第4話「星に願いを ―Glowing Star―」
「………どうして、ここに?」
「昔話をしに来たんだ」
青年は柵の上に腰を掛ける。
森の秘境に立っていた印象が強く残っていたため、この場にいるその様はあまりにも浮世離れして見えた。
「……悪いけど私、今は誰の話も聴きたくないの」
「言っただろう、何も心配することは無いって」
「何も? 無責任なこと言わないでくれる? 私たちは確かに遠い縁があったんだろうけど、別に親しいわけじゃない。私はまだあなたのことよく分かってないし、あなたに私の事が分かるわけないでしょ」
「当然だね。けれど何度も言ったように、ボクはキミの魂と結ばれている。そこの叫びを偽る事は何物にも出来ない」
「………もう、いいから。今は帰ってよ」
難しい話に付き合う気力が無いのだ。
今はもう、誰の言葉も気持ちも、受け取れない。
どうせ誰も理解してくれないのだと、エレノアは塞ぎこんでいた。
「だからこそ、キミは今、ここで一つ思い出してみてもいいと思ったんだ」
「……何を?」
「幼い頃の――――思い出を」
◇ ◆ ◇
森で迷ったあの頃。
青年に手を引かれて歩き出したエレノアは、再び塞ぎ込んだ。
「やっぱり、もうむり」
しゃがんで丸くなったエレノアに、青年が話しかける。
「此処は、そんなに怖いかい?」
「森はこわくない。けど良いことが見えないと、どんな場所も怖い」
青年は少し考え、エレノアを背負って歩くことにした。
「なら少し、寄り道しようか」
青年の背中を、エレノアは不思議がった。
父さんの背中とは異なる感触。
岩や樹のように硬いが、そこにある温もりは家に帰った時のような安心感を覚える。
「さあ―――、着いたよ」
青年がそう言って、エレノアを揺する。
いつの間にか眠っていたエレノアは、ぼんやりと目を開く。
「うわぁーーー! 綺麗!」
御伽話の中のようだった。
陽も暮れつつある中で、花々の光によって辺り一体は鮮明に照らされている。
奥にある池にも、色とりどりの魚が泳いでいていた。
「ここはね、僕の一番のお気に入りなんだ。この森に暮らす皆が、月夜に安らぎを求めて訪れる、まさに『楽園』さ」
「―――――らくえん?」
「僕は此処を『星の花園』って呼んでいる」
「お星様の―――――、お花畑?」
「そうだよ。まるで暗い夜を照らす星々のように、森と命を照らしてくれる。誰もが癒され、誰もが満たされ、そして、誰もが光に包まれる」
エレノアの中に、溢れるばかりの「感動」が生まれる。
まるで、いつも父が読んでくれる物語の光景が、目の前に広がっていた。
「私、ここ大好き!」
「そうかい、それは良かった。この場所に来たのは、君が初めてだからね」
「はじめて、そうなの?」
「うん。だから、此処のことは―――――、僕と君だけの秘密だよ?」
「うん、秘密! ぜったい、誰にも言わない!」
「ありがとう。やっぱり君は―――、とっても素敵な子だ」
ずっとずっと、この時間が続いたらいいのに。
もっとずっと、人と一緒に居れたら、もっと楽しいことに出会えるのに。
そうしてエレノアはいつまでも―――――、いつまでも遊び続けた。
「―――――なるほど、君の瞳はそんな色だったんだね」
いつの間にか、曇っていたはずの瞳に『紅蓮』の光沢が出ているのを見て、青年は静かに微笑んだ。
「うん、とても綺麗だよ――――――。エレノア」
◆ ◇ ◆
「————と、言うわけだ」
エレノアは、青年の口から語られる出来事の数々を拾うと共に、自身の記憶の中にその
なるほど、自然に対する自分の中の微かな執着。何の変哲もない日常に対する疲れ。言葉にならない欠乏感の正体は、あの少女時代の感動だったわけだ。
確かにあの出来事は、自分が生きてきた短い生涯の中で、恐らく最もこの世界を美しいと祝福出来た瞬間であっただろう。
…………幼い頃の自分を思い出すのは、些か恥ずかしいが。
きっと自分の中の"子どもっぽさ"というものは、今ではあの感動に飢えているのだろう。
「確かに、そんなことあったなぁ。懐かしい……」
「あ、やっと笑った」
「へ?」
「久しぶりに会ってから、キミがそういう風な表情を浮かべているのを見てなかったから」
「そ、そう?」
確かに面識があったとはいえ、初対面に等しい認識の相手に、其れほど多くの表情を見せるものだろうか。総合しても一時間も話してない相手に。
……しかし、そもそも思い返してみれば自分がここ最近で笑ったのはいつだろう、と考えると、エレノアは少し悩んだ。
メディスと話す時ですら、何気なく話す中で自分が笑った事は最近あっただろうか。
この青年の言う通り、本当に自分は陰気に包まれていたのだろうか。
「やっぱり――――、キミにはそういう表情の方が似合ってる」
「……それ、口説こうとしてる?」
「実際、月も綺麗だね」
「ふふっ。ハイハイ、そうね」
そうしてしばらく、二人は景色を眺めていた。
時間が経過して、街の街灯も次第に消えつつあった。
ふと、エレノアは大事な疑問を思い出した。
「そういえば、あなた名前は?」
「ボクの名前か……定まった固有名は――――、もう無いよ」
「もう……って?」
「色々あったんだ」
青年は景色に背を向け、柵に寄りかかって天上を見上げた。
「アアル、シオン、アヴァベル、エリシオ、アルカディ、アミダ、エンピュリアン、パラディオ、フィルダス、マグメル、 ————そして、ガイ」
多くの単語を、青年は何処か淋しげに口にした。
「……それ、全部あなたの名前?」
「ああ、ボクと出逢った人たちが、一人、ひとつずつくれたんだ。これでもほんのちょっとで、まだまだ沢山あるよ。————けれど、もう誰も呼ぶ人はいない」
―――――『誰も呼ぶ人はいない』
その意味を探ると、エレノアは凡そにして幾らか想像がついた。
単純に名付け親たちが、遠くに行って別離したか。
それとも、みんな彼より先立ってしまったか。
名前を複数持つ、という経験をした事がないエレノアには想像の限界がある。しかし名前を持たない彼の心情は、やはり淋しいのではないかと、思わずにはいられなかった。
「でも―――――、淋しくはないよ」
それとは裏腹に、青年がそう続けた。
「本当に?」
「此処まで沢山の名前を貰うと、もう言葉一つで自分を定義することの無意味さに気付くんだ。それは誰かから与えられる"だけ"ではなく、ボク自身、自ら創り出して決めていいんだ、ってね」
…………やはりというか、なんというか。
この青年は、明らかに常人では到底及ばない領域にいるように思える。
あの森で
自分ら凡人……というか"普通の生き物"とは異なる気配というか。何か超常的なモノを、この青年から感じられずにはいられなかった。
故に、改めて疑問が浮かんだ。
この青年は―――――――『何者』なのか、と。
「ところで、次はボクから質問してもいいかな」
「えっ? ……ああ、うん」
……此処ぞというところで遮られてしまった。
そして、恐らく最も気になられてる点について、エレノアは指摘された。
「キミはどうして、此処にいるんだい?」
「…………」
青年は再度街の景色へ向き直り、今度はエレノアが空を見上げた。
「家族と……お爺ちゃんと喧嘩したの。父さんは国の仕事も夢もどちらも中途半端にしなかったけど、それに対して私はどっちも適当にしてる、って怒鳴られた。」
少しずつ、エレノアの表情が下へ向いていく。
「あの人もう、呆けに呆けて限界きてるから、言いたいこともズバズバ言い切ってきて本当に嫌になるのよね」
「夢? エレノアには、夢があるのかい?」
「……もうだいぶ昔の話。父さんから、ある御伽話を聞かされたの」
そう、それはエレノアが父から聞かされた――――、最初の「御伽噺」。
彼女の
「私の一族は宝眼なんだけど、実は
「口承か……凄いね、伝言ゲームのルールであらかた大事な部分は書き換わって根本メッセージとかは崩壊し易いのに、よく
「それは本当に同感。一族全体を通して、恐らく父さんみたいな人が多くいたんでしょうね。父さんはお婆ちゃん(父さんからした母)から聞かされたって言ってたし。…………ともあれ、まあ私もその
「その御伽話……もしかして、星穹のこと?」
「そう、果てしない空の冒険。確か、題名は…………」
――――――『
「あの暗い天蓋の彼方、星空の輝きの中を私の先祖たちは駆け巡ったの。その中に描かれた景色や出来事はあまりにも綺麗で……、私は願ったわ――――」
―――――いつか、私もその青い星座の中を飛び回りたい
暗闇ばかりの天に、エレノアは手のひらを向けて伸ばしている。
あのちっぽけな瞬きの中の、一つの星を掴みたい、と言わんばかりに。
「けど今は、そうは思わないのかい?」
「……厳しい、というか現実的にムリなのよ。星穹運航技術は圧倒的かつ記録に遺されてない
どうしようもない現実と事実。
この星を生きる者達は、そうやって星の「正体」を暴いてきた。
それは同時に、エレノアが抱いてきた夢を―――――遠ざけていった。
「それに………みんなこの星の外よりも、『お金』とか『地位』とか、社会の中での自分の立場や在り方を大切にしてるから…………。私や父さんみたく、其処に拘らない人は社会不適合とか、世捨て人なんて言われて終わりよ」
エレノアは祖父と話していた事を思い出していた。
この
深淵へと潜るよりも苦しく、暗く、――――孤独な前進であった。
昨日まで、ボンヤリと受け身な感覚で想像していた程度のその事実は、自分の知らなかった父の実情を知って、悍ましい真実、闇と化して、自分の本当の世界として顕現した。
夜は決して明けず、星空は次第に曇り、発展していく文明の灯りに伴って、晴れてもなお霞んで見えなくなっていく。
―――――永遠に行き止まりの夜
「だから、私はもう輝けない。夢を求める限界が地上への墜落というのなら、私はもう希望を抱いて歩けない。この星の重力は私の情熱さえ引き縛っているの……」
煌めく星空に虚ろな瞳を向けて、エレノアはそっと囁いた。
「――――もっと、自由な世界に生まれたかったなぁ」
思わず…………、涙が溢れ出した。
先ほどより勢いは無くとも、決壊した想いの濁流は、側からそれを見た人に悲壮感を覚えさせるには充分だった。
「…………エレノア」
「ご、ごめんね! 悩み相談に乗ってもらう義理とかないのに……」
「いや、良いんだ。昔話も正直、そのつもりだったから」
「……え?」
青年が、エレノアの頬に触れる。
少し大きく、安心する温かさを保った手。
青年が指で涙を拭う。
「キミに、見せたいものがあるんだ」
―――――『目を、瞑って』
そう言われて、エレノアは素直に目蓋を閉じた。
「全ての生命には声が宿る。木々も、動物も、鳥も、魚も。―――――――星にも」
ゆったりとした声。
遠い昔に、この響きの中に護られて暮らしていたような、そんな懐かしさを錯覚するほどに、優しいものであった。
その瞬間、筆舌に尽くし難い、不思議な感覚に包まれた。
まるで、何かに吸い込まれるような、包み込まれるような。
強い引力や斥力が四方に働き、自分の体が伸ばされたり縮んだりするような、奇妙な感覚だった。
次第に、その激しさも落ち着いて静まった。
「…………良いよ」
そう言われて、瞳を開けた。
光と声が織り畳まれた『
◆ ◇ ◆
無窮の空間に立っていて、まるで夜空だけの世界。
その中を、まるで静止した雨粒のように、いくつもの粒子が浮いて集まっている。
その粒子から、無数の『声』と『景色』が伝わってくる。
「これって、一体――――」
粒子に、一つずつ触れる…………。
…
……
………
…………
一面、砂の大地が広がっていた。
乾燥しきった荒野を歩く旅人が、焚火を傍らに星空を眺めていた。
望遠鏡をのぞき、携えた水を飲み、まっすぐな目をしていた。
『理想郷はきっとある! 地底より一歩も踏み出さぬ腑抜け共と俺達は違う。己の手でこの地を潤すぞぉ!』
『おぉーーーーーーー!!!!!』
天と地が冷気で凍てついた氷海の片隅。
巨大な流氷が絶えず流れ、極寒の潮風が吹き荒れる厳しい世界を、その中でなお溌剌と生きて暮らす男がいた。
『データ収集完了。またあの氷山に潜る必要があるか』
『どうか、我が故郷に届きますように―――――』
炎に包まれた戦場。
その中で、命を懸けて、偉大なる戦士たちは剣を振るう。
全ては、祖国を守り抜くために。
『彼方の星に誓え。必ず、我らの手に――――勝利を掴む!』
『暁よ―――――、勇壮たる我らを導きたまえ!』
『―――――導きたまえ!』
遥か彼方―――――、きっとこの星では絶対に辿り着けない場所。
たくさんの人々が、星に願いを込めていた。
小さな子供、互いに愛する夫婦、親愛を深めた友人たち、余生を謳歌する老人。
みんなが、星に向かって祈りを捧げていた。
まるで、今まさに自分が空の向こうに夢を抱くのと同様に。
自身の見上げた空の彼方に――――、『遥かな想い』を馳せていたのだ。
『ねぇ、ママ』
『なにかしら?』
『私もいつか、お星様に行けるかな? あそこまで飛んで行けるかな』
『ええ。行けるわよ、きっと』
『じゃあ、その時はずっと傍にいてね!』
『勿論! “可愛い娘の一人立ち”を、独り占めしちゃうんだから』
…………
………
……
…
粒子の中の光と声が消えた後。
鏡のような表面に写った自分の右目が、緋色に輝いて見えた。
初めて知った、本当の自分の、『真紅』の輝き。
———――全部、在ったんだ。
———――空の向こうも、星の世界も。
———――私の瞳に、確かな『
◆ ◇ ◆
「――――――」
「どうだい? 聞こえたかな?」
「うん。聞こえたよ、いっぱい、沢山―――――」
エレノアは、また涙を流していた。
それは、これまでのように苦悩や絶望から来るものではない。
ただ―――――、心の底から嬉しかった。
「ねぇ、これって……」
「ボクとキミだから観れた『光』だ。見たい時はいつだって見せてあげられるよ」
……相変わらず、何を言っているのか分からないし、原理も理解できない。
けれど本当に、掛け替えのない体験をした。
もはや何にも縛られず、本当の自分を目指して歩き出せるような気がする。
今はまだ、無理かもしれない。
だけどいつかは、自分だけの力で―――――。
「―――――その必要はない」
「え?」
「僕はね、君にお願いをしに来たんだ」
「…………お願い?」
「君のように、空を仰ぎ、星に夢を抱いた人を、僕は心の底から尊敬している。僕もまた、自分自身が何もなのかを、ずっと追い求めている。だから―――――」
————君の旅に、着いて行きたい。
何を言うかと思えば…………。
本当に、この青年は全てを見透かして、その上で語り掛けてくる。
得体が知れなくて、少し怖かったけれど……
今は―――――――、もう違う。
「ったく、何言ってんのあなた―――――」
「すまない。少し唐突だったかな?」
「だったら、最後まで付き合ってよね!」
「……本当?」
「ええ! 私はいつか、星穹に行って、お父さんの夢の先、本当の星穹に行く! 誰が何と言おうと、関係ない! もう私は、誰にも止めれない」
「そうか、良いね」
「だから、アンタも最後まで、私の傍に居て、私を見守ってて。アンタが抱えてることも全部、私が解き明かして見せるから!」
「うん、そうだ。それでこそ――――
その夜、エレノアは「星々の声」を受け取った。
あの星は全部、誰かが生きた証で、生きた軌跡なんだと、―――今ならわかる。
なら、やっぱり
もはや、立ち止まる理由は何処にも無い。
「じゃあ、これからよろしくね!」
「嗚呼、此方こそ。この命をもって、君が辿る夢を見届けよう」
二人はそこで初めて、「対等」な握手を交わした。
互いが共にあれば、どのような不可能も可能になる。
きっと、それを多くの人に託しては、独り取り残されていったのだ。
ならば、この青年が自分を変えてくれたように。
「ねえ、名前だけど」
「―――――名前?」
「そう、私が今ここで、あなたに新しい名前を付ける。この名前、ちゃんと最後まで覚えておいてよね」
「……そうか、約束しよう。なんて付けるんだい?」
彼という存在を、今一度思い返す。
雄大な自然の中で、まるで「大地」の一部となって生きてきた。
誰よりも世界を知り、誰よりも命を尊び、―――――誰よりも慈しきもの。
――――――――『テラ』。
「テラ―――――、か。うん、素晴らしい名前だね」
「でしょ。こういうの、私得意なんだ」
そして、エレノアとテラは、星に手を伸ばした。
「じゃあ、改めてよろしくね。――――テラ!」
「こちらこそ、よろしく頼むよ。――――エレノア!」
その日、特別な記念が送られた。
エレノアにとって今日は、新しい自分の「誕生日」。
本当に『星』になる為の―――、始まりの日。
かつて父が語ってくれた物語。
『
今日という日のことを、彼女はきっと、生涯忘れないだろう。
そして、ここからすべてが始まっていく。
これは――――――、私たちが「星」になる物語。
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