夏と修羅
『Kopfloser Ritter』でのアルバイトは、ただ無人のホールを掃除し続けることだけじゃない。時にはシフトの日に誰かがコンサートを予定していることもあって、そういう時はわたしたちが裏方スタッフとして色々動くことになる。
その日もまたアニムスさんから『今日ライブをする音楽家がいる』と言われ、うさぎちゃんが楽屋のお掃除、わたしがエントランスでその音楽家さんのお出迎えをすることになった。
無音のエントランスでひとり待つこと数分、エレベーターが1台地上へと動き出した。わたしはビシッと背筋を正す。
そして、チリーンと音が鳴りドアが開く。業界では朝じゃなくても「おはようございます」って言うらしい。なのでそう大きく挨拶しつつお
「おはようございます!」
「……」
んん、返事されない……。わたしが顔を上げると、そこには驚いた顔で高身長の女性がのけぞっていた。真っ黒な長い髪を後ろで束ね(それでも地面に付きそうなくらい長い)、濃い紫のジャージを着て、
そう思っていると女性は天井に向かって腕をワチャワチャ動かした。するとどこからともなくアニムスさんの声が。いつも思うけどどこから見てるの?
『――ああ。実はこの度、うちでアルバイトを雇うことになってね。ゆかり君、軽く挨拶してもらえるかな』
「あっ、はい! えーと、アルバイトの出角です。新人ですがよろしくお願いします」
『彼女はハル。見覚えがあるかな?』
「もしかして、わたしたちがはじめてここで演奏を聞かせてもらった……?」
わたしがそう言うと、女性――ハルさんは自分の胸をトントンと叩いたあとエアギターのようなジェスチャーをして、笑顔でお辞儀した。その間にアニムスさんから、〈
……でもあの時、ハルさんは歌っていたはずじゃ? 少し疑問に思ったけど、わたしはアプリをインストールしつつハルさんのキャリーバッグを預かった。
◆◆◆
楽屋までハルさんを案内した。ドアをノックしてから開けると、うさぎちゃんが緊張ぎみに「お、おはようございます!」とペコペコ。ハルさんも驚きながらペコペコ。ハルさんが『この人もアルバイトさんですか?』と言いたげにわたしを二度見したので、うさぎちゃんを紹介する。いちおう、うさぎちゃんには移動中に〈ImagineTalk〉で情報共有済みだ。
『にぎやかになって、びっくりです』とハルさんは笑いながら、天井に向けて手話をする。この部屋もアニムスさんは見えてるのかな。でも監視カメラっぽいものが見当たらないんだけど。
ひとまずキャリーバッグを置いて、わたしとうさぎちゃんは退室。ハルさんも丁寧にお辞儀を返してくれた。
「……なんだか、あの時見た演奏のイメージと全然結びつきませんね」
「だよね。あの時って、アニムスさんの説明のせいもあったけど、本当に『幽霊』みたいだなって思った。でも今日のハルさん、スゴい穏やかそうな人」
『ステージの上というのは特別な場所なのさ。そこで披露されるパフォーマンスとは、別にありのままの自分である必要はない。なりたい自分、魅せたい自分でいられるのがステージなのさ』
「なるほど……アーティスト性、みたいな?」
『そうだね。うちで演奏する『幽霊』たちは皆、自分の中に確固たる世界観を持っている。ハルもその1人だ。印象が変わると言ったって、悪い意味じゃないだろう?』
「そうですね。ハルさんの演奏、また聞きたい」
「わたしも……きっと、良い方なんだろうなって、思います」
『もうすぐリハーサルになる。それを見ればきっと彼女のことをより理解できると思うよ』
アニムスさんの眠る部屋で少し休憩しつつ、そんなことを話した。次はロボットたちを指揮して楽器の運搬だ。
以前見たことがあるように、ハルさんは『ひとりで3つの楽器を演奏する』というスゴ技をやっている。だけど今日ホールに来たとき、荷物はキャリーバッグだけだった。じゃあ楽器はどこにあるのかというと、このホールの倉庫。『ひとりで楽器を全部持ち歩くのは大変だから』って、アニムスさんが保管してあげているらしい。
小ホールへ到着したらうさぎちゃんに楽器の配置を任せ、わたしはハルさんを呼びに行く。
「失礼します。ハルさーん、リハーサルの準備ができまっ……!?」
扉の向こうのハルさんは、既に着替えとメイクを済ませていた。お坊さんのような黒い和服に、真っ白に塗られた顔。あまりにも
『腕を付けるのを、手伝ってくれませんか?』
「え、わたしが? いいんですか?」
キャリーバッグから出てきたのは背骨状の芯に2対の腕が付いたユニット。全体的なシルエットはトンボっぽいかも。ハルさんは上着をはだけさせ、わたしに背中を見せる。そこにはユニットとピッタリ一致する配置でコネクタが並んでいた。
全部が繋がったらハルさんの上着を全部の腕に通す。立ち上がった時にはもうあの穏やかな女性ではなく、あの日見た『幽霊』になっていた。
◆◆◆
観客のいないステージにハルさんが上がる。ギターだけはストラップを肩にかけ、側面のベースとドラムはスタンドで腕の位置に調整されている。
と、天井からケーブルが伸びてきて、ハルさんはそれをうなじに取り付けた。
次の瞬間、スピーカーから聞こえてきたのは歌声だった。
「ら、ら、ら……♪」
「……! その声、やっぱりハルさんが歌って……」
「そう。わたしの声。一度なくして、取り戻した、わたしの声」
そしてハルさんはアカペラのまま歌い出す。クールで透き通った伸びやかな声。だけどどこか、人工的に聞こえる声。
「――昔のようにはできないけど、こっちのほうが似合う音楽もある」
アカペラにギターが、ベースが、ドラムが増えていく。声色は変わらないはずなのに、あの物悲しい感情が乗ったように感じられた。
思わず聞き入ってしまって、演奏後に拍手までしちゃったあと、アニムスさんに言われて職務を思い出す。タブレット端末を操作して、お客さん誘導用のロボットを配置。数十分後には開場して、ぞろぞろと小ホールが埋まっていく。
わたしはステージ袖のハルさんへギターを渡し「もうすぐ開始です」と声をかける。指で可愛らしくOKマークを作る姿は、やっぱり演奏中の雰囲気と別物だ。
「あの、ハルさん。――ハルさんはどうやって、あの音にたどり着いたんですか」
そう聞いたわたしに、ハルさんは手話で答えた。
『
「……? いいえ……」
『仏を守護する神。だけど同時に、激しい怒りを宿した神』
「……怒り?」
『音楽に込められる想いは、必ずしも希望だけではないんです。色々なものをなくしたのに、それでも音楽をしたかった。気づいたらひとりで全員のパートをやっていた。――わたしって、ワガママなんだと思います。何が何でも、わたしが音楽をしたかった』
ハルさんはステージへ歩み出す。その姿を変えながら。穏やかでやさしい神から、苦しげに怒る神へと。だけど真逆に見える2つの顔は奥底で繋がっている。今のわたしにはそれが見えた。
ステージの幕が上がる。
そして彼女は、修羅になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます