第8話【傾国の美少女】と世間の反応

 週がもうすぐ終わる金曜日。普段なら心も弾むのだが、俺は朝から憂鬱であった。


「どうするよ、時雨」

「……どうするって言ってもなぁ」


 その理由は――とあるネット記事のせいである。


『【傾国の美少女】に男の影が!? 相手は幼馴染!?』


 その記事の内容としてはものすごく薄いが、概ねタイトル通りのことが書かれている。誰かが漏らしたのだろう。

 もちろん書かれてる相手は俺のことである。


「……悪いことしたかな」

「そう気にすんなって。アイドルじゃねえんだし、ガチ恋も居ないって有名じゃんか。仕事が減るってのもないんじゃね?」

「そうだったら良いんだけど」


 憂鬱である。何よりも、彼女の仕事に影響が少なからずあるんじゃないかという思いが。


「それに、話しかけてきたのは向こうからだろ?」

「……まあ」

「じゃあ大丈夫だろ。ほら、気になるんだったら学校で聞いてみろよ」


 足取りが重くなる俺の背中をパシパシと叩く白尾。彼に押されるように、俺は学校へと向かうのだった。


 ◆◆◆


「いつもの記事。私が仕事で男の人と関わる度に変な記事出してるよ、そこのサイト」

「……そうなのか?」


 学校、一応大丈夫なのか椿芽に聞いてみると、そんな返事をされた。過去の記事……にはなかったのでネットで調べてみると、事務所が対応したという記事がいくつも出てきた。


「うん。PV目的の記事だから気にしないで。今回も事務所が対応するだろうし、そもそもあんまり恋愛とかも縛られてないから」

「そうなんだな」

「私のファンには恋する人があんまり居ないらしい。どっちかというと、手元に置きたいみたいなのが居るらしいけど」


 淡々と話される内容は、俺としては結構嫌な感じを覚えるものである。それを心の隅に押しとどめていると……椿芽が顔を覗き込んでくる。


「ごめんね」

「……? なんで謝るんだ?」


 唐突に謝られて首を傾げる。なぜ彼女が謝るのか。その黒い瞳を見つめ返しながら聞けば、彼女は瞳を俺に固定したまま呟く。


「迷惑、かけて。ごめん」

「……迷惑、か」


 その言葉に色々と察する。彼女からすれば……自分が話しかけたから、色々巻き込んでしまったと責任を感じているのかもしれない。


 だけど、それは少し違う。


「俺は嬉しかったよ、椿芽」


 今も目立っているし、多分これからも色んな目を向けられることだろう。記事も色々書かれるだろうし、学校の中だけじゃなくて外でもこういった視線は向けられるようになるはずだ。


 それらに対して、思うところがないとは言えない。自分の心を騙す訳にはいかない。

 だけど、それでも。


 椿芽が話しかけてくれて嬉しかったのは確かだから。


「頼ってくれて嬉しかったよ。俺のことを覚えてくれてたのもそうだ。椿芽からしたら些細なことかもしれないけどな」


 頼れる相手が俺だけしか居なかった。それだけなのかもしれない。俺が断っても、別の人を頼っただけかもしれない。

 それでも、一番に頼ってくれたのは嬉しかったのだ。


「だから、これくらい気にしないで。俺もそのうち慣れるだろうしな。この視線にもほんの少しだけど慣れてきたし」


 今も俺達をみている視線は多い。聞き耳も立てられていて、会話も聞かれているのだろう。

 けれど……月曜に比べればほんの少しだけ慣れてきた。人間は慣れる生き物なのだ。

 だからきっと、一ヶ月もすればもっと慣れるはずだ。これから大変なことがあってもきっと、と考えている。


 軽く返す俺に対し、椿芽は視線を一ミリも外さない。桃色の目を惹く唇から、小さく言葉が紡がれる。


「慣れるのは良いことじゃない」

「……どういうことだ?」

「気づかないうちに見えない傷は深くなる。それで、自分が気づかない内に壊れてしまう」


 普段と表情は変わらない。その瞳も、覗き込むとどこまでも深い闇へと繋がっている。

 でも、こんなに長時間まっすぐ見つめられるのは珍しい。瞬きも少ない。その理由がなんとなく分かった。


「もしかして椿芽、心配してくれてる?」

「……」


 いつかのように、少しの間が空く。そして、その目は……いつもよりほんの少しだけ見開かれていた。まるで、何かに驚いているように。

 それは瞬きを終える頃には終わり、元に戻っていた。


「多分、そう」

「そっか……そうなんだな……」


 一度目は彼女への返事。続いて漏れた呟きは、彼女の言葉を飲み込んだものだ。


 自然と口の端が持ち上がり、笑みが零れる。


「椿芽は昔から優しいな」


 小さい頃。転んで怪我をした時とか、ボールが飛んできて頭にぶつかった時に椿芽が凄く心配してくれたことを思い出した。子供らしく、『いたいのいたいのとんでけー!』とかしてくれたものである。

 その日はもちろん、怪我が治るまでずっと。カサブタがなくなるまで毎日やってくれたものだ。


「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ。無理はしない。……頼れる人も居ることだしな」


 チラリと目を向ければ、そこには遅れた朝ごはんであるおにぎり片手にサムズアップをしている友人の姿がある。一瞬のことなので周りもあんまり注目しなかった。


「友達出来たんだね」

「そうだな。……なんか色々あって懐かれたんだよな」


 最初の頃は大変だったが……この辺は話すと長くなるのでいつかタイミングがあったらにしておこう。

 椿芽が目を彼に向け、しかし長時間見ることはなくこちらに戻した。


「でも、時雨くん」

「ん?」

「……」

「どうした?」


 また言葉を詰まらせる椿芽。今日は珍しいなと思いながら続きの言葉を待つ。

 少しの間の後、彼女はゆっくりと口を開いた。


「頼るなら、出来れば最初は私を頼ってほしい」

「……へ?」


 自分でもびっくりするくらい間の抜けた声が漏れた。

 ……自分の耳を疑う。でも、多分……周りの反応からしても聞き間違いじゃない。


「私も最初に時雨くんのこと頼ったんだから、ね」

「……」


 口を開いてみるも、声は出てこない。出す言葉も見つからない。

 それでも彼女は俺の言葉を待つように、じっと見つめていた。


「わ、分かった」


 そう返すと椿芽は満足したのか、視線を外した。


 まさか、嫉妬……と思ってしまったが、さすがに自意識過剰だろう。

 彼女の性格的に……いや、昔の性格なら嫉妬の方が可能性は高いんだけど。でも多分、今回のは違うはずだ。恩を返したいとか借りを作っておきたくないみたいな。そんな感じだろう。


 そう自分に言い聞かせ、高鳴る心臓を押さえるのだった。

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