アーティフィカル・ランニング

 自動ドアが開くと、とてつもない冷気がわたしたちを包んだ。……いや、たぶんこれは外が暑すぎるんだ。


「うおー涼しいー!」

「生き返りますね……」


 わたしとうさぎちゃんが訪れたのは、夏季限定で開いているフィットネスジム。

 夏の東京はひどいところだと50度に届きそうなくらい気温が上がるから、外で運動するのは危険すぎる。


 そんなわけで室内で運動できる施設の需要は大ありで、『普段は違う施設だけど、夏は室内ジムとして場所を提供する』っていうビジネスをたくさんの場所がやっている。ここもたぶん、いつもはレンタルオフィスとか何かなんだろう。


 受付と着替えを済ませてトレーニングエリアへ。中にはたくさんのランニングマシンやエアロバイクが並んでいる。筋肉をガッツリ鍛えるような大型トレーニングマシンも置いてはあるけど少しだけ。やっぱり期間限定の開場だから移動させやすい器具が中心になっているのかな。わたしたちも目的はランニングマシンだ。


 エリアの奥には他と仕切られて、台の上から大きなアームやケーブルが吊り下がった特殊なランニングマシンが2台置かれていた。

 そのうちの1台は使用中で、両腕をサイボーグ化した人が体をアームに繋げ走っている。壁に貼られた説明によると、どうやら〈ブレインネット〉と連動して視界に好きな景色を映しながら走れるらしい。


「こんなのあるんだ。楽しそうだね」

「しかしゆかりさん、ここ見てください」

「……ぐぇ、プレミアム会員限定器具なの。会費高っ」

「わたしたちは普通で十分ですね……」


 うぅ、庶民は大人しく普通のランニングマシンで走ります。うさぎちゃんと横並びでランニングマシンに乗る。まぁ最初は準備運動がてら軽くジョギングで。ボタンをポチポチすると、ゆっくり足元のベルトが回り始めた。


「そういえばうさぎちゃん、今日は普通に脚見せてるんだね」

「はい。自分の脚に、少し自信が持てるようになったんです。ゆかりさんたちのおかげですよ」

「うん。うさぎちゃんに似合っててカッコいい脚だよ」


 白と黒の金属素材でできたうさぎちゃんの脚は、静かに滑らかにベルトの上を動いていく。うさぎちゃんのフォームがいいってのもあるけど、スゴくキレイな動きだ。


「うさぎちゃんってさ、全速力だとどれくらい?」

「うーん……ちゃんと測ったことはないですね。カタログスペック上は確か100メートルを10秒で走れたはずですが」

「そんなに速いの? 生身じゃ絶対追いつけないなぁ」


 ちらっと周りを見渡すと、運動している人の何人かはどこかしらをサイボーグ化しているようだった。

 だけどそれはパッと見でサイボーグだと分かるような外見をしている人だけで、実際には人工皮膚でコーティングしている人もいるだろうからもっと多いと思う。


「身体能力だと、完全にサイボーグのほうが上だね」

「そうかもしれないですけど、身体能力だけが全てじゃないと思いますよ。サイボーグボディの感覚って、どこか生身のとは違う気がするんです。だから、ゆかりさんが自分の身体で感じている感覚は、とても大切なものなんだと思います」

「ありがと。わたしもそうだなって思う。自分の生身の身体、けっこう愛着あるからさ」

「わたしもゆかりさんの身体、好きですよ」

「え?」

「あっ……これは、その、いやらしい意味ではなく!」

「ふふ~~~~ん?」

「…………スピード上げますよ!」

「えっあっちょっと速ぁい!?」


 うさぎちゃん共々一気に時速16キロへ。かなりしんどい! うさぎちゃんも少し顔を赤くして呼吸がやや乱れていた。


 と、その時。うさぎちゃんの隣でランニングマシンが新たに動き出した。乗っているのは腕も足もサイボーグ化したスポーティーな恰好の女性。眼もゴテゴテしたゴーグル型のものをしていて、機械部分は全体的に青系統の迷彩柄だ。

 なんとその人は走り始めて数秒でどんどん加速し、わたしたちと同じ速さにまで並んできた。並走すること数分、さらにわたしたちを超えた速度へ到達する。


「はっ、はっ、隣の人、スゴいね……うさぎちゃん……」

「……ゆかりさん、わたし20キロ、いきます!」

「え!? うさぎちゃん!? ……うおおおおわたしも20だぁぁぁぁ!」


 負けじとわたしたちも速度アップ! ……いや無理無理! 時速20キロは生身用設定の上限スピードだ。何分かは保ったけど、出角ゆかりここで離脱。


 隣のサイボーグ女性は手のひらをランニングマシーンのモニターにかざし、さらにスピードを上げた。ああやって認証することでサイボーグ用の設定に切り替えることができるのだ。うさぎちゃんも受付でもらっていた認証用リストバンドをかざして設定変更していく。


 自分のマシンから降りてうさぎちゃんのマシン設定を見たら、速度はもう時速30キロまで上がっていた。ふたりの脚がとんでもない速さで動いている。さっきまで静かに動いていたうさぎちゃんの脚も青白い光の残像を生み出しながら、ギウウウウゥゥゥ! と音を立てている。


「が、がんばれ……うさぎちゃん!」

「はぁつ、はぁつ! 35キロ……40キロ……あのボディもしかして――あっ、もう、限界が! ゆかりさんっ!」

「うさぎちゃん!」


 ここまで速くなると流石に止まるのも大変だ。うさぎちゃんが飛び跳ねるようにランニングマシンから離脱。わたしは後ろでうさぎちゃんを受け止めた。


「大丈夫うさぎちゃん? って脚熱っつ!」

「脚が少し……オーバーヒート気味に……ゆかりさん、ラックから冷却材を……」


 サイボーグ脚のパーツが一部展開して、プシュー! という音と共に蒸気を排出した。そこへわたしがスプレー状の冷却材を吹きかける。


「オーバーヒートってのがあるんだね。サイボーグの脚も」

「はい。いくらでも動けるってわけではないんです」

「だいぶ無茶したねうさぎちゃん。でもスゴかったよ」

「あはは……少し燃えてしまいました。ゆかりさんだって、生身用の最高速度で走っていたじゃないですか。とてもスゴいです」

「そう? 昔からずっと運動は習慣にしてたからかな。でもあんなに速く走ったのははじめて」

「それにしても、あの人もしかして」

「知ってるの?」

「あのサイボーグボディ、おそらく警官専用のだと思います」


 うさぎちゃんを倒したサイボーグ女性はその後も数分間速度を維持し続け、そしてゆるやかに減速していった。マシンを降りたところで話しかけてみたところ、やっぱり休暇中のおまわりさんだったようだ。

 彼女とお互いを激励げきれいして別れ、わたしはうさぎちゃんのアフターケアに戻る。


「どうりで身体能力とんでもないわけだ」

「ええ、わたしの脚じゃ絶対勝てないですね。出力が桁違いでしょうから。ボディで限界が決まってしまうのは、サイボーグの少し寂しいところではあります」

「そうかな? 一瞬だけど40キロくらい出せてたじゃん。100メートル走換算かんさんだと、ええと」

「9秒……あっ、カタログスペックを超えてます」

「超えられたじゃん。なんていうかさ、スペックだけが限界を決めるわけじゃないんじゃない?」

「――そうかもしれないですね。きっと、ゆかりさんが応援してくれたからだと思います」


 もう大丈夫です、とうさぎちゃんが立ち上がる。展開していたパーツがガシャガシャと格納して元通りになった。


「ありがとうございます。誰かと一緒に走るのって、楽しいですね」

「こちらこそ。もうひと走りする?」

「はい。走りましょう!」


 わたしたちの額を汗が伝う。きっとこの爽快感は、サイボーグも生身も関係ない。

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