第2話 【傾国の美少女】と呼ばれるトップモデル
その日は案の定、目が回るような一日となった。
内容は当然、榊原椿芽との関係だ。
彼らに対する返答としては、『小さい頃に遊んでいた幼馴染。小学生の頃、彼女が引っ越してから疎遠になった』である。やましいことは何もないのでそう答えた。
……が、榊原椿芽というトップモデルはスキャンダル的な話があんまりない人間であった。ごくごく稀に共演した俳優とかモデルとの……妄想ですらない、どんな会話をしたとかの切り抜きくらいだ。
そのせいか、食い付きが凄まじい。
ホームルームや連絡事項などが終わって帰る時間となっても、俺は全然解放されなかった。遠くで白尾が何度か俺の救出を試みてくれるのが見えたが、集まる人に跳ね返されていた。
どうしようかと困っていた時――彼女が声をかけてきた。
「ちょっといい?」
小さな声。しかし、この場にいる誰よりも透き通った声だった。
一瞬にしてその場が彼女に支配される。その冷たい瞳がこちらに向けられ、ゾクリとした感覚が背中に走った。
「この後空いてる?」
「……この後、ですか?」
「無理ならいい」
その声はどこまでも続く水平線のように平坦で、だからこそ心がざわついた。
「だ、大丈夫ですよ」
「ありがとう。一緒に帰ろう」
その言葉にまた教室がざわつきはじめ、しかし彼女はカバンを持って立ち上がった。
「行こう」
「……あ、ああ。分かった」
彼女に伝えられるまま、俺も立ち上がってカバンを取る。
そのまま榊原についていくと……周りからの視線が凄まじかった。
本当に一緒に帰っていいのか。そんな思いが心に溜まるも、口には出せない。
その理由は――先程彼女が見せた表情を思い出してしまったから。
【傾国の美少女】。それは、彼女が持つ異名。
大層な異名であるが、それに負けないほどの美貌を持っている。
一度見れば理解してしまう。彼女の美しさは人間離れしていて――一目惚れをすることすらおこがましいと。
それが【傾国の美少女】。
別名、【生きる芸術品】。
会話はないまま、そのまま廊下を歩く。校舎から出て、校門へ。そこを出てからやっと、会話が生まれた。
「雪月くんって引越しはした?」
「い、いや。してないです」
「それならこっちだね」
迷うことなく左へ曲がる榊原。しかし、そこは正反対の道である。
「いや? こっちだけど」
「そうだった?」
榊原がピタリと足を止めて振り向く。それだけでも絵になるというのに――ふっと笑いが漏れてしまった。
「まだ道覚えるの苦手なのか?」
「昔よりは良くなってる。多分」
その表情は至って平坦なものだ。恥ずかしがる素振り一つ見せない。
先程笑ってしまったのも昔を思い出したからであり、決して嘲笑の意味は込めていないのだが……少し悪いことをしたなと思うも、謝罪する前に榊原が歩き始めてしまう。
「早く行こう」
「あ、ああ」
俺が示した方向に着いていく榊原に続く。
彼女は歩く速度を緩め、隣に並んできた。
「道を間違えるの、久しぶり」
「そうなのか? ……ちょっと違和感あったから、話し方普通のに戻したい。嫌だったら言ってほしい」
「嫌じゃない。こっちがいい」
その言葉に頷いて、口調を戻す。それからまた彼女は言葉を続けた。
「基本的に親かマネージャーが付くから、迷うことはない」
「なるほど。榊原、凄いもんな」
「うん。私、凄い人になった」
一定の速度を保ったまま、彼女はこちらに流し目を向けてくる。それと同時に、とある雑誌に付けられていた謳い文句を思い出した。
――目が合った瞬間心を奪われ、気がつけば彼女以外誰も見えなくなるだろう。
以前はその言葉を笑い飛ばす者が居たが、今は居ない。ネットでも書店でもテレビでも、どこにでも彼女の存在があるから。今となっては彼女の存在を知らない日本国民の方が少ないだろう。
そして、間近で彼女の姿を見ると――あの言葉すら過小評価なんじゃないかとすら思ってしまう。
「【傾国の美少女】」
その唇から紡がれた言葉に背筋が伸びる。生唾を飲み込み、回らなくなりそうな頭を無理やり動かした。
「雪月くんはこの言葉、どう思う?」
「……似合うと思ってるよ。雑誌とかネット、テレビで見る感じはな」
クールでミステリアスな美少女。歳に反して大人びた言動を見れば、【傾国の美少女】なんて名前は合っていると思う。
「そう」
「俺が見てるのはメディアに居る榊原だからな。……でも、ちょっとだけ安心した」
「何が?」
榊原が足を止める。それから流し目を止め、顔ごとこちらに向けてきた。
「さっきの自信がありそうだったのに道間違えたところとか。最後に会ったのもめちゃくちゃ前だけど、変わってない部分もあるんだなって。……変わった部分もあるけどさ」
「変わらないといけなかった」
彼女の声は未だに平坦で、言葉も少ない。昔とは違う。
「変わらないと生き残れなかった」
じっと、【傾国の美少女】と呼ばれた彼女はまっすぐに見つめてくる。その瞳には先程から一切感情がこもっていないように見えるのは……気のせいじゃない。
「久しぶりに家、行きたい。おばさん達居る?」
「……仕事で帰ってくるのは七時前後だ。榊原が来たいなら歓迎するよ」
「じゃあ行く」
なんとなく察してはいたが、家に来るらしい。片付けもちゃんとしているので大丈夫だとは思うんだけども。
「分かった。じゃあ行こうか」
◆◆◆
榊原との間に会話は少なかった。久しぶりだから何を話せば良いのか分からないということもあったが、彼女の言葉が少なくなっていたからというのもある。
昔はお喋りだった。これも先程の言葉があったからかと思いながら、家に着く
「お邪魔します」
「ああ。いらっしゃい。リビングの場所覚えてるよな?」
榊原は小さくこくりと頷いて……先に洗面所へ手を洗いに行った。律儀だ。
それからリビングに行って……どうしようか。
少し悩んだが、とあることを思いついた。
「そうだ。最近コーンポタージュにハマってるんだ。飲むか?」
「……飲む」
「分かった。すぐ用意するよ」
一瞬迷った様子を見せたが、彼女は小さく頷いた。
最近暖かくなってきたが、今日はたまにある寒い日なので大丈夫だろう。
冷蔵庫から作り置きしていたコーンポタージュを取り出し、暖める。ふわりとコーンの甘い匂いが漂ってきた。
「……甘い方が好きだっけ。好みとか変わったかな。まあ、また今度で良いか」
ふと昔のことを思い出して呟くも、今気にしても仕方ないかと考え直す。
お客さん用のマグカップに注いでから、火傷をしないように持っていく。
「悪い、待たせたな。熱いから気をつけて」
「ありがとう」
一度机の上に置いて……どこに座ろうか迷った後、ソファの端に座る。近すぎず遠すぎずという位置だ。
榊原がふーふーと息を吹きかけて表面を冷まし、ほんの少しだけ口に含んだ。
「……美味しいか?」
少しだけ不安になって尋ねる。思ったような反応を示さなかったから。
榊原は俺の言葉に小さくこくりと頷いた。
「うん。甘くて美味しい」
榊原がそう言って、またコーンポタージュをこくりと一口飲んだ。
――どういうことだ?
呟きそうになった言葉を飲み込む。一度小さなスプーンでかき混ぜて飲み――それでも味が変わっていないことを自分で確かめた。
「甘くて美味しい、か」
「うん」
独り言のように呟いたが、確認と捉えたのか榊原が頷く。俺は一度マグカップを置いた。
「実はこのコーンポタージュ、俺は好きだけど家族にちょっとだけ不評だったんだ」
「……?」
「匂いと違って全然甘くない、って感じで」
ピクリと彼女の肩が跳ね、ちょっと嫌な言い方をしてしまったと反省する。
「ごめん。別に責めてるわけじゃない。ただ気になってな。……甘さを強く感じるタイプの舌、とかなら良いんだけど」
「……」
榊原は小さく首を横に振り、マグカップを置く。それからまっすぐに俺を見つめて――
「ごめんね。――私、味が分からなくなったから」
そう、言ってきたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます