第29話 血濡れた紅獅子
(三人称視点)
――フィレムがティグルとリリに最終通告を出した後。
自宅の屋敷に戻った彼女は、とある部屋を訪れていた。
「――失礼します」
高価な調度品が立ち並び、室内の重みと贅沢さが引き立てられた一室。
常人ならば生涯見ることができないであろう贅の限りを尽くしたその空間に、一人の男が座っていた。
「来たか、フィレム」
「父上。ご用件とは一体何でしょうか」
赤々と燃えるような毛を逆立てている彼こそは、フィレムの父親にしてユーウェイン家現当主。
【
「……先日の校外演習の結果を聞いた。一位を獲ったそうだな」
「ユーウェインの家名を背負う者として、当然の結果です」
「そうだ。お前が頂点を取ることは至極当然。当たり前のことなのだ」
レオルドはフィレムを褒めるでもなく、フンと鼻息を一つ鳴らすだけであった。
「二位とは頻差だったそうだな」
「ッ」
「しかも聞くところによれば平民の男だとか。お前は危うく平民の男に、学園の頂点を奪われる所だったということだ」
「……結果として見れば、私の勝利です。確かに予想外の展開ではありましたが、最善は尽くしました」
「そうか。……だが、手ぬるい」
レオルドから放たれる圧が増す。
現役を退いたとはいえ、元円卓の騎士。その威圧感はフィレムとて緊張を隠せずにいられなかった。
「貴族とは平民の上に立ち、圧倒的な力で支配するもの。そうして平民の意思を統一することで、初めて王国は一致団結することができる。
故に、平民には絶望を植え付けなければならぬ。“決して敵わない。歯向かおうとする事自体が間違いだ”と、どれだけ愚かな平民でも理解できるようにな」
「……」
「フィレム。お前に求めるのは只の勝利ではなく、圧勝なのだ。平民に追いつかれそうになったなどという事実はあってはならない。ユーウェインの家名に泥を塗る行為なのだ」
「……申し訳、ございません」
フィレムは何の反論もすることなく、父親に向かって
試験の結果を見た時点で、こうなることは彼女も薄々予感していた。
しかし彼女に抗う術はない。この家の主はレオルドであり、その意思は絶対だ。
学内で女王のように振る舞う彼女も、本物の支配者には従わざるを得ない。
「……フン、まあいい。成績を改竄することは流石にできんし、一位という最低限の結果は得た。見栄ばかり気にする下級貴族共には十分な餌になるだろう。
――それに」
フィレムはその時、確かに見た。
父親の口元が、悪意に満ちた笑みを浮かべた瞬間を。
「もし、万が一。お前の玉座が脅かされるというのならば……その前に対処するだけだ。
「――ッ!?」
その言葉に、従順な姿勢を保っていたフィレムの肩がピクリと震えた。
思わず頭を上げる。その表情には、女王の威厳など欠片もなかった。
「ち、父上。それは、それだけは――」
「何を案じている? フフ、まさか私が犯罪に手を染めているとでも思ったのか?」
フィレムを安心させようとしたのか、笑みを浮かべて見せるレオルド。
だが彼女がそれで安心することはない。その見透かされたような笑顔に、身体を
「心配しなくともいい。私も追放されたとはいえ、元は円卓の騎士。ユーウェイン家の誇りを汚すような真似はせぬ。
妖精の少女はあくまで“例え”だ。おおよそ
どこの誰が犯人かは知らぬが、あそこまで極端な真似はしないさ。ただ邪魔者を盤外に弾き出す事など、私にとっては造作もないことだと言いたかったのだ」
「――、――――」
フィレムは確信していた。
決定的な証拠こそ実の娘にも明かしていないが……妖精騎士リリが襲われたのは、この男の手管によるものであると。
そしてその魔の手が、ティグルに伸ばされようとしている。
「何も恐れる必要はない。お前が圧倒的な支配者として、学園の頂点に君臨していればいいだけの話だ。そうすれば誰も傷つくことはない。やがてお前は【円卓の騎士】となり、ユーウェイン家に再び栄光をもたらすことだろう」
「……」
「だがお前はまだ幼い。今後もお前の行手を阻む邪魔者も多く現れることだろう。ーーそうした邪魔者共は、私が
「ち、父上っ」
微かに震える声で、それでもフィレムは父の言葉を遮った。
「……なんだ?」
「父上のお手をこれ以上、煩わせる訳にはいきません。私が、あの平民と決着をつけます。
今度こそあの平民に圧倒的な敗北を与え、二度と逆らうことがないように、身の程を思い知らせてみせます」
顔面を蒼白に染めたまま、フィレムは決死の意思表明を父親に行う。
その決意すら、レオルドは嗤っているように見えた。
「ほう。威勢のいい返事だ。冷静なお前にしては珍しいな?」
「……」
「フン、まあ私としてはどちらでも構わん。お前が今度こそ圧勝を収めるのであればそれで良し。
仮にお前が私の命令を果たせない無能であったとしても……私が動けば問題はない。
子の不始末を処理するのは、親の務めだからなあ?」
レオルドが
その本性は、騎士としての誇りを忘れ、堕落した貴族の象徴。
その血を引き継ぐ幼き女王は、未だ王者に歯向かう牙を持たない。
一礼して、フィレムは父親の部屋から去る。
……レオルドは、誰もいない空間に向けて静かに呟いた。
「監視をつけておけ。あの出来損ないと、ティグル・アーネストとかいう平民にな」
◆
「…………」
ユーウェイン家の屋敷にある大浴場。
広々とした湯船に、ポツンと浮かぶフィレムの姿。
フィレムは誰にも邪魔されない、この一人きりの入浴時間を密かに気に入っていた。
誰も見ていないこの場所ならば、貴族としての仮面も娘としての仮面も、全て脱ぎ捨ててありのままでいられる。
「…………はぁ」
しかし、普段なら心身を和らげてくれるこの空間も、今日に限っては彼女の
(戦うしかない……)
原因は明白。先ほど父レオルド・ユーウェインから告げられた、事実上の最終通告。
彼は彼女の出世を阻む者を、きっと容赦無く排除するだろう。先日リリがそうされたように。
(二度と歯向かわないように……頂点に立てるなどと思い上がらないように。圧倒的な勝利を収めなければ、彼らは助からない)
リリは奇跡的に助かった。だが次も同じとは限らない。
彼女はティグルをこの学園から追放しなければならない。それ以外、彼が助かる道はない。
……こうなることは予想がついていた。だが既に言葉での説得は失敗した。
ならばもう、剣を振るうしかない。彼らの身に、取り返しのつかない事態が起きる前に。
“お前は何のために剣を振るっているんだ?”
ふと、フィレムはティグルに問いかけられた言葉を思い出した。
それが抜けない
「何のために、か……」
公爵家として、ユーウェイン家次期当主として、フィレムは必死に努力を重ねてきた。
派閥を作り、
その過程で剣を振るったのは数える程。だが学園の女王に君臨するには十分な実力だった。
ティグルやリリと違い、剣の頂などというものに執着はしていない。
彼女にとって、剣は目的を果たすための手段でしかない。学園の頂点、そして【円卓の騎士】にさえなれればそれでいい。
そのはずだ。そのはずなのに。
ティグルに問いかけられた時、一瞬返事に詰まってしまった。
「……。なんで、剣を振るってるんだっけ……」
答えは出ぬまま、フィレムの呟きと思考はぬるま湯に溶けていく。
真紅の髪が
◆◆◆
ランキングが急上昇している……!?
このタイミングで過去最高記録更新とは、一体何が起きたんでしょう。
応援してくださる皆様、ありがとうございます。
本編もいよいよ佳境へ。このままクライマックスに向けて突っ走りたいと思います。
よろしければコメントや応援をいただけると嬉しいです。本作の今後のためにも、何卒よろしくお願いいたします。
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