バーチャル・スクール・モーニング

 ジリリリリリリリッ! とけたたましくベルが鳴っている。ぼんやりとした意識の中、わたしは手探りでベッドのそばにある目覚まし時計を触った。

 音が消えてからひと呼吸置いて体を起こす。ふぁ、と小さくあくびが出た。


 半目で開いた視界には、時刻も天気も表示されていない。なぜなら寝ている時は〈ブレインネット〉もスリープ状態にしているから。この時代に目覚まし時計がまだ活躍しているのも同じ理由だ。わたしの目覚まし時計はアナログ時計で、物理的にベルを鳴らすレトロなタイプ。彩度高めな赤色塗装がレトロ感あってお気に入り。


 パジャマ姿のままリビングに向かって、お母さんと朝食を終える。今朝は食パンとイチゴジャム。〈ブレインネット〉をスリープ解除すると、ポコポコいろんなアプリから通知が飛んでくる。それらを視界の片隅で処理しながら歯を磨いて、部屋に戻ってきたら時刻はちょうど8時。そろそろしなきゃいけない時間だ。


 わたしは服を着替えて椅子に座る。これから行くのは仮想空間なんだし別にパジャマのままでもいいんだけど、いちおう着替えるのがわたしのルーティン。うなじにケーブルを繋げ、背もたれに寄りかかりながらそっと目を閉じた。


 意識が一瞬遠くなって、風に揺れる草木の音と共にじんわりと戻ってくる。目を開ければ青空、前方には年季の入った雰囲気の校舎。イナ高――ネウロンE-7オンラインハイスクールの正門前にわたしは立っていた。


 わたしのすぐ隣で光が集まり、セーラー服を着た生徒の姿に変わる。朝は全員、必ずこの正門前に登校場所ログイン地点が設定されているのだ。わたしも当然セーラー服。

 ゆっくりと昇降口へ向かっていくと、校庭から運動部の声が聞こえてくる。仮想空間でのスポーツも『ブレイン・スポーツ』……略してbスポーツという名前が付いている。名前からわかるようにeスポーツの関連ジャンルとして、サッカーや野球などの『現実でもできるスポーツを仮想空間でやる』のがbスポーツに区分けされている、らしい。体育の授業で確かそう習った。


 細かく鉄の錆びやガラスの曇りまで再現された昇降口には、たくさんの下駄箱が並んでいる。とはいえこれらはただの雰囲気作りのためのオブジェ。段差を登った瞬間、自動で履物がローファーから上履きに交換された。


 わたしの属する2年A組は校舎の2階にある。階段を上がりながら、クラスメイトや先輩後輩、寝ながら歩く不思議な子などなどに朝の挨拶。教室に入っても挨拶挨拶。窓際のやや後ろ側にある席にたどり着くと、ちょうど前の席で伸びをしていた子がそのままのけぞりポーズで私に振り返った。


「ぉぉぉおはよぉぉぉ」

「おはよ、ラグちゃん」


 ラグちゃん、というのが彼女の愛称。フルネームがとても長いので、みんな愛称で呼ぶ。学校だといつも眠そうだけど、だいたいワケがある。


「……んっ。昨日さぁ、トリクル・エフって音楽グループのライブ配信あってさ。終わるまで見てたら寝たの深夜2時だった」

「また夜更かししたの? 体に良くないよ」

「いやだってさぁ、〈QuShiBoクシーボ〉見てたらトレンド1位に『#トリエフゲリラ』ってのがあってさ。なんか予告なしで配信してたらしくて。全然知らないけどトレンドだから見なきゃじゃん?」

「分かんない……で、ライブ見た感想は?」

「んー、楽しかったよ。トレンドだし。ブーンブーンでウェェェイ☆ って感じで」

「なんだそれ」


 ラグちゃんとしばらく会話して、ひと区切りしたところでわたしは中央から少し廊下よりの席に目を向けた。そこに座っているのは藍色の長い髪をした小柄な子――そう、うさぎちゃん。

 朝はよく静かに本を読んでいることが多い。覗き見防止フィルターがかかっているから、傍から見ると光る板を眺めているように見える。わたしは驚かさないように正面から近づいて声をかけた。


「うさぎちゃーん、おーはーよー。昨日の本の続き?」

「あっ、おはようございます。ゆかりさん。昨日の本は家で読み終えてしまいまして、今日はこれです」


 そう言ってうさぎちゃんは本のフィルターを解除する。出てきたのは『めかんせつ』というタイトルの、ロボットの関節部分だけにフォーカスした写真集。昨日は小説だったのに、方向性違いすぎない?


「おお……流石だね……。どういうところが好きなの?」

「外側だけ見ると同じように見えるんですが、メーカーによって設計が違うんです。こういう細かいところにそれぞれのこだわりが見えるというか、職人技を感じるんです」

「ふんふん。神はディテールに宿る、的な?」

「そう、そうです! 例えばこの松村工業のボールジョイントなんて――」

「ぐ、具体例はわたしまだそこまで理解が至らないかなぁ」


 と、そんなことをしていたらチャイムが鳴った。ホームルームの時間だ。席に戻ると同時、教室に先生が入ってきた。ウェーブのかかった銀色のロングヘアで、シャープな顔立ちの美人教師。わたしたちの担任、ソフィア先生だ。


「おはよう」

「「「おはようございまーす」」」

「欠席者なし。全体宛ての連絡事項に更新があります。各自ご確認を。1時間目は情報です。準備を。以上」


 ソフィア先生の話は早い。ちょっと冷たいようにも見えるけど、ホームルームが秒で終わるのは嬉しい。それに冷たいって言っても実は意外と抜けているところがある。ほら今だって、キリッとした顔のまま教壇の段差につまづいた。

 数分後、教壇の上には情報の先生・狐森先生がした。狐森先生は教員しか使えないテレポート機能を頻繁ひんぱんに使う。情報の先生というだけあって仮想空間マスターなのだ。


「うへぇ~い。おっは~。前回どこまでやったけね?」


 で、第1声がこれ。恰好もこんなセリフがぴったりな、着崩したスーツに少し乱れた三つ編み、そして眼鏡。

 授業もだいぶユルユルな雰囲気で雑談みたいな感覚だけど、ちゃんと教科書に載っている内容は全部押さえているのがビックリする。


「なんかTCP/IPの話とかしてましたー」

「あ~そだそだ。通信プロトコルの話だった。チャイムそろそろ? まだだねいや鳴った鳴った。あい号令じゃ~」


 そして今日もまた、学校での1日が始まる。

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