第5話 右の扉

 右の扉は上の階にあったものと同じ仕組みのようで、プレートに手をかざすと難無く開くことが出来た。

 扉の先はどうやら居住スペースとなっており、8畳程度の室内には、簡素なベッドとシンプルなテーブルとイスと書棚、そして瓶のようなものがあった。

 また、部屋の奥にもう一つ小さな扉のようなものが見える。


「ベッドがあるってことは、ここで寝泊まりしてたのよね?」

「少なくとも寝る必要がある時間滞在することは考えていた、ってことだわな」

「じゃあ私はちょっと奥の扉を見てくるわ。伊藤さんはそこの書棚をお願い」

 そう言うと文乃は部屋の奥へ向かい、太一は書棚の中のものを取り出し机に並べていく。


 書棚は1.5mほどの高さで、下半分には扉が付いていた。

 上半分には何らかの書籍や書類が詰め込まれており、下半分からは保存食と思われるものと大きめの布袋が1つ、貨幣と思われる金属製のコインが見つかった。

 太一が見つかったものを並べていると、文乃が戻って来てテーブルの上を見やる。

 目下2人が注目したのは、保存食と思われるものだった。

 

「これって、食べ物だよね?」

「地球の常識から考えるとそう見えるわね。リンゴみたいなものに、こっちはずいぶん硬いけどパン? それとこっちはチーズかしら」

「仮に食べられたとすると、二人で2、3日分くらいはあるのかな?」

「そうね、それくらいだと思うわ」

「なるほど。で、もうひとつのコレだな……」

 そう言う太一の目線の先には、床に置いてある瓶(かめ)があった。空ではなく8割ほどまで透明な液体が入っている。

「普通に考えたら、水だわな」

「特に色も匂いも感じないし、水っぽいわね」

「これ、飲めると思う??」

「食料があって他に水分補給するようなものは見当たらないから、常識的に考えると飲めると結論付けるのが妥当ね」

「飲めれば、水不足問題が随分改善できるんだけどなぁ……。かと言って飲んで毒でした、じゃシャレにならんし、食い物と合わせて後で調べよう」

「すぐに困るって状況でもないし、それが良いわね。あ、あとその奥の部屋、トイレがあったわよ」

「え? トイレ、あるの?」

 太一が棚を物色している間に、奥の扉を調べていた文乃が少し嬉しそうに告げる。


「ええ。ちょっと形が違うけど、多分そうだと思うわ。洋式便器に近い感じね。あと、驚くことに多分あれ水洗よ?」

「ホントに?」

「ええ。簡易水洗なのか下水が完備されてるかは分からないけど。ほとんど匂いもしないし綺麗なものよ。案外衛生観念が高いのかもしれないわね」

「トイレ先進国の人間からすると、それはありがたいな……。ウォシュレット、ついてないかな?」

「…………試してみたら?」

「え、良いの? ……何なのその目? 冗談だよ、冗談。まぁ試したいのは山々だけど、他も調べてからにするわ。幸いまだもよおしてはいないし」

「そ。それなら良いわ」


 あきれてそう言う文乃だったが、トイレ、しかもそこそこ清潔な上水洗機能までついたものが有ったことで内心小躍りしたいくらい喜んでいた。

 はっきり言ってトイレを見るまではそもそもトイレの存在自体忘れていたのだが、必要性に気付かされてしまうと話は別だ。

 太一の弁では無いが、トイレ先進国の日本人女子であればなおのこと言わずもがなだ。

 

 思わぬ形で日本人のこだわりが満たされた二人の話題は、書類に向けられる。

 しっかりした装丁の書籍、巻物状のもの、簡易な書付と思われるものや地図と思われるものまで、様々な書類が棚には収められていた。


「結構数がある気がするわね。印刷? いや、これは写本かしらね?」

「ぱっと見では分からんな。写本だったとしたら安くは無いだろうし。もしかしてあの骨、お金持ち?」

「学者とか研究者とかだったのかもしれないわね。それも引きこもりの……」

「気楽に街中にあるような雰囲気じゃ無いからねぇ、ここ」

「それと気づいてる、伊藤さん?」

「ああ。何が書いてあるか何故かわかる……でしょ? 文乃さんも?」

「ええ。あきらかに見たことない文字なんだけど、普通に読めると言うか意味が分かるわね」

「で、全部読めるかと思いきやこっちのは読めないときてる……」


 太一の言う通り、二人には何故か見たことのないこの世界の文字が読めた。正確に言うと意味が分かった。

 “失われた召喚魔法の真実”、“世界の転生伝説”といった研究書のようなものから

 “光の勇者と邪な竜”、“姫と異国の騎士”といった物語と思われるものまで様々な種類があるが、共通しているのは装丁が粗末なものが多いようで、全体の8割程度を占める。

 逆に装丁がしっかりした本は、なぜか意味が分からないものが多い。

 いや、そもそもどちらも知らない文字なので“なぜか意味が分かるものがある”と言ったほうが正しいだろう。


「女神サンが言ってた、環境適応ってヤツのおかげなんだろうね」

「ええ。私たちが“英語が読める”、と言うのとは感覚が違いすぎるもの」

「で、そのレベルが半分になってるとも言ってたじゃない?」

「あー、なるほど。この世界にも複数の言語があって、本来ならそっちも読めたけど半分になったことで読めなくなった、って事?」

「多分ね。半分になってなけりゃ全部読めたんだろうけど、多分その影響で年齢も半分になってるんだよ。まぁ、これ以上は贅沢な話だわな。それに本の内容的にも量的にも、読める方が一般的に使われてる文字っぽいから、そう困ることにはならんでしょ、きっと」

「あの召喚者と会話できたのも、考えてみたら環境適応のおかげだろうし。コミュニケーションが取れそうだと分かったのは大きいわ」

「まぁね。もっとも、話をする人がいなけりゃ意味無い訳で……。そのためにもここから出る方法を探さにゃならんなぁ」

「結局そこに行きつくわね。当たり前だけど」

「元から選択肢なんて無いわな。気になるタイトルもあるけどひとまず置いておいておくか。こっちの部屋には出口っぽいものも無さそうだし」

「次は反対側の扉ね。扉の中次第だけど最後の場所だし、今度こそ出口がある事を祈るしかないわ」

「残り物には福がある、ってね。昔の人を信じるだけさ」

 

 食料に水、書類に関してはひとまず棚上げする事にして、再び踊り場を経由して逆側のドアを開くと、そこにはまた下り階段があった。

 15段ほど階段を下りた先は扉の無い小部屋になっていた。

 そして中に入った二人の目に、その床に描かれている魔法陣が飛び込んできた。


「そう来るのね……」

「なんだかなぁ……」

「簡単には行かないわね……」

 顔を見合わせて苦笑する二人。部屋を見回してみても、他には特に何も見当たらない。

「他には何もないか。この魔法陣専用の部屋??」

「でしょうね……。どうする?」

「入ってみる! と言いたいとこだけど、どういう物か分からん以上迂闊にさわる訳にもいかんわな」

「何も起きないならまだ良いけど、変なものが出てきたりしたら最悪ね……」

「うん。マンガやゲームだとさ、魔法陣なんて召喚ってのがお約束だもの」

「お約束だと転送とか転移って線もあるんじゃない?」

「なに、文乃さんもその辺詳しいんだ?」

「……今更何よ。あんなサークルにいて、一緒にコスプレまでしてたんだもの。人並み以上にはマンガも読んだしゲームもしたわ」

「あー、そんな事もあったな」


 太一と文乃は同じ大学の同じサークルに所属していた。

 現代文化研究会、と言う一見固そうでどこかで聞いたようなサークル名だが、それは名前だけで

「現代文化を体験・研究することで豊かな次世代文化を切り開く」という名目のもと、とにかく楽しそうなものや流行り物を片っ端からみんなで体験するというだけのサークルだ。

 体育会系のサークルを避けたかった二人は、中庭の片隅でひっそりとサークル勧誘していたこのサークルを見つけ、“上下関係も厳しくなく気楽そう”という理由からこのサークルに入って活動していた。


 当然、現代日本文化の象徴とも言えるゲームやマンガに関する活動は多く、毎年一回はコスプレをするメンバーが多数在籍していた。

 元々ゲームやマンガはそこそこ好きだった二人も、都合が合えば他のメンバーと一緒にお祭り感覚でコスプレをしてはコミケへ繰り出していたのだった。


「鬼が出るか蛇が出るか……。まぁあのでかい扉が開かない以上、この魔法陣が最有力候補ってことにはなるか」

「それとさっき食料を見たときに思ったことがあるの……。あの量が消費した後なのかどうかは分からないけど、仮に棚いっぱいあったとしてもそんなに長い期間持つ量にはならないと思うのよ。そう考えたら……」

「割と頻繁に食料補給のためにここと別の場所を行き来する必要がある、か」

「ええ。希望的観測だけどね」

「いや、面白い。確かにそうだ。本にしたってどっかで継続して手に入れないと、あの量を一気に溜めたってほうが不自然だ」

「ジャンルも古さも形状もバラバラだったから、ある程度の期間をかけて集めたと考えたほうが自然よね」

「よし。じゃあひとまずここを最有力とするか」

「異議は無いわ」

「OK。じゃあちょっと戻って一息つきつつ、状況と方針の整理をしようか。お腹も減ってきたし、さすがに疲れた……」

「そう言われると急にお腹が空いてくるわね。あー、日本時間だともう朝の4時だもの、当たり前ね」

「もうそんな時間か。じゃあ戻るかね」

「ええ戻りましょ」

「あ、ウォシュレット付いてないかも調べないと」

「……あれ本気で言ってたの?」

 そう言いながら太一は嬉々として、文乃はあきれ顔で、生活スペースの小部屋まで戻っていった。

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