義がっ!」


 現実世界では令和の頃まで一般人も入れた水生生物保護研究施設、水族館。


 わたしたちが没入ダイブしたのは、その時代のような観光用ワールドだった。


◆◆◆


「みんな、次ここ見てみよ☆ トンネル型になってる水槽だって!」


 胸の高さに表示させたエリアマップを指さして、しのぶちゃんがそう告げる。隣まで行こうとした瞬間、ハイテンションな大学生くらいのグループが横切ってきてビックリした。夏休みシーズンということもあってか、館内には他のお客さんもいっぱいいる。

 だけど物理的なキャパを無視できてしまえるのが仮想空間の強みだ。展示はどれも広々としていて、順番待ちなんてものは起こらない。


「そこってどんなのが泳いでるの?」

「マンタとかちっちゃいサメとかだそうよ。真上を泳いでくれるんだとか」

「ほほう。行ってみよう」


 クラゲの漂う円柱形水槽の横をを何本か通り抜け、話にあったトンネルへ。細長い道を水が包み、色々な姿形の魚が泳いでいる。アナウンスに負けじと解説するみふゆ曰く、泳いでいるのはマンタことオニイトマキエイとか、カレイとか、クロマグロとかとか。その中には……えっ、人が海底を歩いてる!?


『体感エリアでは実際に海の中を歩き、お魚たちを間近で観察することができます』

「だそうよ。あそこから入れるみたい」

「えっと……仮想空間とはいえ、この服のままで向こう側に入っちゃうんでしょうか?」

「にゃはは、とりあえず行ってみよっ♪」


 わたしたちは『体感・海中散歩エリア』という文字の浮かぶサークルの中に入って、移動ボタンをタップした。まばたきする間もなく海の中にいた。狐森先生がいつもやってるテレポートってこんな感覚なのかな。

 視界は完全に海。頭上は日光で光り輝いている。だけど息が普通にできるし、冷たさも水の感触も何もない。都合の悪いことを無視できるのがやっぱり仮想空間って感じだ。まぁリアルに溺れさせられても困るけど。


 さて海中に入ったわたしたちの前には、紅白色のお魚がフヨフヨ浮いている。魚に触れてみようと手を伸ばしたら、勝手に解説ウィンドウが現れて魚を囲んだ。マダイ。スズキ目スズキ亜目タイ科。ふーん。


「ゆかぴ見て見て~。おっきなのがこっち来たよ~。スゴく速い」

「そいつはクロマグロだね。実はずっと動き続けないと呼吸ができなくて死んじゃうんだ」

「マグロ……本当のお魚としては、こんな姿をしているんですね」

「だね。成型ペーストサシミと結びつかないなぁ」


 マグロはわたしたちの周りを高速で泳ぎ回る。昔の人はこの魚を捕まえて食べていたのか。わたしにはそれも想像がつかなかった。


◆◆◆


 わたしたちは屋外エリアに移動した。遠くでは遊園地みたいな絶叫と歓声が響いている。この世界ワールドにはこうしてお魚観察をする以外にも、少しレジャー的なアクティビティが用意されている。というかお客さんの多くはそっちが目当てだ。


 わたしは水槽前のベンチへ腰かけた。ペンギンは流氷の小島や水面でのんびりしている。


 と、ペンギンが1頭、流氷の端までテケテケ歩き、そこから水の中へダイブした。そのペンギンは裏手にグルっと回るとまた流氷に登り、ダイブ。


 おお、ペンギンもそういう遊びとかするんだ――そう思って視線を動かした先に、若いカップルの観光客がいた。その手元に浮かび上がるインターフェースには『飛び込みを見る』と書かれたボタン。


 ボタンが押される。ペンギンがダイブする。流氷へ戻る。


 ボタンが押される。ペンギンがダイブする。流氷へ戻る。


 ボタンが押される。ペンギンがダイブする。流氷へ戻る。


 その動きは、まるでペンギン自身が楽しんでいるかのように自然に。


「……ねぇ。あなたは飛び込むの、楽しい?」

「ゆかりさん?」

「あぁごめん。なんかこのペンギンって、本当に自分の意思で動いてるのかなって思ってさ」

「確かに、本当に生きてるみたいだよね」

「本物っぽさは確かだね。実際に『水族館』が運営している世界ワールドだからさ」

「ゆかりさんの気になっていること、分かった気がします。この仮想空間で泳いでいるお魚たちに意思はあるのか。お魚たちは生きているのか、ということですよね」

「うん」

「難しいねぇ。みふゆさん的には、頭のいいAIってもう生きてるって言ってもいいんじゃないかって思うけど。しののん家の謎ロボみたいな」

「にゃはは。……ねぇゆかぴ。ゆかぴはアタシたちのこと、って思う?」

「え? そりゃ生きてるでしょ」

「どうして?」

「どうしてって……そんなこと言われても」


 うさぎちゃんやみふゆも各々考えた。けど、うんうん悩んで結局「「「分かんない!」」」と斉唱。しのぶちゃんは笑いながら、わたしを後ろからハグした。


「にゃははっ! アタシも分かんないよっ☆ ゆかぴがホントに生きてるのかなんて。でもアタシは、ゆかぴもみんなも

「信じてる、ですか」

「うん。アタシはアタシが生きてるって分かってる。でも自分以外が生きてるかどうかって、信じることしかできないんじゃないかな?」


 キラキラとしのぶちゃんの目が輝く。それは仮想空間の演算によるものだとしても、その目は活き活きしているように見えた。


「信じるしかできない、か」


 プカプカと、ペンギンが水面を浮かんでいた。


 ――ねぇ、あなたは自分が、生きてるって思う?


 わたしがそう呟く横で、『飛び込みを見る』ボタンは再び押された。

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