第6話 トイレ先進国民の性(サガ)と状況サマリ

「はぁぁ……」

「……そんなに残念がる事かしら?」

 小部屋では、戻ってくるなり真っ先にトイレに入り出てきた太一が、分かりやすく絶望した顔で深いため息をついていた。


「だってさぁ。やっぱ欲しいじゃない、ウォシュレット」

「そりゃあ、あったら良いんだろうけど。そもそも伊藤さん、ここに住むの?」

「あ……」

「……はぁ、全く」

 当たり前のことに今更気づく太一を見て、やれやれといった顔で文乃が続ける。


「で、状況の整理と方針決め、だったわよね?」

「あ、うん。そう、それ」

「……ボキャブラリーが極端に貧弱になってるわよ?」

「ごめん、取り乱した。気を取り直してまずは状況を整理しよう。文乃さん、ノートPCでメモとれるかい?」

「大丈夫よ。テキストエディタでいい?」

「ありがと。ひとまずエディタで大丈夫。備忘録だから」

 ちょっと待ってね、と言いながら文乃がPCを立ち上げる。

 

「起動したわ。分かってはいたけど、やっぱりWi-Fiも繋がらないわね。まぁ繋がったら逆に怖いけど。はい、いつでもどうぞ」

「よし、じゃあ始めるか。あ、こいつを忘れてた」

 ごそごそと太一がポケットから取り出したのはスマホだ。

「さっき女神サンと話してたじゃない? 念のためと思って途中からこそっと録音してたのを忘れてたわ。聞き流してた事にも何かヒントがあるかもしれないじゃない?」

「抜け目ないわね……。でもありがたいわ。それも聞きながらまとめましょ」

 そう言って、認識に齟齬が無いか確認しつつ状況整理を始めた二人の表情が、完全に仕事モードに切り替わった。

 

 あーでもないこーでもないと話すこと15分ほど、あっという間に箇条書きで状況がまとめ上げられる。

 人間、想像もしない状況に置かれると、普通はパニックに陥り状況判断がままならなくなるものだが、さすがは大手広告代理店の出世記録保持者と人事の屋台骨と言われる才媛。

 現状を現実と受け止めたうえで、まるで事務作業でもするかのように状況をまとめ終えた。


「簡単だけど、こんなもんか」

「そうね。結局のところ分からない事のほうが多いのよね」

 そう話す二人が見ているモニタには、次のように箇条書きされていた。

 

【現状(召喚1日目)】

・地球では無い異世界(以下エリシオルと呼称)に召喚されたことはほぼ確定

・召喚者と呼ばれる者が召喚代行術式を行ったことを受け、召喚代行者なる存在の手により召喚が行われた

・召喚者は既に死亡

・地球への帰還は不可能ではなさそうだが、おそらく非現実的

・見た目は我々とあまり差異のない人型種族(以下現地人と呼称)が存在し文化を形成している

・召喚された際に元世界の神の加護、肉体強化レベル4、召喚先環境適応レベル4という特典? が付与されているらしい

 ※イレギュラー要素により肉体強化、召喚先適応は半分になっているとの事

 ※見た目が大学生くらいの頃に戻っている。年齢も半分になっていると思われる

・地球にはない不思議な力(以下魔法と仮称)がある

 ※少なくとも召喚魔法は実在

・おそらく魔法をベースとした地球にはない文明体系が存在

 ※例1:一見岩にしか見えない照明

 ※例2:何らかの認証方法を用いた自動扉

 ※例3:水洗トイレのようなもの(残念ながらウォシュレット無し)←重要!★

・どこかは不明だが建物の中にいる

・主な部屋、設備は以下

 ・召喚された部屋:床に魔法陣があるのみ

 ・召喚者の居住スペース:ベッド、棚、机、イス、水がめ、奥にトイレあり

 ・大扉:レリーフが施された大きな扉。開かない

 ・魔法陣のある部屋:召喚に使われた魔法陣より小さな魔法陣だけがある部屋

・気温は暑くも寒くも無い(24℃程度)

・直接外へ出られる出口は無いものと考える

・現地人とのコミュニケーションはある程度取れると思われる

・同様に文字もある程度読めるものと思われる(読めないものも存在)

 ※前述の召喚先適応の効果の可能性大

・スマホやPCは起動するが、スタンドアロンでの稼働のみ可能

・手持ちの食料は3日が限界。水分に関しては2日程度

・被服の文明レベルは中世ヨーロッパ程度と推察

 

「次は今後の方針ね」

「その前に、まずは目標を決めとかない?」

「目標?」

「そう、目標。せめて長期、中期、短期の目標は決めておかないと、方針もブレやすいからね」

「確かに。方針、方策は目標を達成するためのものだものね」

「そういう事。で、まずは長期の目標からだけど……。女神サンの発言からすると、帰る手段自体は存在してることがハッキリしてる。ただ、わざわざ返還に制限なんてかけてるんだし、そもそも召喚自体の対価が寿命なんて物騒な代物だ。そう簡単に帰れるとは思えない。となると、まず一番大きな選択肢として帰ることを前提とするかしないかを決める必要がある」

 ここまで一気にしゃべり一旦間を取ると、太一は改めて文乃を見る。その目は真剣そのものだ。


「文乃さん、地球に帰りたいかい?」

「……そうね。帰れるものなら帰りたいわね。ただ……」

「ただ?」

「判断材料が足りない……。と言うより条件かしらね? それが2つあるの。まずひとつめ。伊藤さんが言った通り、そう簡単に帰れるとは私も思っていないの。でもそれ自体は問題じゃない。問題なのは、帰るための条件。制約や対価ね。例えば莫大な費用が掛かるとか、誰かの命が必要だとか……、あるいは帰れるのは1人だけだ、とかね?」

「あはは……、なるほどねーー」

 自分の目をしっかり見ながら言う文乃に、歯切れの悪い返答をするのがやっとの太一。


「見過ごせない大きなリスクを背負ってまで、帰ろうとは思わないわ。ただし、それも二つ目の条件を満たすかどうかによるわね。二つ目の条件は、この世界の有様。分かりやすく言うと安全性とか生きやすさね。 私だって当たり前に命が惜しいもの。この世界が油断したらすぐ死んじゃうような物騒な世界だったり、食べるものもまともに育たないような不毛の大地しかなかったり……。

そんな命の値段が安い世界だったら、ほとんどのリスクには目を瞑ってでも、それこそ死ぬ気で帰還する道を選ぶと思うわ」

「なるほど。うん、俺もほとんど同じ考えだよ。まぁ最初は、帰れるのが文乃さんだけだったとしても帰るべきだと思ってたけどね」

「まだそんな事言ってるの……?」

 ジロリ、と音が聞こえるような目で、文乃が太一を睨む。


「いや、だから最初は、だって!! 今は違うから!!」

「そ、だったら良いわ。今度そんなこと言ったら、私は1人で行動させてもらいます」

「そんな事しないって!! まったく……。あらためてこれまでの話をまとめると、長期の目標は地球に帰る方法を“見つける”事でいいかい?」

「そうね。帰る帰らないは方法や条件次第だから、まずは方法を見つけるのが目標でいいと思うわ」

「OK。で、その方法を探すのもおそらく時間がかかる。覚えてる? あの骨が俺たちが召喚されたのを見たときの喜びようと口走ってた事」

「ええ。確か50年かかったとかなんとか」

「召喚を成功させるのに、それも多分それだけをやってきて50年かかるんだもの。それを帰す方法なんて、さらに簡単に見つからないに決まってる。かなりの長期戦を強いられるわな。となると、こちらで安全かつ安定的に生活できる基盤が絶対に必要だ。その基盤を作るのを中期の目標にするのはどうだい?」

「問題無いわ。帰る方法を見つけるまでの間、ずっと不自由に目を瞑るのも嫌だもの」

「じゃあ中期目標も決定だ。そうなると最後の短期目標はおのずと決まってくる」

「この世界で、“私たちが”暮らしていけるか見極める事、ね」

「ああ。ひとまず生活基盤に目処が立たなきゃ、先に進めないからな。よしっ、目標も決まったし、行動方針を決めようか」

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