第36話 イオの過去
静かな森の中、パチパチと焚火が燃える。白い煙が夜空へと登っていた。わたしたちは干し肉や木の実などの携帯食を食べ、明日の予定を話したら後はもう寝るだけだ。
イオが焚火に枝を足しながら言う。
「森は俺が見張っている。ユメノは寝ていい」
それならばと、わたしは遠慮なく毛布をかぶる。長く雪の中を歩いて疲れていたから、すぐに睡魔が襲って来た。
わたしは夢を見ていた。どうして夢と分かるかと言うと、元の大人の姿で元の世界にいるから。さすがに、これまでの旅が全て夢だったとは思えない。
大人のわたしは台本を持って、アフレコブースに入っていた。台本には『ネモフィラの咲く国』と書かれている。これは異世界に召喚された日にやったオーディションだ。戦う姫ユーリの声を演じたのだ。ガラス越しには、監督たちの姿も見られる。
「それじゃあ、星崎さん。よろしくお願いします」
監督からの指示に、わたしもよろしくお願いしますと返そうとした。
「……ッ!」
だけど、なぜか声が出てこない。
「いつでも始めてください」
いくら声を出そうと思っても空気の音すらでなかった。
「どうしたの、星崎さん。さっきまで普通に話していたじゃない」
声が出ないんです! でも、そう思っても伝わるわけじゃない。わたしは身振り手振りも出来なくて、その場に固まってしまった。
「そうか。星崎さんはこんな端役、やっていられないっていうのか」
わたしはどんな役だって、真剣に演じている。しかも、この日のために入念に準備をしていた。
「じゃあ、これにてオーディションは終了です」
「お疲れ様でーす」
監督たちは暗闇の中へ去っていく。
待って、待って!
わたしがいくら追いかけようとしても、少しも距離は近づけなかった。
「うー、うーッ……」
「ユメノ、ユメノ」
揺さぶられる感覚がして、薄っすらと目を開く。
「ハッ」
完全に目を開けると、エルメラが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「すごく汗をかいているよ」
「う、うん。大丈夫……」
目が覚めて本当に良かった。夢だと分かっていたけれど、声が出なくなる感覚がすごくリアルな夢だった。もし本当にオーディションだったらと思うと、背筋がまた寒くなる。
「ふぅ」
だけど、すごい汗だ。袖で額を拭っただけで、びっしょり濡れてしまった。空を見上げると星が瞬いている。まだ、夜だ。でも、また寝て悪夢を見たら嫌だと思った。
ふと、目の前の焚火を見ると消えそうになっている。わたしは立ち上がって、火の中に枝を足した。
「あれ?」
イオは座ったまま、目をつぶっていた。寝ずの番は任せておけって言っていたけれど、寝てしまったみたいだ。今日は疲れたし、まだイオは十七歳だから仕方ない。
そう思っていたのだけれど、すぐに様子がおかしいことに気づく。
「う……」
眉間にしわを寄せて、小さくうめき声まで聞こえてくる。
「もしかして、イオも悪夢を見ている?」
よく見ると、膝の上にいるカカもうんうん唸っていた。
「イオ! カカ! 目を覚まして!」
放っておくことも出来ず、わたしは二人を揺さぶる。だけど、二人は身じろぎするだけで目を覚まさない。イオがうめくようにつぶやく。
「う……、ジュリ」
ジュリ? 誰かの名前だろうか。
「起きてーッ!」
エルメラが耳元で叫んだ。ビクッと身体を震わせて、イオとカカは目を開ける。
「大丈夫? うなされていたよ?」
「あ、ああ……」
眉間にしわを寄せたまま、悪い夢を振り払うようにイオは頭を擦る。カカも心底安心したように、肩をなでおろした。
「あ、あ、ああ、夢、夢かー。良かったー……」
「どんな夢を見ていたの?」
「飛べなくなって、水に落ちて溺れる夢。本当に死ぬかと思ったぜ!」
カカは確かめるように自分の羽を引っ張る。やっぱり見ていたのは悪夢だ。
「なんで、みんな揃って悪い夢を見たのかな? エルメラは平気だった?」
「うん。わたしは寝ていなかったから」
眠らなければ悪夢も見ない。当然のことだ。イオが視線を落として、いつになく気落ちした声を出す。
「……すまない。少し目を閉じただけのつもりだったが」
「別にいいわよ。でも、また寝たら悪夢を見るのかな」
まだまだ闇は深く、夜は明けそうにない。
「今度は眠らない。うなされているようなら起こすから、安心して眠るといい」
「わたしも起きているよ」
「いや、子供は寝ていろ」
「子供じゃない!」
でも、やっぱりまだ眠かったみたいだ。焚火を見ながら、うつらうつらとしてしまう。わたしはいつの間にか目を閉じていた。今度は夢を見ることも無く、よく眠れた。
次の日の朝。森には霧が薄っすらと出ている。わたしたちは火の始末をして、サラマンダーに話しかけた。
「どう? サラマンダー、元気になった?」
杖は赤く光って反応する。
「うむ。だいぶ良くはなったが、ユメノたちを背中に乗せて飛ぶには心もとない。すまないが、今日まで休ませてくれぬか」
「うん。わたしたちも落ちたら困るもの。ゆっくり休んで」
短い交信はすぐに終わった。いつものふてぶてしさが半分以下になっている。それだけ弱っているなら、無理はしない方がいい。
「じゃあ、東に向かって進むか!」
「わたしたちが先に見てくるね」
カカとエルメラが森の中を先導するように飛んでいく。妖精たちは飛んでいけるから羨ましい。わたしは荷物を背中に背負い、狭い歩幅で歩きだす。
「道がないのが難点よね」
森の中は道が整備されていなければ、歩きにくい。雪の地面よりもましだけれど、つまずきそうで逐一足元を確認しながら歩かなければならなかった。
「ユメノ、気をつけろ」
「あ、うん」
大きな木の根を超えないといけないところで、イオが手を貸してくれる。よいしょ、と。這うように乗り超えて、また森を歩く。ふと、ん?と、違和感を覚えた。何かというか、すごく変だ。
「ねえ、イオ」
「なんだ」
「なんで、手を握ったままなの?」
木の根を超えるときにイオに手を取られて、そのまま歩いていた。
「……ああ」
質問の答えになっていない。どうして離さないのか。もしかして、イオってロリコンなのだろうか。わたしは、中身は大人だけれど外見は十二歳だ。いや、イオは十七歳だから、五歳差。大人になれば大した差ではなくなる。
「って、そんな問題じゃなくて!」
イオの顔を見上げると、どこか一点を見つめ苦々しい顔をしていた。わたしの手を握る手も微かに震えている。急に心配になって突っ込むどころじゃなくなった。
「どうかしたの?」
「……昨日、夢を見た」
悪夢のことだろう。イオの顔はどことなく青い。それほど酷い夢だったのだろうか。
「昔の夢だ。俺の村はノームが森を整地するときに潰された。ノームは土の精霊たちに村を襲わせたんだ」
元々、イオはノームに何か直接の因縁があるとは思っていた。それが故郷を奪われたといいうことだとは思わなかったけれど、イオがノームを倒そうとするには十分すぎた。
「俺は妹と一緒に逃げた」
「もしかして、ジュリっていうの……」
「ジュリは妹だ。だけど逃げている途中に手が離れて、俺は助かったがジュリは土に飲まれていった」
わたしはイオと手を繋いだまま、何も言えなかった。わたしを妹のように扱おうとするのはそのせいかもしれない。そのままゆっくり二人で歩く。
「イオはさ」
――ノームを憎んでいるの?
当たり前のことかもしれない。だけど、わたしはそれを聞こうとした。
「大変だ!」
だけど、聞けなかった。カカが大声を上げて戻ってきたからだ。それと同時にイオの手が離れる。エルメラも焦った様子で飛んできた。
「この先の森が大変なの!」
わたしとイオは目を合わせる。
「行ってみよう!」
わたしとイオは森の奥へと駆けた。
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