第3話 【傾国の美少女】は味が分からない

「……味が分からない、って。いつからなんだ」

「中学に上がってすぐの頃」


 ぽつりと榊原が呟く。ゆっくりと、少しずつ。言葉が少ないながらも話してくれた。


「仕事前に飲んだブラックコーヒーの味がなくなってた。それが始まり」

「……ブラックコーヒー? 中学で? 榊原って甘いの好きだったよな?」

「好き。ブラックの方が眠くならないから飲むようになった」


 確か、中学の始まりというと……彼女の人気が出始めて、爆発した時期だったと思う。【傾国の美少女】と呼ばれるようになったのもこの辺りだっけ。


 というか待て。中学に上がってすぐの頃ってことは……


「三年くらい味が分かってない、ってことだよな」

「うん」


 返事は短く、相変わらず色がない。

 思わず絶句してしまった。

 食べるのが好きで、料理もその延長で始めた俺からすればそれは……とても恐ろしいことだったから。


「飲み物は味が全部同じ。食べ物も、食感と匂いしか分からない」

「……だからこれも」


 ちょっとした悪戯心からだった。甘い匂いだけど全然甘くないコーンポタージュを飲んだらどんな反応をするのかなと。

 ……でも、まさかこんなことが判明するとは。


「ごめんね」


 榊原の言葉は最初からずっと平坦だ。……それでも、彼女の謝罪にはどこか暗い色が滲んでいるような気がした。


「……俺こそごめん。変な真似して。片付けようか?」

「ううん。飲む」


 変な感じだろうと思って聞くも、榊原はマグカップを手にして口に含む。

 それを見て、俺ももう一度マグカップを手にした。


「モデル生活、大変なのか?」

「……ううん。大変じゃないよ」

「……そうか。味覚の件、病院とか行ったのか?」

「行ったよ」


 コーンポタージュを飲みながら言葉の続きを待つ。

 彼女はぎゅっと握る力を強くして話し始めた。


「ストレスから来るものだろうって言われた」

「……治る、よな?」

「ストレスから解放されたら治るはずって言ってた」


 ということは、ストレスから解放されていないのだろう。それほどまでに苦しい生活なのか。


「榊原が良かったら話、聞かせてくれないか?」

「……」


 じっとマグカップを見つめる。そして、どこまでも暗い瞳はこちらへ向く。

 ――色がなかった。


「……嫌だ」

「……そっか。ごめん」


 彼女が嫌なんだったら、深く聞かない方が良いのだろう。守秘義務もあって、そもそも俺に話せることも限られてるはずだし。不躾な質問だった。


「でも、これだけ話しとく。今は放課後、少しだけ自由」

「というと?」

「毎週月曜日、放課後は自由な時間になった」

「……ちなみに他の曜日は?」

「仕事。学校休む日も多いはず」


 ……なるほど。この様子だとめちゃくちゃハードな生活を送ってそうだな。

 色々聞いてみたいところだが、先程嫌だと言われてしまっては聞いてはいけない。いつか機会があれば、と今は考えておこう。

 だけど、一つだけ気になることがあった。


「その貴重な休みに俺と会って良かったのか?」


 休みという言葉の通り、休んだ方が良いんじゃないか。特に、週六で仕事となると……本当に貴重な休みだ。

 そう思って聞くと、彼女はじっと見つめてくる。


「相談したいことがある」

「相談?」


 こくりと頷く榊原。なんだろうと首を傾げれば、彼女は一切俺から視線を外すことなく続けた。


「休みって何をすれば良いのか分からないから、雪月くんに教えて貰いたい」


 その言葉は相変わらず平坦なものだった。けれど、だからこそ考えてしまう。


 ここで俺が断るのは簡単だろう。彼女は特にそれで落ち込む素振りとか見せないと思うし、そうなると明日からは普通の高校生活が始まる。


 もしかしたらその後は他の誰かに休みの過ごし方を聞くのかもしれないし、誰にも聞かずに文字通り『休む』のかもしれない。


 一度、目を瞑ってよく考える。しかし考えるにしても情報が足りず、諦めて目を開ける。


「その前に一つ聞きたい。……味を感じないって何かの後遺症とかじゃないんだよな。あの流行り病とか一時期話題になってたけど」

「この三年間、風邪は引いてない。おっきめの病院で検査もしたから、多分違う」

「……そうか」


 ストレスで確定してる、と。話してくれないが、仕事の負担は多分かなり大きいのだろう。


 ……それなら俺も力になれるかもしれない。


「分かった。休みの過ごし方を教えれば良いんだよな」

「……いいの?」


 自分から聞いてきたというのに、榊原は聞き返してくる。


「ああ。もしこれで休みの過ごし方が分かってストレスがなくなったら、また味も感じられるようになるかもしれないし」

「どうして?」


 榊原の言葉に首を傾げると、それだけで足りないと思ったのか彼女が言葉を付け足してくる。


「自分で言うのもなんだけど、雪月くんはそこまでする義理がない」

「……ああ、そういうことか」


 彼女の疑問に納得した。俺が本気で考えてることが伝わったのかもしれない。が、簡単なことだ。


「幼馴染が困ってるなら力になりたい。それだけのことだよ」

「……幼馴染」

「あ、これだと言い方がおかしいか。幼馴染って小中高同じイメージあるしな」


 みんなにも言ってしまったので今更感が強いのだが、今となっては幼馴染とは呼べないか――と思ったものの、榊原がぶんぶんと首を横に振った。


「幼馴染で良い。ううん。幼馴染が良い」

「そ、そうか?」


 思っていたより強い反応に戸惑う。表情も声音も変わっていないが、今日一番感情を表に出してくれたかもしれない。

 まあ、それが良いなら幼馴染ということにしておこう。


「じゃあ、そういうことで。毎週月曜は一緒に居る……って考えでいいんだよな?」

「うん。今日みたいに家でも、どこか行くでも」

「門限とかはどうなんだ?」

「特にない……けど、補導される時間までには帰りたい。帰りは呼んだらお母さんが迎えに来てくれる」

「だいぶ遅くまで居られるんだな」


 そうなると十時か。早めに見積もって九時頃とかになるのかな。思っていたよりも時間がある。


「夕ご飯はこっちで食べていっても良いのか?」

「連絡入れれば大丈夫。……いいの?」

「ああ。お母さん達も喜ぶだろうしな。料理は俺担当だし」

「料理、作れるんだ」

「練習してな。味は感じなくても匂いは分かるっぽいし、なにも料理も味だけが楽しさって訳じゃないからな」


 スパイスとか効かせれば分かりやすいだろうか。あんまりやりすぎも良くないけど、その辺も色々探っていこう。

 うん、大丈夫。色々出来ることはある。


「……ありがとう」

「どういたしまして」


 大人しくお礼の言葉を受け取りながら考える。


 あの頃に比べて、榊原はかなり変わっている。本人曰く、変わらないといけなかったと。

 芸能界を生き残るにはそれくらいしなければいけなかったのだろうと思う。だけど、その代わり……たくさんのものを失っているんじゃないか。

 味覚もそうだが、笑顔もそうだ。今日一度も……そして、過去に出た雑誌やテレビなどでも一度も見せたことはない。

 よくよく考えれば、笑顔どころか表情自体が一ミリたりとも変わっていない。


 お節介なのかもしれない。でも……昔みたいに笑ってほしいという思いもあったから。


「榊原」

「なに?」

「昔みたいに『椿芽』って呼んでいいか?」


 一瞬の間が空く。けれどそれは迷ったというか、驚いたという感じだ。


「いいよ。私も昔みたいに『時雨くん』って呼ぶね」

「分かった。ありがとう」


 折角再会出来たのだ。あの頃のように……とまでは言わないけど、笑顔で居てほしい。あと、いっぱい休んでほしい。


「椿芽」

「なに? 時雨くん」

「改めて、またよろしくな。『幼馴染』として」


 全部、彼女からすればお節介なのかもしれないけど……このままだと彼女が壊れてしまいそうな気がしたから。


 俺の言葉に榊原――椿芽がこくりと頷いた。


「またよろしくね。時雨くん」



 そうしてその日から俺は――【傾国の美少女】と呼ばれたトップモデルは週に一度、休みの日の過ごし方を教えることになったのだった。

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