第5話【傾国の美少女】の輝き

 画面の中では柴犬二匹がじゃれあっている。追いかけっこをしたり、おもちゃを取り合ったり……飼い主であろう撮影者に飛びついたりだ。

 そのままぶんぶんしっぽを振って、ぺろぺろとカメラを舐めてくる。撮影者が『だめだよ』と言いながら慌ててカメラを引いていた。


「可愛い」

「めちゃくちゃ可愛いよな。この子達」


 広い庭を駆け回ったり、飼い主にほっぺをむにむにされてしっぽを振ったり。自分もと、もう一匹の方がしゃがんでる飼い主の膝に前足を乗せて甘えてきたり。

 見ているだけで頬が緩む。本当にめちゃくちゃ可愛くて癒される。あー可愛い。


 こういう時は椿芽も笑ったりするのかなと隣を見る。


 ――彼女は無表情だった。

 無表情だったのだが。一つだけ、先程までとは大きく異なる箇所があった。


 それはだ。


 瞳がキラキラと、先程までとは比べ物にならないほど輝いていた。夜空に輝く星々のように。


「……可愛い」


 彼女の口から漏れ出る言葉は、多分無意識からくるものだ。


 それにホッとする――ことは出来なかった。


【傾国の美少女】と呼ばれる美少女の存在は、見る者全ての心を揺さぶる。それは俺も決して例外じゃない。


 背に流れる黒髪。切れ長の瞳。顔のパーツ、それぞれが神様から寵愛を授かったような美麗さ。

 本当に同じ人間なのか疑ってしまうほど……間近に見ると、写真や映像で見る姿よりも美しく見える。


 ――息を呑み、全身が蝋で固められたように動けなくなる。視線は彼女に固定されてしまった。


 俺自身、以前の彼女の存在を知っていて、悩みを知った。だからこそ、もうあの頃のような反応はしないと。そう思っていた。思っていたのに。


「――」


 彼女の名前を呼ぼうとして開きかけた口からは、空気の抜ける音しかしなかった。

 椿芽はただ瞳を輝かせただけ。口元は一切緩んでおらず、無表情なのは変わらない。


 それなのに――圧倒されていた。

 心臓がドクドクと高鳴り、全身を駆け巡る熱を認識してしまう。


 次第に音が遠ざかっていき、動画の音も時計の音も聞こえなくなる。うるさかった自分の心臓の音すら遠ざかる、時が止まったかのような錯覚。


 しかしそれも、長くは続かない。


 ――闇夜に浮かぶ星々のような輝きを放つ瞳がこちらを向いたから。

 彼女の目と目が合った瞬間、俺の意識が少しずつ浮かび上がった。


「時雨くん、どうかした? 可愛いよ?」

「……あ、ああ。そうだな。凄く可愛いな」


 咄嗟に自分の目を手で覆い隠す。そうでもしないと、この瞳は他を向いてくれそうになかったから。


【傾国の美少女】が載る媒体全てで無表情の理由ってもしかして……笑顔なんて見せた日にはそれこそ、今の俺のように見蕩れて呆然とする人が続出するからなんじゃないだろうか。そうなると街中に貼られているポスターや雑誌の広告に気を取られて事故とか電車で乗り過ごす人が増えそうだ。


 とても馬鹿げた考えだ。

 ……と、一蹴することは出来ない。それほどまでの破壊力だった。ゾッとするような美しさってこういうことを言うのだろう。


 これが【傾国の美少女】、国を傾ける程の魅力を持つ美少女。


 ふう、と大きく息を吐く。鼓動に感じる自分の鼓動を落ち着けようと、ぐっと目を瞑る。


「大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。少し……見惚みとれてた」


 少しずつ鼓動が落ち着いていくのを感じる。口の中が乾いたので、一口だけ残していたコーンポタージュを飲んだ。もう冷めていたが、そんなことは気にならなかった。


 その時、服が引っぱられる感触があった。最後にもう一度ぐっと目を瞑って強く瞬きをしてから隣を見る。


「どうした?」

「――時雨くんも、みんなと同じなの?」


 その瞳は未だに光を灯している。けれど、それ以上に深い闇が同時に存在していた。

 それを見て悟る。今の俺の行動が、彼女の中に根ざしている何かに触れたのだと。


「同じかどうかは俺にも分からない、けど」


 抽象的な問いかけだが、何を言いたいのかはなんとなく分かった。先程までの俺は……あの雑誌を見て、教室で【傾国の美少女】を見ていた人達と同じだった。

 自分でもそう分かっていた。あの日――彼女が表紙を飾った『UBG』を見た時と同じ感覚だったから。


 でも、あの頃の俺と今の俺は同じなのか?

 自分自身に問いかけ、否定する。

 確かに今は見惚れてしまったけど、違うこともある。


「俺は俺。榊原椿芽の幼馴染の雪月時雨だ。これから何があってもその事実は変わらない」


 あの頃の俺と違うこと。それは、今の俺は椿芽の幼馴染であることだ。

 肩書きの違いと言われればそれまでだけど、俺の中では心持ちが結構違う。

 それに、今の俺は彼女の事情も知っているから。


 椿芽はまっすぐに俺を見つめて問いかけてくる。


「……本当に?」

「約束するよ。確かに今は動揺したけど、すぐ元通りになるから。これから先同じことがあるかもしれないけど、すぐに戻る」

「信じる」


 最後に一度ふうと息を吐いてから、彼女を見る。まだ鼓動は早く、骨や肉を通じて鼓膜を打ち付ける。

 それでももう、先程感じたゾクゾクとした感情は和らいでいた。


「ごめん、ちょっと思っていた以上に……その、変化の大きさについていけなかった。もう大丈夫だ」

「変化?」

「ああ。その、椿芽は気づかなかったかもだけど、目に光が戻っててな」

「それってほんと?」


 動画を見ていないからか、その瞳から徐々に光が失われていく。それでもまだ消えてはいない。


「本当だよ」

「…………」


 俺の返事に椿芽は何かを考え込んだ素振りを見せる。どうしたのだろうと、一度画面を止めた。

 数秒の間の後、彼女はこちらは目を向けた。


「時雨くん、一つお願いがある」

「なんだ?」

「また私に変化があったら、写真を撮ってほしい。時雨くんのスマホで」

「俺の?」


 どうして自分のじゃないんだろうと思うと、彼女はポケットからスマートフォンを取り出した。


「私のは完全仕事用。カメラは使ったことほとんどないけど、画質悪い」

「なるほど」

「あと、時雨くんのことを疑う訳じゃないけど仕事用のスマホを預けるのもね」


 ごもっともすぎる意見である。それなら俺が撮った方が良いだろう。

 それ自体は良いのだが、一つだけ気がかりがあった。


「撮って良いのか? その辺かなり厳しいって聞いたが」


 世の中、芸能人が道を歩いていたら写真を撮られてSNSに上がる時代となっている。それも悪意を持った盗撮か撮られた本人が指摘しない限り、黙認されることが多い。SNSでの拡散というのも『神対応』みたいな感じで良い意味で上げられることが多いしな。


 しかし、【傾国の美少女】に関しては別。事務所が声明を出しているのだ。『榊原椿芽の撮影を強く禁ずる』と。

 そして、実際……本当に稀に、SNSに椿芽の写真が上がることがある。しかし、その写真は大体その日のうちに削除される。

 ネットではそのことで色んな憶測が飛び交っているが、よく言われるのが『事務所が榊原椿芽を独占している』というもの。


 ……まあ、実際どうなのかは彼女達しか知らないんだけど。それでも椿芽の写真を撮るのがダメということは分かる。


「時雨くんなら大丈夫だって思ってる。……あんまり他の人に見せたり、ネットに上げたりしなければね」

「もちろんしないつもりだが……分かったよ」


 彼女がそう言うのなら大丈夫だろう。一応見せたら写真は消しておくとして。


 スマホの準備だけして動画を再生する。カメラをずっと向けている訳ではないが、こちらを気にする素振りは一切見せない。


 俺もなるべく動画の方に目を向け、合間合間に椿芽を確認した。すると、やはり段々瞳に光が宿っていく。

 ……よし、大丈夫だ。さっきは不意打ちだったから、というのもあったのだろう。心臓が音を鳴らすが、先程のように体が動かなくなることはない。


 パシャリとシャッター音が鳴る。それが終わると椿芽が俺に目を向け――あれ?


「どうしたの?」

「……いや、さっきまで光があったんだけど。ちょっと写真の方見てみる」


 こちらに目を向けた椿芽の瞳は深い闇一色だ。その中で輝いていた星はなくなっている。先程までは確実にあったはずなんだが……と思いながら、写真を確認する。

 しかし。


「……ない? なんでだ?」


 写真の方も同様に、瞳から光が失われている。先程までは確かにあったはずで、なくなるにしても少しずつなくなるはずだ……さっきはそうだったんだが。


「あ」

「どうした?」


 小さく声を上げる椿芽。思わず声を掛けると、暗い瞳を写真から俺へ向けてきた。


「写真だから、かも」

「……職業病みたいな感じか?」

「うん。ごめん。いけると思ってた」

「いや、別に謝る必要はないよ」


 カメラを向けられて撮影のスイッチが入ったのだろう。

 それなら仕方ないし、彼女自身も知らなかったのならもっと仕方がない。

 そうなると……ふむ。


「動画はどうだ? 俺が気づかれないように撮るとか」

「多分変わらないと思う。隠しカメラとかあったら別だと思うけど」

「まあ、そうだよな。もちろん隠しカメラとかはないよ」

「うん。でも、一応時間はあるし動画も試してほしい」

「分かった」


 ということで、動画の方も試してみる……が、写真と同様に動画を撮る時も通知の音が鳴る。やはり撮っている間は目が輝くこともない。お手洗いに行くと言ってこっそり動画を撮りながら戻っても、やはり気づかれる。どうやら俺に盗撮の才能はないようで……なくて良かったんだけども。


 その次に鏡も試してみたが、こちらも無理だった。どうしてだろうと聞くと、『自分の写る写真とか動画を見るのと同じ気持ちになる』とのこと。やはりこちらも仕事のスイッチが入るらしい。


「……ふーむ」

「時雨くん、もう大丈夫だよ。私が気になっただけで、もう疑ってないから」

「そう言ってくれるとありがたいんだけど……」


 どうにか彼女にも見せたい、が、今これ以上考えても思い浮かばなさそうだ、


「こういう変化はモデルになって初めて」

「そうなのか」

「うん。多分、これからもっと変われる……と思う。今までこういうのはなかったから」


 今までなかった、か。……些細な変化だけど、一歩目は大きいと考えるべきだ。

 少し考えた後、頷く。


「分かった。……大丈夫だからな。そう遠くないうちに笑えるようになるよ。いや、笑わせてみせる」

「……昔から変わらないね、時雨くん」

「そういえば最初会った頃にも似たようなこと言ったっけ」


 最初……二歳とか三歳くらいの頃、近所の公園で椿芽初めてと会った。その時椿芽は人見知りで全然笑わなかった。似たようなことを言ったなとふんわり覚えている。

 まさかまた言うことになるとは思わなかったけど。


「ま、幼馴染が笑ってる方が気持ちいいしな」

「……ありがとう」


 あの頃のように、とまでは言わない。ただ、彼女には笑っていてほしい。それに深い理由はない。


「じゃあ続き見ようか。他にも色んな可愛い動画があるんだ」

「楽しみ」


 小さく呟いて、俺をじっと見つめてくる椿芽。言葉通り楽しみにしているからか、その瞳には柔らかな光が灯っていたのだった。

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