棋士推しのあの子
春風悠里
夢の途上
アイドル顔負けのその顔で微笑まれたら誰もが彼女の虜になる。性格もいい。誰のことも褒めるし悪口も言わない。よく笑い、思いやりもあり、女子からも好かれている。たぶん……あんなに可愛いのに自分から男子と会話をあまりしないからだろう。過去にトラブルでもあったのかもしれない。
断られるのが分かっていて告白する男もあとを絶たない。ものすごく優しく振ってくれるらしく、それからは廊下をすれ違う時に挨拶してくれるようになるからだ。認識してもらえるだけで嬉しいと。
「彼氏とかつくればいいのに。すぐできるっしょ」
「えー、いいよ。私の推しは決まってるんだから。他は目に入らないの!」
僕の隣で、「〇〇七段と△△八段と〜」なんて友達と話している。知っている棋士ばかりだ。目標にしている棋士の名前もある。
彼女はかなりのプロ棋士ファンだ。バッグにはプロ棋士のイラストピンバッチがついているし、将棋の駒のキーホルダーもものすごい数がぶら下がっている。文房具類も将棋モチーフのものが多い。それだけでなくプロ棋士のアクリルスタンドや扇子もこっそりと持ってきて自慢していた。
「それなら、やっぱり角谷くんしかいないね」
「もー、そんなの角谷くんに迷惑だよ」
突然僕の名前があがったので、隣に目をやる。こんなチャンスが来るといいなと待っていた。
僕の名前は
自由になる時間の全てを将棋に費やしたいのに。
でも――僕だって男。竜宮さんとは話してみたかった。彼女はプロ棋士ファンだというのに、僕と同じクラスになっても話しかけようとはしてこなかった。勘違いされるのが嫌なのだろう。
だから、僕は世間話をするような顔をして切り出す。
「〇〇七段なら何度も会ってるし記録もとったことあるよ。学校があるから多いわけじゃないけど」
「え!」
「プロでもない僕にもすごく優しくてさ」
「ごめん……詳しく知りたい」
話しかけたいのにやっぱり我慢していたんだな。僕に……好かれると困るから。
「実はこれ、渡したいと思ってたの」
そっとSNSのQRコードが印刷された小さな紙を渡された。ずっと前から準備していたのだろう。紙はかなりよれている。
「ごめん、いろいろ聞いてもいい?」
周りの女子は温かい目をしている。男子は羨ましそうだ。でも敵意は感じない。
彼女の言う「ごめん」は「あなたに興味はないけどプロ棋士のことは気になるの」という意味だと皆、分かっているからだろう。
「いいよ。でも外に出したらまずいことは言わないよ」
「十分! ありがとう!」
それから、僕たちは少しだけ仲よくなった。高校ではいつも通り。ただスマホでメッセージを送り合うだけの関係だ。思ったよりも彼女は先輩棋士について深く聞いてこなかった。好きな飲み物や勝負メシのこと、苦手な食べ物を聞く時なんかは「答えなくてもいいから!」とすごく申し訳なさそうにしていた。
僕だけが下心をもっていた。そうして――三月になった。
『次の対局は一日に二回あるんだけど、二つ勝てば確実にプロ棋士になれるんだ。そうしたら、一緒にお祝いしてほしい。昼メシだけでも一緒に食べたい』
『いいよ! 応援してるね』
――勝利は目前だった。勝てるはずだったんだ。
一局目は完敗だった。こちらの研究負けだ。それでも四段に上がる目は残されていた。競っていたライバルも負けたからだ。二局目、あと一勝でプロ棋士になれるはずだった。そうして最後のあの瞬間――、
僕は勝ち筋を見つけられなかった。
勝ちがあることは感覚として分かったのに、その手が見えなかった。対局を終えて将棋会館を出たあとに、ボロボロに泣いた。
勝ちそうになって手が震えた。プロになれるかもしれない、竜宮さんとも……と。よけいな意識が邪魔をした。あと十秒、いや五秒あれば勝ち筋を見つけられたかもしれないのに……。
僕の覚悟が足りなかった。勝利が近づいて雑念がよぎった。
だから、僕は彼女にメッセージを送った。
『しばらくやり取りはできない』
ただ、それだけを。
彼女からは三日後に返事がきた。
『その日を待ってる』
彼女の存在は対局中、僕の頭に雑念を芽生えさせたのかもしれない。でも、またゼロから頑張ろうとすぐに前を向けたのも彼女のそのメッセージのお陰だったんだ。
――そうして勝ち星を積み上げ、高校三年生の十月一日、僕はプロ棋士になった。
約束していたとおり、ハンバーグのチェーン店で一緒にステーキを食べて祝ってもらえることになった。本当はもっと高級な店で「奢るよ」とか言いたかったけど、逆に「奢ってあげるからね」なんて言われてメッセージで何度も「僕が」「私が」と押し問答をした結果、ワリカンになってしまった。
次があるなら絶対に、スマートに僕が払いたい。稼げる立場なんだからね。
「四段昇段、おめでとう!」
「ありがとう。夢みたいだよ」
お水でカンと乾杯をする。
「昇段パーティもあるんだよね」
「もう少し先だけどね。二月だ」
なんてことのない会話をしながらも、ずっとドキドキしっぱなしだ。彼女の軽やかな声も輝く笑顔も僕だけに向けられたもので――、まるで天国にいるようだ。
「ほんとにすごいと思う。もうずっとあの日は速報サイトを更新し続けていて、勝ったの見たら泣いちゃって。私、これからずっと角谷くんのファンだから!」
すごく嬉しい言葉なのに、ファンという単語に僕との線引きを感じて悲しくなった。
僕はもうプロ棋士だ。まだデビュー戦までに期間はあるけど、前よりもはるかに男として自信をもっている。もう自分で稼ぐ手段があるというのは大きい。ふられても、僕って結構すごいんだぞと思える。将棋に影響しないくらいの落ち込みで済みそうだと……たぶん。
だから、少しだけ勇気を出した。
「僕は前から竜宮さんのファンだけどね」
「え?」
「可愛いからさ。今日誘うのも、勇気を出したんだ」
なんでもない様子を装いながらも、心臓がバクバクして彼女の返答が怖くて仕方ない。
「……お祝いに行こうって誘ったの、私だよ」
「最初にお祝いしてって頼んだのは、僕だ。すごく緊張したよ」
「それはだいぶ前だし。私、忙しいだろうなって。迷惑だろうなと思いながら一緒にお祝いしたくて、私の方こそすっごく勇気を出したんだから」
「え? そうだったんだ」
少しだけ頬を紅潮させて僕を睨む彼女はすごく可愛くて、違う世界に飛んでしまったようなふわふわした気分になった。
「た、確かに竜宮さんってすごく気を遣ってくれるよね。負けたあとは僕からメッセージを出すまで何も言わないでくれるし。そーゆーの、すごくありがたくてさ」
「頑張ってるの知ってるから邪魔になりたくないし。それなのにいろんなこと聞いちゃってごめん。角谷くんなら許してくれるかなって甘えちゃって」
他のプロ棋士に関してはあまり深く聞いてこなかった彼女だけど、僕には色々聞いてきた。好きな将棋メシだけでなく一日どれくらい研究しているのとか好きなアイドルはいるのかとか行ってみたい観光地はどこかとか……単にプロ棋士予備軍として興味があるだけだと思っていた。
……いや、思い込もうとしただな。がっかりするのは辛い。僕と仲よくなることで、いつか他の棋士を紹介してもらえると期待もしているのだろうなと。
この時もそんな考えが頭をよぎって。だから、ついこう言ってしまった。
「メッセージを打つだけなら気分転換になるし。精神的にまいって誰とも話したくない時は声をかけないでくれるしさ。いいお嫁さんになりそうだよね、棋士のさ」
彼女が目をまんまるにしたので、失言だったかなと。セクハラだったらごめんと謝ろうとして、彼女が勢いよく口を開いた。
「角谷くんのお嫁さんにしてくれるの?」
――え?
いきなり汗が吹き出して呼吸すら忘れる。
早く答えないと焦って、僕は気づいたら立ち上がって――、
「ぼ、僕と、結婚してください!」
プロポーズしていた。
時が固まった瞬間だった。
彼女が照れたように「はい」と言いながら笑ってくれて、僕はやってしまったと涙目になりながら座った。この時の彼女の顔は、きっと死ぬまで忘れない。
大学卒業までは待っててねと言う彼女と手を繋いで帰った。帰り道では、くふふっと笑みをこぼしながら「角谷先生からのプロポーズの言葉はなんでしたかって聞かれたら、高校三年生の時にって答えちゃおうかな」なんて言って、僕の腕をパンパン叩いて、全身で喜んでくれていた。
それから迎えた卒業式。
皆に僕たちのことをカミングアウトして大騒ぎだった。
「学校一のアイドルをものにしたんだ。タイトルとれよ!」
「目指すは全冠制覇だろ!」
「写真撮ろうぜ! 未来のタイトルホルダー!」
地獄と天国が同居していたあの青春の日々は今でも鮮やかに思い出せる。
まだ夢の途上。タイトルの道は険しく、ほとんどの棋士は挑戦することすら叶わない。けれど、夢を夢で終わらせはしない。いつだって、頑張ろうと僕を前へ向かせてくれるのは――。
「ただいま」
「おかえり! 中継見てたよ。勝利おめでとう!」
彼女なんだ。
卒業式の写真も飾ってあるその玄関で、角谷香になった大好きな妻が今日も出迎えてくれる。
【完】
棋士推しのあの子 春風悠里 @harukazeyuuri
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