第38話 どうしてでしょうね
「はじめまして。わたしはユメノ、そして今触っているのがイオです」
イオもムウさんに一通り顔を触られた。複雑な表情をしていたけれど、イオも大人しくしていたのだ。わたしたちは枯れた妖精の樹の前に布を敷いて座り込む。
これをどうぞと、ムウさんがクッキーの入った包みを真ん中に置いた。わたしはクッキーを一つ、つまみながら尋ねる。
「あなたはここに妖精たちを送りに来たんですよね」
ムウさんはこくりとひとつ頷いた。
「ええ。旅の途中、精霊に襲われている妖精たちを助けたのがご縁で、ここまでご一緒しました。お二人もやはり、妖精たちを送り届けにいらしたのですか?」
「ううん。わたしたちは……」
「ノームを倒しに行く途中なんだ!」
カカがわたしの言葉を遮って言う。ムウさんは眉をピクリと動かした。
「それは」
「止めておくといい。多少腕に覚えがあっても、多くの精霊使いはノームに会うこともなく戦意を無くすという」
ムウさんが何か言う前に、妖精のおじいさんが厳しい口調で忠告して来た。
「そりゃ、そう言われているけれどさ」
イオが枯れてしまった妖精の樹を見上げる。
「このまま放置しておくわけにはいかない」
枯れてしまったのはここだけじゃない。ノームは移動するたびに妖精の樹を枯らしていっているのだ。それに、わたしにはノームをどうにか出来る可能性がある。サラマンダーがついているからだ。
「では、わたしもご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」
「え?」
みんながムウさんの顔を見る。
「わたしには聞こえるのです。枯れた妖精の樹の泣く声が。このような寂しい音を聞くのは初めてです」
妖精の樹が泣く声。わたしには聞こえないけれど、見ただけで泣いているであろうことは間違いない。元の姿は知らないけれど、こんな黒い姿ではなかったはずだ。妖精のおじいさんが寂し気につぶやく。
「母なる大樹。泣かないで欲しいが、それもまた無理な話か」
ムウさんは形の良い唇を弓のように引き上げた。
「一人の精霊使いとしてノームを放置しておくにはいきません。それに、あなた方お二人の声にはとても力を感じます。ただの一介の精霊使いではないでしょう。わたしがサポートいたします」
サラマンダーのことに気づいているかのような口ぶりだ。耳だけで分かるものなのだろうか。妖精のおじいさんがムウさんの前に降り立った。
「ムウ殿、力のないわたしたちはついていく訳にはいかない。ここまで、わたしたちを送り届けていただき、ありがとうございました」
「わたしこそ、目になっていただき助かりました」
妖精のおじいさんとムウさんはお互いに頭を下げた。
「わたしたちは他の妖精の樹の元へ向かいたいと思います。この力を捧げるために」
「力を捧げる?」
妖精の樹に力をささげるとはどういうことだろう。わたしは首を捻る。
「ええ。妖精の樹はわたしたち妖精が動物や植物から少しずつ集めた生命力で、新たな妖精を生むのです。本来なら生まれた場所に帰るはずなのですが」
妖精のおじいさんは、枯れた妖精の樹を見上げた。ただ単に故郷を訪ねて来ただけではないようだ。次の妖精たちを生むために帰ってくる。命を巡らせているのだ。
「南の方はまだ森が続いている。そちらになら枯れていない妖精の樹もあるだろう」
イオはわたしたちが来た方を振り返った。妖精のおじいさんは頷く。
「では、そちらに向かいましょう」
こうしてムウさんと一緒にいた妖精のおじいさんと女の子は、南へと飛び立って行った。
広げていた布を片付けて、わたしはひび割れている大地の奥を杖でさす。
「ムウさん。わたしたちは北東の森に向かいます。そこにノームの森があるそうなんです」
「ええ。向かいましょう」
「一度、どこかの町で一泊したいな。どこか町を知らないか?」
イオが荷物を背負うと、ムウさんに尋ねた。
「それでしたら、少し東に行った場所に集落があります。そこも森は枯れていますが、身体を休めることは出来るでしょう」
わたしたちはその集落に向かうことにする。強い日差しが照る中、わたしたちは進む。目が見えないムウさんにはエルメラがついていた。
ふと、思い出したようにムウさんが言う。
「ところで、イオさんはとてもいい声ですね」
あ、と今更わたしも思い出した。イケボのイオの声は、女の人に気に入られやすい。町では普通に話すことはあまりなく、カカに代わりに話してもらっていた。
だけど、ムウさんは始めから声を聴いている。イオの声にメロメロになったのかもと思ったのは束の間だった。
「精霊に愛される良い声です」
「……精霊に愛されてもしょうがない」
うーんと、わたしは唸る。ムウさんはイオの声を褒めたけれど、イオはあんまり嬉しくないみたい。精霊だってキツネのフリントしか見たことがなかった。
たぶん、土の精霊の王ノームに村を襲われたからだ。自分は精霊を使わないと対抗も出来ない。複雑な心境なのだろう。
ムウさんは空を見上げながら、詩を詠むように話す。
「どうしてでしょうね。精霊たちは、どうしてわたしたちの声が届けば仲良くしてくれるのでしょう」
「それは精霊の王たちが……。あれ?」
よく考えたらサラマンダーがわたしと友達になっても、火の精霊は何かに憑りついてわたしたちを襲ってくる。普通王様の命令が無ければ、人を襲ったりしないはず。
それとも、野良の精霊はそういうのは関係ないのだろうか。
「考えてもしょうがない。昔から――」
「おい! 精霊がいるぞ!」
イオが話しているのを遮って、カカが突然叫んだ。
「えっ、どこに!?」
慌てて見回してみても乾いた大地しかない。そう思った途端、足元の地面から泥の柱が立ち上った。
「きゃあ!」
わたしはひっくり返って、しりもちをついてしまう。
「ユメノさん、大丈夫ですか?」
ムウさんが助け起こしてくれるけれど、泥を頭からかぶって泥だらけになってしまった。
「もう頭に来た!」
「ユメノ、反撃だよ!」
エルメラも鼓舞してくれる。だけど、すらりとした腕が伸びて来る。
「お待ちください。ここはわたしにお任せを。ミラー出てきてください」
ポロンとムウさんはたて琴を弾く。すると音に合わせるように、一匹の蝶が精霊石から舞い出てきた。蝶に見えた精霊は、虫と言うよりも白い花びらを合わせたものだった。
きっと花の精霊だ。イオが杖を構えながら尋ねる。
「敵はどこにいるか分からない。あんた一人で行けるか?」
ムウさんは「はい」とハッキリ頷く。
「我と契約せし花の精霊ミラーよ。大地が歌う音色に舞い。その身を我にゆだねたまえ。その真なる力を解放せん」
静かに解放された花の精霊ミラーは、白い花のスカートを履いた女の子になった。花の精霊使いといえばオリビアさんだけど、オリビアさんの精霊ラファが派手なギャルなのに対して、こちらは上品なお嬢さまといった雰囲気だ。
「ミラー、舞ってください」
ムウさんが言うと、ミラーはクルクルとその場を回りだす。たくさんの花びらをまき散らしながら。
「わっ、わっ」
攻撃してくる精霊どころか、わたしたちまで花びらに囲まれてしまった。すぐそこにいるムウさんの姿も、薄っすらとしか見えない。
ムウさんはジッと立ち、何もしていないように見えたけれど――
「そこです!」
ムウさんは後ろの地面を指さす。すると、辺りを舞っていた花びらが全てその場所へと一斉に向かっていった。
ギュウウ、と鳴き声を上げて出てくる。
「本当にいた!」
地面の下にいたのはアルマジロの土の精霊だった。アルマジロはすぐに透明な球になって浮かんだ。
「荒ぶる精霊よ、静かにお眠り下さい」
透明な球はサラサラと溶けて空に消えていった。
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