第2話「秘境の主」


 翌日、午前中で学業を終えた二人は、食堂の購買で軽食を買い、本棟一階の端にある部室で食べていた。


「例の件だけどさぁ」

「ムリ」

「いや頼むよぉ~、アンタの知恵が必要なんだって」


 メディスが他数人の学徒と開いた【未来機装開発部】は、今度の研究披露会アッゴナスに出場志願し、準備を進めていた。

 応用研究科にて、年に一度開かれる大規模なイベント。

 政府のお偉い人や国に従事する現場の学者たちに向け、学徒たちの研究成果を発表する。


 これは応用研究科の学徒たちにとっては、またと無いチャンスである。

 基礎科と違い、応用科は既存のロジックを組み合わせて目に見える成果を生み出し易い。殊更にそれを卒業前に、その成果を学徒たち自身の望む現場先の人間に評価してもらえるというのは、推薦やお墨付きを得易いのであった。


 自身の将来に関心を持たないエレノアからすると、微塵も惹かれない話であった。



「“星外への進出を可能とする飛行機装”なんて、大して耳傾けられないでしょ。というか私がなんの力になれるの? とんだ専攻違いよ」


 加えて本音としては、エレノアの中で、披露会というものに良い印象が無かったのだ。

 実はエレノアは数年前に推薦を受け、先輩の企画にアシストとして関与した事がある。だが当時の会場の他学徒たちはライバルと言うのも気に食わない、脚の引っ張り合いで互いを蹴落とそうとする卑怯者しか見当たらなかったのである。

 唯一まともだった先輩も検証機材を弄られた結果使い物にならなくなり、エレノアたちの発表は多くの妥協を踏んだ上での結果となった。


 数年前の話のため、今の披露会がどうなのかは分からないが、もはやエレノアが避けるには充分な理由であったのだ。



「エレノアって『空間学』のセンスが天才的じゃん、どうしてもあの計算技術がほしいんだわ」

「それこそ何処で活躍するって言うのよ、空間中のエーテル流を読むなんてメディスにもできるでしょ。何のために私が出しゃばる必要あるのよ」


 エレノアが詰め返すと早々に手札が切れたのか、メディスは堪忍した様子で咳払いし、白状した。


「………まあね。正直なところさぁ、アンタ昔から『星穹』に関して詳しかったじゃん? 星辰の軌道とか具体的な周期とか、各星辰毎の地上との距離比とか、そういう部分で協力してもらいたいなー、ってさ」

「…………」


 やっぱり。

 と、口には素直に出さず飲み込んで抑える。


 昔、学院に入りたての頃は、確かにそうだった。

 メディスが飛空系の学問に興味を持ったのは、空への期待であることは確かなのだが、そのキッカケは恐らく自分なのだろう、とエレノアは悟っていた。

 当時、資料館に引きこもって地味な理論探究をする事に辟易したメディスは、基礎科から抜けてこの応用科に転入した。

 同志であった他の同族からは非難され、転入先でも馴染めなかった彼女は、やはり孤立する事となった。

 

 エレノア自身、そんな彼女にのような共感を抱いた。

 見るからに辛気臭く、じめじめとした様子のメディスを見兼ねたエレノアは、彼女と接触し、友好を深め、やがてはメディスに自分の身の内を明かした。


 自分の先祖のこと。


 父さんが衛星機士であったこと。


 自分が昔観た星空のこと。


 そして地道に独学していた、多くのの話をした。


 それがメディスに与えた影響は知れないが、何かを遺したのであろう。

 だが、それはエレノア自身にとって過去の話であった。



 

「それにほら、アンタの親父さんもそういう仕事してたんだし、上昇力学の方面でも何かしら資料とか残ってたり……」

「……………………」

「……ごめん」


しばらく、沈黙が続いた。

既にパンを食べ切っていたメディスとは裏腹に、まだ齧られて残ったパンを片手に、エレノアは俯いている。


「……生憎だけど、私もう星穹の事に関しては考えないようにしてるから。考えたところで無駄だし、学術的にも何の生産性も無いでしょ」

「そんな事……!」

「私―――、そろそろ帰らなきゃ。じゃあ、また明日ね」


 そう言ってエレノアは一足先に部室を後にしてしまった。


 見るからにエレノアが塞ぎ込んだ様子であった。

 一人部室に残されたメディスは、「しくったぁ」と思わず頭を抱えていた。

 




◇ ◆ ◇


 帰宅する前に、エレノアは昨日見つけた大樹をもう一度見るため、再び森へ入っていった。


 飛行する風と木漏れ日の温もりで溢れていた昼間とは打って変わり、灯ひとつない夜の森は極めて不気味だった。ランプを点灯して携えているが、足下の草や土を照らすのみで、視界の先は全く持って明かりを吸ってしまっている。

 この暗闇の中で飛ぼうものなら、何度も木々に衝突して墜落してしまう。


 ただエレノア自身は、幾度もこの森に入っている。 

 昼間のサボりも然り、昔はよくこの森で遊んでいたのだ。

 迷い込んだ事もあったが、その時は、見知らぬ人(思い返して大体成人男性)が付き添って森の外まで連れ出してくれたことがある。

 森から出た先には父さんがいて、エレノアに気付くとすぐさま駆け寄って抱きしめてくれた。

 ごめん、ごめん、と謝られている中、エレノアは背後を振り返った。けれど、そこに居たはずの人影は夢のように消えていた。


 不思議な事に、エレノアはこの森で遊んだことがあるなぁ、というボンヤリとした事実と、この、誰かに助けられた瞬間しか鮮明に覚えていないのだ。

 自分で思っていたほど、この森に対する思い出は希薄なものだったろうか、とも考えた。


 何であれ、それでもこの森には懐かしさと望郷の念に似た想いを感じずにはいられない。

 あんな、国という一つの枠組みに組み込まれる為だけに日々を過ごさせられる、に比べれば。

『自然』という場所ほど、居心地の良い場所は私にとってない。



 頼りにならない灯りで足下しか照らされていなかったが、時代に木々の向こうから、仄かな光が溢れて見えた。

 その僅かな明るみを頼りに歩いていくと、やがてその明かりは一層増し、鬱蒼とした木々を抜けて、開けた空間に出た。




「…………これだ」




 そこに、大樹が屹立していた。

 紛う事なき、昨日の昼間に見たのと同じ代物である。

 あたりは蛍光性の羽虫や花々が広がっていて、樹木の根本を鮮明に照らしている。もはやこのランプも不要なほどであった。


 羽虫はこの地域では滅多に目にしない「ルクヴィフライ」。

 花もこの森に微かな観察記録しかなかった「カミノリウム」。


 他にも多種類が棲息・植生している様で、環境生態学に精通するエレノアにとって、この光景は驚くべき発見そのものであった。

  

 この森は、巷では「彷徨いの森」と呼ばれ、国からは『禁足域』に指定されている。

 一度足を踏み入れては、二度と帰ってくることは出来ないとされており、事実、エレノアも迷った事がある。

 深く入り組み広がっており、そして得体のしれない場所として知られているのだ。


 そんな場所にエレノアは好き勝手出入りするので、大人たち(特に教師)からはこっ酷く注意されている。 

 滅多に人が入る事は無い……というか、やはりエレノア以外が入る事自体がそうそう無い為、探索がそれほど進められていなかったのだ。


 故に、こういった資料に記載されていない場所もあるのではないか、と考えてはいたのだ。

 


「………まさかそれを、して見つけるなんて」


  

 その圧倒的な存在感を、眼と肌で感じる。

 幹から伸びる枝の数々は、それら一本が辺りの樹木と同等か、あるいはそれ以上の太さがある。

 幹には転々と穴が空いており、動物の巣となっていたり、そこからまた新たな植生が生え伸びているという、見たことのない状態になっている。


 樹齢何年であろうか。いや、そんなものではない。

 恐らく、何万年も此処で立っているのだろう。

 常識的に考えて信じられない規模であるが、この大きさと、もはや巨大なキノコの傘同然の樹冠には、心当たりがある。

 森を街の中から概観した時、遠くにポッコリと出た箇所があったのだ。

 これを隆起した箇所だと想定していたが、まさかその下はこの様な事になっていたのか、とエレノアは感嘆とした。

 

 まさに秘境。

 国はこの場所を知っているのだろうか。

 自分が徒歩で入ってこんな直ぐに辿り着けるというのに、国のお偉いさんや学者たちがこぞって立ち入った事がない、とは、さすがに考え辛くなってきた。


「………此処、もし隠されてんなら、これから私の同然だね」


 胸の奥で、懐かしい『冒険心』が脈打っている。

 目新しく、綺麗な景色。

 其処に他者はおらず、自分だけが在るがまま有ることを、許される世界。

 

 エレノアは、さらに根元へ近づく。

 至近距離で観ると、根は通常の樹木と異なって捻れた様になっているのが分かる。

 地面から生え伸びた、というよりも、地面に向かって突き刺さり、捻って、地中深くにある何かを縛るかの様な…………。


 エレノアが、その表面に手を伸ばす————













「―――――そこまでだ」


 耳に、重く固い声が響いた。

 エレノアの伸ばした手を、背後から別の誰かが掴んで止めた。

 咄嗟に振り向く。


 其処には、まさにがいた。



「え…………あ、え?」

「確かに綺麗だが、ヒトが触れてはいけない」


 端麗で整った顔は無表情だが、どこか気迫を感じる。

 エレノアは言われた通りそっと手を下ろすと、青年も手を離し、改めてこちらに向き合った。


「………えっと、すみません」

「謝らなくていい、此処にキミ以外の誰かが立ち入った事は無いし、恐らく星章学院の資料館にも、此処を記載した資料は蔵書してないだろう。ただ、ボクが居合わせていてキミは運が良かった」

「えっと、あなたは一体?」

「ボクは―――――、キミが意志した時からキミと魂を繋いだものだ、"エレノア"」


 ———こちらの名前を、知っている。

 全く面識は無いけれど、こちらは随分と認識されているらしい。


「……ええと、学院の……私の先輩か、教師ですか? 全く見覚えなくて……」

「当然だ。ボクはに所属していない」

「……え、じゃあ……ええと、何がなんだか」


 ……なんだろう。

 話せば話すほど分からない。

 意思疎通は出来てる様だけど、互いが根本的に話す土台が食い違っているような。

 

 エレノアの中で、恐れと違和感が募る。

 だが不思議と敵意のようなものは感じられず、話していてゆったりとした時間が続く感覚である。


「あ、あの、どうして私の名前を?」

「ん? 言わなかったか? ボクはキミが意志した瞬間から魂を繋ぎ、命を共にしているものだと」

「ん〜〜〜全然わからん」


 精神的スピリチュアルな話はやめてください。微塵も理解できません。

 言葉通じてるのに、節々で言語を共有出来てないような、奇妙な感覚だ。

 

 謎の美青年の発言を前に、エレノアは困惑していた。





 …………ふと、木々の奥から荒々しい地響きが聞こえてくる。


「……何?」


その音は段々と近付いてきて………….

やがて、巨躯が"飛び跳ねて"、木々から姿を見せた。


「る、『ルドリオギス』!? なんでこんなところに……!」


 バキッ! バキッバキッ!

 巨虫とされて危険指定されているルドリオギスが、背翅を擦り合わせて大きな金切音を響かせる。


 時代が進み研究が発展してもなお、この森の生態系は依然として謎に包まれている。

 このように、他の地域や生態系では観測されないほどに稀有な生物が跋扈しており、まるで御伽話の怪物を彷彿とさせる存在も多く噂されている。 

 それも、この森が禁足域指定されている要因の一つだといっていい。 


 そしてその中でも、この巨虫は事実として観測済みである。

 エレノア自身も資料で読んだ事があるため、知っている。

 実際に人的被害もあった、"肉食虫"である。



―――――とある学者は、コイツを「巨大バッタ」と呼んだ。



 ルドリオギスが、此方に向かって飛び掛かってくる。


「ヤバっ……ね、ねえ、逃げなきゃ!」


 青年の腕を引っ張って揺するが、青年は微動だにしない。

 それどころか、なんと自ら歩み出し、ルドリオギスに肉薄しだした。


「嘘でしょ、うそでしょ、ねえ!? ヤバいって!」



 青年がルドリオギスに掌を向けた。

 すると、凶暴な肉食のはずのルドリオギスが、青年に面と向かって静止した。


 やがて、どういうわけかルドリオギスは、森へ飛び跳ねて帰っていったのだ。


「……えっ?」


 何が、起きたのだろう?

 この青年がキッカケなのは確かであろう。しかし具体的に何のアクションを起こしたのか、エレノアの思考と想像が追いつかない。


 その静寂は、獣が他を威圧する弱肉強食の理とは異なる———。

 ————何か、二者の間に人智を逸した未知の法がはたらいているかのような。

 

 摩訶不思議で、底知れぬ力の片鱗として、エレノアは感じた。



 やがて、どういうわけかルドリオギスは、森へ飛び跳ねて帰っていったのだ。


「……えっ?」


 何が、起きたのだろう?

 この青年がキッカケなのは確かであろう。しかし具体的に何のアクションを起こしたのか、エレノアの思考と想像が追いつかない。



「ところで、一つ尋ねたい」

「……え、何?」


 ひとり呆然とした様子のエレノアに対し、相変わらず青年は淡々と言う。


「君は宝眼の種族のようだが、その両目が全く以て霞んでいるのには、何か遺伝的な由来があっての————」

「やめて」

「————ん?」

「私、コレのこと指摘されるの嫌いなの。どういう神経してるのか分からないけど、他人の身体のことをあれこれ言うなんて、デリカシーに欠けるわよ」

「……そうか、それはすまなかった」

「ふんっ」



宝眼の民オクリュス』は、この惑星で生きる五種族のうちの一つ、輝く瞳を宿した種族。

 輝く右の瞳を『宝眼』と呼び、色を持たない左目を『霞眼』という

 双眸非対称の色合いを兼ね合わせており、エーテル流の微細な揺らめきを視認する能力を秘めている。

 その瞳の輝きには個人差があり、眩いほど宝眼の中では誇り高いものである。

 その中、エレノアの一族だけは、生まれた時から両目とも霞んでいた。


 エレノアも同様で、父から同様に引き継いでいる。

 その理由は分からない。



「ふむ、懐かしいものだ」

「え?」

「その瞳を、ボクは鮮明に憶えている。その瞳、宝眼の通常個体に一般的な光沢とは異なる、特異な結晶を」

「……どういうこと?」

「さっきも言ったはずだ、エレノア―――――」








―――――――キミはかつて、ボクと出会っている

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