第4話 現状把握がマーケティングの基本
急に静けさを取り戻した部屋には、疲れ切った顔の太一と文乃が立ったまま動けずにいた。
「……なんだかなぁ。とりあえず座ろうか」
「……そうね。立ってても仕方がないし」
ゆっくりと、ただしこんな状況を招いた張本人だったものからは何となく距離を置いて腰を下ろすと、申し訳なさそうに太一が口を開く。
「ねぇ文乃さん、ホントに良かったの? その……」
「お・こ・る・わ・よ??」
「ごめん! もう言いません!!」
「まったく……。とは言え、どうしたものかしらね」
太一を一瞬睨みつけたものの、すぐに表情を戻し両手を後ろ手に床につきながら文乃が呟く。
そう、どうするべきなのか?
何となく何故ここにいるのかは、代行者とか言う無感情な女神サマからの情報で把握が出来た。
かと言って、ここがどういう世界のどこで、どういう状況にいるのかは何一つ分からないままだ。
最低限質疑応答可能な女神サマは仕事? が終わったとばかりにあっさり消えてしまったし、文句含めて言いたい事と聞きたい事が山のようにある、事の元凶もただのカルシウムになっている。
「まぁ、月並みだけど現状の把握からだわなぁ。情報を集めにゃ」
「そうね。どうする? ひとまず目の前の状況から?」
「そうだね。っとその前に。文乃さん、食料とか飲み物って持ってる?? まずはライフラインを真っ先に確認しないと、タイムリミットが分からないから。あ、ついでに手持ちの持ち物も確認しようか」
そう言いながら、すぐ横に転がっているキャリーケースを太一は指しつつ、自身も背中に背負ったままだったリュックを下ろして中身の確認を始める。
それを見て文乃もキャリーケースを開けてチェックを始めた。
「ふむ、こんなところか」
5分ほど各自が荷物を確認し、目の前に並べた物を眺めながら太一が呟く。
「お互い普通の日の会社帰りじゃなかったのが、不幸中の幸いだな」
太一は釣りキャンプに会社からそのままいく予定だったため、着替えに加えて数日分の食料や飲料をもっており、文乃も前泊で出張予定だったため、着替えに加えてお菓子や飲み物を多少持っていた。
太一が持っていたのは、
・缶詰2缶
・レトルトカレー1袋
・インスタントラーメン1袋
・米2合
・食パン2枚
・冷凍させた牛肉と鶏肉合わせて500g
・あらびきソーセージ1袋
・卵2個
・2リットルと500ml入りの水それぞれ1本
・各種調味料少々
・スキットルに入ったウィスキー
・ティーパックの紅茶
と、そこそこの物量があった。
対する文乃はそれより少ないが、
・チョコレート1箱
・スナック菓子一袋
・500ml入りのお茶1本
・マルチビタミンのサプリメント
を持っていた。
「切り詰めて3日ってところかしらね? 水分が少ないのが心配だけど」
「そうだな。ここがどういう場所か分からないけど、水やら食料があるかは優先して探す必要があるか。それ以外に使えそうなものは、俺のソロキャンプ道具一式に釣り道具、それぞれの着替えと洗面道具に……」
「スマホね。当然圏外だけど、電源は普通に入るからスタンドアロンで動くアプリは一応使えるわね。あと私のノートパソコンもスタンドアロンで動かせるわ」
「モバイルバッテリーと、キャンプ場で充電できるよう小さいソーラーパネルも持ってきてたから、常時起動じゃなければ恒常的にこのあたりは使えるな。まぁここの太陽が地球と同じだったらだけどさ」
「そっか……、確かに自然環境が同じとは限らないものね」
「うん。まぁ女神サマが環境適応の付与があるとか言ってたから、最低限は生きるには大丈夫だと思うけどね。現に今でも呼吸とかは問題無い訳だし」
「レベルが半分とか気になる事も言ってたわね」
「んーーー、元々がどういうものなのか分からない以上、気にしたら負けだと思わない?」
「まぁね……」
「じゃ、次は今いるところを調査するとしますか。っとその前に、目の前の哀れな骨をどうにかしないとなぁ」
「気分が良いものじゃないのは確かね……」
お互い苦笑しながら、目の前に転がったままになっている、かつての召喚者を二人で見やる。
「とりあえず、おとなしく成仏してくださいねー……ちょっと失礼しますよ、っと」
形だけお悔やみの言葉を述べ軽く手を合わせると、太一は見分を開始した。
「うーーん、完全に骨だけになってるね。何したらこうなるの? こわいこわい……。骨の形とか大きさは、俺たちとそんなに変わらないのかな? どう思う?」
「ちょっと、そんなもの振り回さないで! そうね……パッと見た感じ骨格標本とかと差は無いんじゃない?」
右手に頭がい骨、左手に腰骨をもってそれを振りながら聞いてくる太一に、嫌そうな顔をしながら文乃が答える。
「で、遺品は何がありますかね……」
そのまま骨と身に着けていたものを仕分けていった結果、濃いえんじ色のローブ、ほとんど装飾の見られない生成りのシャツに茶色いズボン、肌着類、ブーツのような靴に加え、何かの革で出来たと思われる小さな袋が1つ、指輪が2つにペンダントが1つ、そして長さ1.5mくらいの白っぽい杖が1本ある事が分かった。
「召喚なんてしてたんだから当たり前かもしれないけど、いかにも“魔法使い”って感じね」
「だねぇ。ローブに杖だもん。この世界の常識的にどうなのかは分からないけど、少なくとも俺たちから見たら魔法使いだわな」
遺品一式を見た二人の感想は“いかにもな魔法使い”である事で一致した。
「あと、服の縫製は甘めで、形も古い気がするわね。生地は麻っぽい感じで、服自体も上着は簡単なチュニック、下も簡素なズボンに革のブーツ」
「そうなんだ。服のことは良く分からないけど、何となく古いと言うか昔っぽい気はするね。ちなみに地球だといつ頃のレベルのものなの?」
「別に私も専門家じゃないから詳しくは無いけど……。そうね、ヨーロッパで言ったら中世くらいのレベルじゃないかしら? まぁ中世って言ってもものすごく期間が長いし、貴族と庶民で全然違うから一概には言えないけど」
「なるほど。文明とか文化に関するひとつの目安にはなるか。まぁ服だけで判断するのも危険だから、判断材料の一つだけどさ」
「一人分の情報だけだものね」
「そういう事。さて、遺品の詳しい見分は後からにするとして、そろそろ現場検証と行きますか」
見ていた遺品をひとまとめにして置き、遺骨もひとまとめにすると、あらためて今いる場所を見渡してみる。
今座っている床を含め、何本かある柱や壁、天井まで全てが乳白色の石で作られているように見える。
広さはテニスコート1面分といったところで、窓の類は無く、正面の壁の真ん中に扉らしきものが見えた。
先ほど太一たちが召喚された床には、複雑な魔法陣のようなものが描かれているが、それ以外に目につくものは無くガランとした空間だ。
「この部屋には、この魔法陣みたいなの以外特に何も無さそうね」
「何とも面白みのない部屋だ事。んー窓も無いから外の様子も分からんなぁ。出口っぽいのはあの扉ひとつか」
「そうね、あそこだけ……って窓が無い??」
「見事に密室、まるで牢屋だ。それがどうしたの?」
「じゃあなんで明るいわけ? 照明も窓も無いのに」
「あっ」
太一も言われて初めて気が付く。
そうなのだ。窓すらない密室で照明のようなものも無いにも関わらず、普通の日本の室内程度には明るい。
2人して首をかしげながら、あらためてあたりを見回してみる。
天井から壁、壁から床へ視線を動かしてみると、明るさのわりに床に落ちる影がハッキリしていない事に気が付いた。
「あー、これ全体が発光してる??」
そう言って床から数センチのところに掌をかざすと、陰になるはずの床側の手の平が天井側の手の甲とほとんど明るさが変わらない。
「やっぱり。天井にはほとんど影が無いから、天井のほうが少し明るいみたいだ」
「見た目は完全に石なのに……」
「科学的な原理なのか、別の、それこそ魔法的な何かなのか分からないけど、少なくとも独自の文明というか技術体系があるんだろうね」
「そうね。まぁここが特別なだけかもしれないけど」
「うん。ってことであそこの扉しか出口は無さそうだから、そこから調べるか。ねぇ、あそこが開かなかったら、どうする??」
「……縁起でも無い事言わないの」
軽口を叩きあいながら扉まで歩いていき、あらためて扉を観察する。
「これも同じような材質っぽいわね。ドアノブは見当たらないけど」
「うーーん、扉と言うか引き戸か? 取っ手は無いけど、1か所色が違う所があるね」
出入り口と思われるそれは、高さは3m、幅1.5mほどか。
壁や天井と同じような乳白色の素材で出来ていると思われるが、ドアノブのようなものが無いかわりに20cm四方程度の色違いのプレートが右端のほうについていた。
「ここを触れってことだわなぁ。これで開いたらまるで自動ドアだけど」
苦笑しながらプレートに右手を触れると、一瞬プレートが淡く光り、続けて扉が音もなく左にスライドして開いた。
「はっはっは。自動ドアだね」
「これもまた謎技術ね。レールみたいなものも無いのに……」
「ま、今は考えても仕方ないよ。っと、今度は階段かぁ」
扉の開いた先は小さな踊り場で、そこから下り階段が伸びていた。
「降りるしかない訳だけどその前に……。文乃さん、ちょっと後ろに下がってくれない? 出たら戻れないなんてごめんだからさ、外側からも開けられるか念のため確認するよ。そもそもどうやったら閉まるのか知らないんだけどね」
はっはっは、と乾いた笑いを漏らしながら言う太一をジト目で見ながら数メートル文乃が下がると、数秒後音もなくドアが閉じた。
「……ますます自動ドアね、これ」
「おー、閉じた閉じた。お、こっちにも同じプレートがあったわ」
扉の向こうから微かに太一の声が聞こえる。なかなかの防音性能のようだ。そしてまた音もなくドアがスライドする。
「うん。一方通行って訳じゃあ無くて良かった。」
「そうね。階段もこっちほどじゃないけど明るいみたいだし。早速降りてみるわよね?」
「ここにいても仕方ないしね」
そう言いながら階段を下り始める。階段の幅は扉とほぼ同じ1.5mほどで、二人並んで降りることができた。
用心しながら30段ほど下ると、5m四方程度のフロアに出た。正面と左右にそれぞれ扉がある。
左右の扉は先ほどの部屋の扉と似たような扉だが、正面の扉は明らかに様子が異なる。
鈍い金属光沢を放つ両開きと思われる扉は、見るからに頑丈そうで大きさもフロアの幅いっぱい天井いっぱいまである巨大さだ。
「どう見ても、こいつが正面玄関だわなぁ」
「材質も違うし、ご丁寧に装飾までしてあるわね」
文乃の言う通り、扉には細かなレリーフが一面に施され、見るからに周りと差別化が図られている。
「とりあえずまずはこいつから行ってみるか。ただなぁ……」
「どうしたの?」
「いやね。仮に開いたとするじゃない? で無事外だったとするじゃない? で、その外が平和で安全な環境かどうかの保証なんて、何一つ無い訳じゃない?? いきなり水の中でした! とか、大型の肉食獣がコンチニワ! とか。無くは無いでしょ?」
「そりゃ保証はないけど……。後か先かの話でしょ? だったら、まずはメインどころから攻めましょ」
「文乃さんは男前だねぇ……。まぁ、いいか。ひとまず開くか試すってことで」
危険がある可能性を提示してみたものの、そこに拘っているわけでも無い太一は文乃と共に扉を調べ始める。
「にしてもでかいなぁ。でこのレリーフ、この世界の宗教観はわからんけど、何というかこう儀式的なものを感じないかい?」
「ええ。祭壇だとか神殿だとかに繋がる扉だと言われたら納得してしまうくらいには」
扉に関する意見交換をしながら10分ほど扉を調べてみるが、どうにも開きそうにない。
「うーーん、両開きなのは間違いなさそうなんだけどなぁ……」
「そうね、床に微かにこすれたような跡があるから、内開きで少なくとも1回は開いたことがある感じよね」
「うん。で真ん中にある例のプレートがキーになるのも間違いなさそう」
扉の真ん中に二つ、太一の言う通り両開きなのだとしたら左右の扉に一つずつ、他の扉と同じようなプレートが埋まっていた。
ただ、他の扉と違いこちらには細かな幾何学模様が描かれている。
試しに手を置いてみると、幾何学模様にそって1/3ほど光が走るが何も起きず、そのまま10秒ほどで光は消えてしまった。
「これは、複数の認証手段を持っている、って考えるのが妥当なのかしらね?」
「そうだね。光ったまま待ち時間があるし。指紋的な何かなのか、それともおとぎ話よろしく呪文だったりとか? 何にせよ、一旦ここは保留にしよう。まだ二つ扉はあるんだ」
「そうね。ここにばかり時間を使うわけにもいかないものね」
そう言うと太一と文乃は右側にある扉へ足を向けた。
万年課長の異世界マーケティング ―まったり開いた異世界広告代理店は、貴族も冒険者も商会も手玉に取る ぱげ @vespino
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