第3話「揺らめく焔」


 12年前―――――、私がまだ5歳の頃の記憶。


 雲一つない正午の光が、木々の隙間から木漏れ日となって並木道を温めていた。そんな道を、私は歩いていた。

 気温は最高で、背後に感じていた父さんの気配なんて忘れてしまうほどに、その道を無我夢中で進んでいた。


 けれど夢というのは、醒めれば割と呆気なく消えてしまう。

 霧が晴れるようにスッキリと、物が消滅するように侘しく。


 背後を振り向いた時、私は途方もなく怯えて、思わず泣き出してしまった。

 相変わらず地面を照らす木漏れ日の下、私はその場で膝を崩した。


『なぜ、立ち止まったんだ?』


 ふと、そんな温かい声が降ってきた。

 見上げると、光で顔は暗んで見えなかったが、父さんと同じかそれより下程度の、男の人が立って見えた。



 …………気づいたら、だれもいなかったの。


『隣に誰も居ないのは、悲しいのか?』


 …………さみしい、怖いよ。


『歩けないのか?』


 ………………。



 父さんに、会いたい。

 そのひと言は何故か、喉から先へと出なかった。


 風がそよぎ、樹々が騒々しく靡き荒れる。



『なら、帰ろう』


 そんなことを、男はこちらに手を差し出して言った。

 

 …………どこに?



『キミのが、眠る場所へ』


 気づくと、つい先程まで全身を刺していた恐怖が、まるで夢だったかのように晴れていた。

 男から差し出された手を、徐ろにとる。


 男は優しく私の手を引いて、真横に並んで歩いてくれた。

 私は正午の光の温もりを思い出し、軽い足取りを取り戻していった。


 歩いていくと、やがて樹々が開けた森の出口に至る。

 そこに、父さんの姿が見えた。

 一目散にこちらに駆け寄って、私を抱きしめた。


 ———ごめん。ごめん。


 ———独りで怖かったよな、着いてこれなくて悪かった。


 ———もう絶対にお前から離れないからな。


 まるで命を拾ったかのように、泣きながら父さんはそう言うものだから。

 私も思わず、つられて涙が溢れてきた。


 しばらく泣いた後、背後を振り向いた。

 そこに、私を連れた男の影は無かった。



 やっぱり―――――、夢というのは儚いな。

 その男も、そんな風に朧げな輪郭だけを遺して、私の中から消えつつあった。




◆ ◇ ◆


 その影と形は、今、遥かな懐かしさを帯びて、エレノアの脳裏で微かに甦った。


「…………もしかして、あの時」

「思い出したのか?」

「うん、なんとなく。なんかその、知ってそうな事をわざわざ訊く、嫌味ったらしい口ぶりもね」

「嫌味ったらしいか? キミの情念変化はキミ自身の私的言語で以ってしか認識不能であろう。尤も、その私的言語はキミからボクに対して適切に伝達する手段は無いに等しいが」

「ああ! 分かったってば、難しい事言われても分からないわよ……」


 この声も口調も、その全てが懐かしい。


 エレノアの奥で、熱く何かが震えている。


「ね、ねえ、あなた本当に何なの?」

「キミが分からないのなら、ボク自身の自己認識の限界が浅いのも必然だ。故に、これ以上のボクの自己言明に対する追及は循環論法しか残らないだろう」

「………なんか、はぐらかし方がおかしくない?」

「案ずることはない。いずれ――――、全て分かる時がくるだろう」


 ……どうも釈然としないが、確かに本人が言う通りこれ以上ほしい答えは期待出来なさそうだ。


「とにかく、此処は滅多に来るところじゃない。また送っていくから、森を出て家に帰るんだ」


 全てに納得した訳じゃないが、彼が言う通り、ここで考えても答えは一向に得られないだろう。

 何より、予想外ハプニングの連続からか、既に体中がくたくたである。

 なのでここは大人しく、帰路に着くことを選んだ。


(やれやれ、結局何だったのよ。あの人…………)


 そんな中、エレノアの表情が一瞬だけ曇る。

 それは、この"非日常"を体験した故の、些細な心配であった。


「心配は不要だ、エレノア」

「えっ、何が?」

「キミはきっと、もう此処に来てはいけないと思っているのかもしれない。だが、その心配は不要だ、キミはもう此処に認められている。ボクも彼らも、もうキミを受け入れている」

「なんでそんな事わかるの?」

「分かるとも、ボクは彼らと共に生きている。相応しくないものには立ち去ってもらえど、そうでないものであれば、を願うさ。この森に生きるもの達の中にも、僅かにそう思うものだっている」

「よく分かんないけど、あなたがそう言うのなら、また来るわ」


 そう言って、エレノアは来た道を辿っていく。


 ただ、確かに感じる事が出来た。

 この世界にもまだ、私の知らない"未知"が残っていると。

 

 ならばいつか、私自身の手で、それを解き明かして見せる。 

 そうやって、一人の少女は『冒険』への情熱を再び灯していった。


「そういえばさ、あなた名前は?」

「“名前”―――――、か。そう呼べるものもかつてはあった。けれど、今の自分にはどれも相応しくない」


「そ、そう…………」


 そうして私は、この森から立ち去っていく。

 だけど、なんだかすごい体験をした気がして、少し気持ちが昂っていた。

 



 叶うならば、もう一度あの人に会ってみたい。

 そして、今度はちゃんと、聞くべきことを聞いてみたい。

 

 そうして少女は、いつも通りの日常へと戻っていく。



 



「そういえばあの時、何か他にを見た気がしたけど…………」






◇ ◆ ◇


 この惑星、この世界を制する国家『ソルティア連邦』。

 それはかつて、世界を統一したとある王国の名を、そのまま冠したのだという。

 

 ソルティアには、姿形の異なる種族が、五つ存在する。



 一つは「宝眼の民オクリュス」。

 オクリュスは、宝石のように輝く右目『宝眼』を持っている。

 エーテル流の独特な波を感知でき、「探求」に優れた種族。



 二つは「妖耳の民エーフィル」。

 毛の生えた横に長い耳を持っており、この星において「最優種」と称される。

 聴覚だけでなく、エーテル操作による特殊な術技「星霊術式エーテル・スペル」を用いる。



 その他には「巨腕の民ガレド」と「鋭角の民ニドス」。

 ガレドは、圧縮した強力な筋肉を保有し、屈強な肉体を自慢とする。

 ニドスは鼻と額に角が生えており、嗅覚が優れているだけでなく、知性も高いという。


 ちなみに、エレノアの幼馴染メディスは、ニドスである。




 そして―――――、「剛尾の民ディラス」。

 五種族の中で、最も戦闘に長けた種族であり、かつて「敵対種」として恐れられた者達。

 彼らの始原は、この星ではない。

 遠い星から移民した後、独自に勢力を築いて、大規模な戦争を引き起こしたのだという。

 よって、現在でもディラスを差別し、敬遠する者は少なくない。

 


 この五種族が共存し、それぞれの役目を果たす。

 そうして、ソルティア連邦は、数百年に及ぶ歴史を紡いできた。

 

 だが今も尚、「対立」や「軋轢」は残っている。

 民族意識は歴史の業に従ってその色を持つ。

 古の先祖たちが遺した結果と事実が、現在こうして存続する者たちに向けて、必ずしも良いものばかりを齎すわけではない。

 

 全てを受け入れて、全てを納得した。

 知的探究と文明開花に尽力し、安寧が続く中で生きる現代の者たちにとって、それは然程考える事でもなかった。






 だからこそ、があることを、彼らは知らないのだ。




◇ ◆ ◇


 禁足域にて―――――、未知の邂逅を経てから三日後。


 私はというと、を誰にも話していない。

 ただ、記録したことをデータにして、こっそり資料にして持ち歩いている。

 別にこれを誰かに見せるつもりは、今のところない。

 それでも、ちゃんと形に残したかった。


「よっ、! 今日はサボってないのね」

「……私のことなんだと思ってるのよ」


 同じクラスの女子たちが、エレノアに声を掛ける。

 あの出来事があったせいか、色々と疲れが溜まってしまい、今日もこうして、大人しく授業を受けていた。


「ところで、今日はメディスと一緒じゃないの?」

「体調悪いんだって」

「最近多いよね、過敏症で体調崩すやつ。やっぱ鋭角だから、鼻が良いからかな?」

「あの角って、凄い敏感らしいからね。私も前に触ってみた時、本気で怒られたもん」

「マジで? 今度触ってみよっかな?」

「やめときな、マジで泣くわよ」


 

 鋭角の民ニドスは、硬質化した尖った鼻と、一本か二本の角を額に生やしている。

 五種族の中で最も「嗅覚」に優れ、視界外の立体空間を把握する力に長けている。

 

 鋭角の生徒は、それぞれ得意な分野が大きく異なってくる為、基礎科にも、応用研究科にもバラバラに所属している。

 尚、メディスのような技巧者や計測者を目指す者は、揃って応用研究科に所属している。

 なお、エレノアを除いた宝眼の大半は、基礎科に属している。


「そういえばさ、今日って年に半日だけあの花が開く日だよね?」

「ええっ何それ、初耳!」

「"ミラ・ディエム"っていうんだっけ、さっき廊下で聞いたんだ!」

「ふうん」


 二人が盛り上がる中、エレノアは素っ気ない態度を取る。

 当然エレノアは知っている。というか見ているため、さほど特別な感慨を抱く事も無いのだ。


「あとでガーデンに皆で見に行こうよ!」

「いいね、写真も撮ろう!」

「二人とも物好きだね、楽しんでらっしゃい」

「エレノアは行かないの?」

「そんなみたいな言い方しちゃってさぁ」



 きっと、彼女たちは知らない。

 果てしない時の中で、僅かな瞬間しか現れない現象は、決して少なくない。

 その度に「奇跡だ」とか、「見逃せない」とか、正直大袈裟だと思う。


「今日、用事あるから。あと何よ保護者て」

「なによ、もう。ノリ悪いね」

「アンタさ、もっと人付き合い大事にした方が良いよ? 応用科ここ、将来的には社交性だって要求されるんだから」

「そうそう、いっつもメディスとばっかつるんでさ」

「別に、そんなんじゃ…………」


 すると、学院の鐘が大きく鳴り響いた。

 休憩時間が終わって、これから次の授業が始まるのだ。


「やば、もう戻んないと」

「あー、お疲れ」


 そうやって、私たちは次の授業を受ける。

 その後、クラスの何人かがガーデンを貸切って、星空の下でキャンプをするのだとか。

 まったく、本当にみんな大袈裟だ。




 本当の『未知』を、彼らは誰も知らないのだから―――――。




◇ ◆ ◇


 放課後、エレノアは友人たちと廊下を歩いていた。

 今日はメディスも休みなので、このまま家の手伝いに帰るつもりだった。


「ねぇ、エレノア。本当に来ないの?」

「だから、興味ないってば」


 どうやら、クラスの皆で行く事になったらしい。

 一人断ったエレノアは陰で「付き合い悪いな」と言われてるようだが、まあ事実なのでエレノア自身否定する気も起きなかった。


 そうして歩いていると、耳奥をつんざく大声量が響いてきた。


【どうか、ご清聴ください!】


「――――げっ、あれって…………」

「ヤバっ………」


 友人二人が、びくっと肩を狭めた。

 エレノアも深いため息をついて、声のした方に一応顔を向けてみた。


 それは、学院内にてもっともだと言われる活動団体。

 その名も――――「改革委員会」。

 なんでも、学院内に存在する「差別」や「偏見」を解消するべく、有志で結成された部活。

 その大半は主に基礎科に属する生徒や、差別意識を持たれる種族(剛尾や巨腕)で構成されており、その実、応用研究科や最優種エーフィルの扱いに対して、過剰にコンプレックスを抱く者達である。


【この学院は間違っている! 平等を謳いながら、決められた進路、狭まれた選択肢を強要され、誰もが等しく学びを得るという、学院の教訓に反しているのだ!】


【よって、我ら生徒の手で、清く正しい、楽員を築き上げなければならない!】


【同胞たちよ、今がその時なのだ! 私たちと共に、真の殿堂を築くべく立ち上がれ!】


 何人もが拡張機を手に、御大層な文言を尽きる事なく放ち続ける。


「おや、お前は――――――」

「あ、ああもう…………」

 

 思わず眺めていたら、つい捕まってしまった。

 エレノアの横を歩いてた二人は、「やばっ」っと言って逃げ去っていった。


「エレノア。今日こそ、僕たちと一緒に―――――」

「何度も言ってるけど、私はそういうの興味無いから」

「何故だ、エレノア! 君ほどの優秀な生徒が、一部では問題児として揶揄されている。それは、君のせいではない、この学院と、愚かしい生徒たちに問題がある」

「勝手に、私を語んないでよ」

「事実じゃないか。君の周りで君自身を認める人間は、果たして片手で数えても何人いる?」

「それは―――――」


 これだ。

 無理やり生徒を勧誘し、無茶な活動や援助金を要求してくる。

 はっきり言って、何もかも間違っている。

 どれだけ正しいことを言っても、まともな奴らは、コイツらになんて着いて行かない。

 

 こいつらの正義は―――――、破綻している。


 それに、こいつらなんかに、自分の何がわかるんだ。

 今なお抱えているこの苦しみが、痛みが、―――――夢が。


「もういいでしょ。私忙しいから」

「あー、待ってくれ。エレノア!」


 そうやって、エレノアは無理矢理その場から逃げ去った。

 彼らの問題行動に対して、学院側は「然るべき対処を取る」と発表している。

 とりあえず今は、学院に任せるしかないだろう。




―――――アンタたちと一緒なんて、ありえないから。






「詰め寄りすぎだ」

「すいません、ライオス委員長」

「あの人は、確実に彼女を仲間に引き入れろと命令した。あの人の命令は、絶対だ」

「はい、承知しています」

「僕たちはいずれ、この世界を変えるべき存在だ。だから、なんとしても―――――」






 エレノア・ルティーゼ。必ず貴様を―――――。






◇ ◆ ◇


 夕刻過ぎた頃、エレノアは家に帰宅した

 彼女の実家は、小さな「薬屋」を営んでおり、母親も薬師である。

 

 エレノアが「生物」や「環境」に興味を抱いてきたのも、母親の影響が強いといえる。

 

「おかえり、エレノア。今日はちゃんと授業受けてた?」

「残念ながら、お利口に受けてたわよ。相変わらず、つまらなったけどね」

「まったくこの子は。せっかく学院に通ってるのなら、もっと真面目に授業受けなさい」

「そんなこといわれても…………」


 彼女の母も、当然ながら学院の卒業生である。

 基礎科にて「医学」と「薬学」を勉強し、同時に「環境生態学」も履修したという。

 母曰く「誰かを癒せる職に就きたかった」とのこと。


 もっとも、そんな彼女も最初は「医者」を目指していたらしいが………。


「とにかく、これからご飯だから、さっさと荷物置いてきなさい」

「はーーーい」


 そういわれて、私は自分の部屋へと戻っていく。

 制服を脱ぎ捨て、身軽になったエレノアは、何も考えずにベッドに横たわる。


「はぁーーーーー…………」


 深いため息をついて、そのまま全身の力を一気に抜く

 もうこのまま、動きたくない。なんだかもう、疲れるだけ疲れ切った気分だ。


(ったく、何か奇跡よ、何が正義よ。そんなの、アンタたちが勝手に決めんな……)


 しばらく横たわって、リラックス出来た所で。

 そのまま夕食を食べに行こうと、部屋の扉をそっと開く。


 すると―――――。


 

 ―――――ガゴンッ!


 「ちょ……! もう勘弁してよ!」

 

 二つ隣の部屋から、大きな物音がした。

 その部屋は、エレノアが最も嫌う人物である、彼女の祖父の部屋だ。


「んぐぬぅ…………」

「ちょ、お爺ちゃん! 勝手に動いちゃダメってあれほど――――!」

「やかましい! ワシはまだお前らの世話にはならん。飯ぐらい、一人で行けるわい!」

「足悪い癖に、何言ってんの……」


 すると、下の方から母の声が聞こえてくる。


「エレノア、どうしたの?」

「大丈夫! またお爺ちゃんが部屋から脱走しかけただけ!」

「あらもう……。ごはんさっき食べたでしょ? 薬飲むだけだから部屋戻ってちょうだい」

「ち、痴呆が極まってきてる……とりあえず戻って」


 必死に抵抗する祖父を部屋に押し戻して、そのままエレノアは下へ降りる。

 そこには、行き詰った母親の姿があった。


「ごめんね、エレノア。いつも、迷惑かけて」

「良いって、これぐらい。悪いのは、あのだから」

「こら、そんな風に言わないの」

「えーーー……」


 そうして、エレノアは祖父の部屋へと薬を運んでいく。




 エレノアの祖父。

 かつては政府の重役だったらしいが、今ではすっかり老いぼれている。

 年季の入った椅子に座って、拗ねた表情で此方を見つめる。

 

 そんな彼に、エレノアは薬を持ってきた。



「まったく、近頃の若いもんわ」

「何よ、いきなり」

「学業はどんな調子だ」

「なんでそんな事訊くのよ?」

「良いから、どうなんじゃ」


 頑固な老人のため、こうなっては決して引くことはない。


「……まあ、普通よ。ボチボチって感じ」

「嘘こけ馬鹿者。また一昨日サボったと聞いておるぞ。優秀じゃが学業への意欲は皆無とな。で、森へ行ったんだとな? そんで何をしていた?」

「……森にあるっているデカい樹を、その……探して……」

「樹は空に浮いておるのか? お前はあの森の断崖からびゅうびゅうと縦横無尽に飛び回っていただけ、と聞いたがの」

「ぐむっ…………」


 問題児として過剰にお目付けを食らっているエレノアは、時折り、私の行動の一挙手一投足を監視され、それを親に報告される事がある。

 今回、恐らくエドガーあたりから伝言ゲームでどっかの教師がそう伝えたのだろう。


「学業は……まあ最悪上手くいかんでも食う分にはなんの支障も無かろうな。宝眼のクセして応用科に走るなぞ中々前例が無いからの」

「違うわよ、学ぶ必要無いのよ。単純だし、これでも私、テストも困ってないし。真面目にやる方が馬鹿らしいじゃん」

「アイツは、それでもどちらもバカ真面目にやっておったがな」

「………………」


 アイツとは、エレノアの父さんのことである。

 エレノアと話す時、祖父は必ずと言っていいほど父のことを話題に取り上げる。

 こちらへの当て付けか―――――、父さん

 どちらにせよ老人の譫言うわごとだと、エレノアは見切っていた。


「アイツは最期まで子どものように夢を追い求めていた。嘘か本当かも証明不可な先祖の御伽話をお前に聞かせ、同じ夢を抱かせようとするほど、冒険に飢えていた」


 窓の外の暗がりを茫と眺めながら、祖父は徐ろに語る。


「だがその飢えは決して満たされることは無かった。国に従事していたからだ。学生の頃からこの国のによって敷かれたレールに乗り、然るべき、と檻のようなこの天蓋に閉じ込められた。…………その最期が、遥か天空からの墜落だったのは、アイツにとってはこの上ない幸福だったのかもしれんな」

「………………何が、言いたいの?」



 エレノアの中で、何かがピシリと走る。

 意図せず拳に力が加わる。


「ワシが自分の息子を貶しているように聴こえたのか? エレノア」

「ええ、最低な侮蔑よ。父さんの墜落が幸福だった、ですって? 夢を求めて最期には叶わなかったことの、どこが幸福な最期ハッピーエンドなのよ!」

「いいや? 幸福な最期ハッピーエンドじゃよ、エレノア」

「嘘よ!」

「嘘じゃない――――」



 次第に剣幕を立てていくエレノアに反し、祖父は実に穏やかな様子だった。


「地平線は蜃気楼同然なこの現実で、飛び去ることを決して許されぬこの惑星ホシで、最期にあの天空の最果てまで昇り、そこから堕ちて死ぬ…………贅沢極まりない。アイツは最期の最後で報われたのじゃ。夢を諦めず、そのが尽きることが終ぞ無かったからこそ、最期には尊き主の御心によって報われたのじゃ」

「意味わかんない…………ふざけたこと言わないでよ!」

「"故に"今のお前に、アイツの死に様に関してとやかく吐かす資格など無いわ!」



 祖父が、今までにないほど叫んだ。



「な、何を……」

「アイツは社会のレールに乗りながらも、決して夢を忘れることは無かった。だがアイツが、世間知らずなお前に大好きだった御伽話を話してやる時間を作る為に、どれだけ己を犠牲にしてきたか、お前は想像した事があるか?稼いだ金の私財全てをお前に読ます本や遊具の材料に全て充て、一世一代のをすらお前との時間を優先して諦め、やがて同僚からは付き合いの悪さと相応の等価を求めぬ姿勢から孤立した! やがて友からも裏切られ、借金を負いながらも、お前の生きる時間を侵す事だけはしなかった!」


 座って佇んでいた身体を、燃える想いと尽きぬ言葉の勢いと共に、エレノアの方にのめり出していく。


「お前がどれだけそのレールに逆らおうと、最後にはこの国の歯車として組み込まれるぞ! そうなればお前は、国に対する忠誠も甲斐も無いまま、今より形骸化した無機質な日々を送る事となるだろう! 生きる為の金を稼ぐだけで、倦怠的な人間関係に揉まれ、己の生きる理由すら見失っていく!そしてその最期、お前の奥底に火が灯されていなければ、お前は父のような誉れ高い墜落ではなく、地中に埋まって息絶える!天に召される事なく、踏まれたのように潰れて終わるんじゃ!遠い瞬きに近づく事すら叶わず枯れた亡霊たちなんぞ数知れんし、努力して求めても届かず折れる者だってごまんといる!この惑星ホシで夢を求めるとはそういう事なのじゃ!」


「そ、そんな……」


「アイツの墜落が幸福な最期ハッピーエンドではなかったじゃと? いいや、まごう事なくアイツはを遂げたのじゃ! 凡人には有り余る祝福じゃった、ワシはアイツの父としてそれを心より誇りに思う!アイツの死に様を……生き様を、とやかく言われて許すつもりは、誰であろうと、決ッッッッッして、無いッ!」





 あまりにも凄まじい勢いに、下にいた母が駆け上がってきた。


「お父さん、一体どうしたのよ? エレノア、大丈夫————」

 

 母がそういって扉を開けた。

 其処に、堪らず涙を流しているエレノアの姿を、見てしまった。





「――――知らないわよ、全部ッ!!!」

 

 エレノアが叫んだ。


「だったら何よ! 私が子どもの頃の夢を忘れたのがそんなに気に入らないの? じゃあ周りに子どもじみた御伽話を語って嗤われてしまえばいいって事? 夢を追えば追うほど誰かに迷惑をかけて、私が心の底から求めれば求めるほど、周りはうんざりした顔を浮かべて私を軽蔑する!分かってるわよ全部! この世界で夢を抱いて生きていくことがどれほど息苦しくて冷たいかなんて!!」


 母が、取り乱すエレノアを抱くようにして抑えて宥める。


「エレノア、落ち着いてちょうだい! お爺ちゃんもう眠たいのよ! あなたが無理してまでまともに聞き入れる必要なんてないわ!」

「誰も私の願いを受け止めてくれない……だから父さんだけはそう在ってくれると信じていたのに……もういない。父さんですら、私の想像を越えるほどに冷たい『生』を生き抜いてただなんて…………」

「そんな事無いわ、お父さん、エレノアと一緒に遊んでいるだけで幸せだって言ってたわ! お父さんのことは心配しなくていいの!」

「嘘…………もう……もう、いやよ……」



 どうして、家族にすらこんな恐ろしい現実を叩き付けられてしまうのか、と。


 母の腕を振り解き突っぱねて、エレノアは部屋から出て階段を下り、家を飛び出した。

 一心不乱に走り、冷たい向かい風に晒されながら、涙を流した。







◇ ◆ ◇






「……………………」

 

 しばらく走った後、エレノアは秘密の場所に来ていた。

 エレノア以外に誰も知らない、町と空が一望できる断崖。

 子供の頃からのお気に入りスポットだった。

 大体此処に来るのは、彼女が酷く落ち込んだ時だった。


「…………あ、これ……」


 俯くと、ふと足下に花が見えた。


『ミラ・ディエム』。

 年に一度、今日この瞬間だけ咲く、刹那の花。

 学院の中庭か、あの森にしか群生していないと思っていたが、まさかこの場所に、たった一輪咲いているとは。


 今頃、クラスのみんなは学院の中庭で、この花を囲んで賑わっている事だろう。

 与えられた日々を讃美し、敷かれたレールを謳歌し、将来に胸を膨らませる、普通のみんな。

 彼らの夢はきっと、国への奉仕。

 自分のように国を出たがる変わり者とは違う。この地上に留まって、あの広い世界を知らぬまま、その生を充実させようと上手くやるのだろう。




 想像するだけで、悍ましい。


 ―――――怖い。


 "将来を想う"ほど、背を刃が伝うような感覚になる。


 ―――――――怖い。


 生きるとは、未来に進むこと。


 ――――――怖い。


 未来に進むとは、死に至る事。


 ――――――――怖い。



 夜は―――、暗い――。寒い。

 夜は――――――――、唯の闇だ。


 どうして私の将来は―――――、こんなに暗いのか。

 上を見れば、重苦しい黒が広がっている。




 …………なのに。

 その黒を、ほんのりと青く色づける、


 星はあんなに綺麗なのに、どうして夜にしかないのだろう。

 なぜ星々は、こんなに恐ろしい夜の果てで、あれほど美しく瞬くのだろう。

 人類がたとえ火を得ずとも、もしかしたら我々はこの瞬きを頼りに、この地上を歩むことが出来たのではなかろうか。

 

 それなら、昼間にだって見えていいのに。

 星を見つけるのに、暗闇へ挑む意味なんて無かったはずだ。














「あれ―――、えっ!?」


 気付くと―――――、視界の隅には立っていた。



「こんばんは―――、エレノア。三日ぶりだね」

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