第34話 精霊の海



 もう一日だけ村長さんの家にお世話になり、子供たちに見送られながら、わたしたちは村を出た。少し離れたところで、サラマンダーを呼ぶ。




「サラマンダー召喚!」




 サラマンダーは杖から赤い光を放って出てきた。




「吾輩を呼んだか、ユメノ」




「呼んだわよ! 何度も、何度もね!」




 サラマンダーはやはりわたしが歌わないと出てきてくれなかった。今は余裕があるからいいけれど、いざという時はサッと出てもらわないと正直困る。




「いい、サラマンダー? これから長い旅になるわよ。地図を見て」




 以前買った世界地図を広げた。サラマンダーの長い首が覗き込んでくる。わたしは山が描かれた場所の上を指さす。




「今いるのはシュウマ山に近くの南の森。この後飛んで、精霊の海の方へ向かうの」




 ぽっかり空いた真ん中の精霊の海までたどる。




「そのまま精霊の海を越えて、斜めに北東の森に向かう。そこにノームの森があるんだって。精霊の海は休めるところがあるか分からないけれど。どう? いけそう?」




「吾輩を誰だと思っている。火の精霊の王だぞ。むしろ、背中に乗るお前たちの方が心配だ」




 ふふんと鼻息を立てて、サラマンダーは豪語した。




「なら良かった。それじゃあ、行こう」




 わたしたちは、サラマンダーの背中に乗り込む。







 一日中空を飛ぶ。眼下にはずっと豊かな森が広がっていた。サラマンダーが飛ぶのは速いのだから、森はかなり広い。一度、地上に降りてキャンプをして、また北へ向かって飛ぶ。




 半日するほど、それは見えて来た。イオが前方を指さす。




「あれが精霊の海だ」




 それまで緑だった水平線が青く光っている。




「あれが、精霊の海?」




「おかしい……」




 そうつぶやいたのは、サラマンダーだ。確かにおかしかった。水平線は青く光っているだけではない。ボコボコと凹凸があり、波打っているのだ。いくら海だから波があるといっても大きすぎる。カカが何でもないように言う。




「何もおかしくないぞ?」




 イオも頷く。




「精霊の海は氷山地帯だからな」




「「氷山地帯?!」」




 重なったのはわたしとサラマンダーの声だ。さらに近づくとその全景が見えてきた。シュウマ山ほど大きくないが、大きな氷山が連なっている。山の一つ一つが白い大きな氷柱のように見えた。わたしは唖然とした調子で口を開く。




「海って言うから、てっきり水の海だと思っていた」




「本当の意味での海は、大陸の外海にしかない。ユメノはともかく、サラマンダーも知らなかったのか?」




 イオが意外そうに尋ねた。




「ああ。昔、ここは氷ではない巨大な湖だった。空もこんなに曇ってはおらず、常に晴れた気持ちの良い湖だったのだが」




 サラマンダーの言う通り、精霊の海の空は天候が悪いのだろう。分厚い雲に覆われて、どこかで稲光が光っていた。飛ぶのにはあまりよくない気候だ。




「休める所はありそうだけれど、こんなに寒いなら早く渡った方がいいね」




 近づくに従って、空気も冷たくなってきている。わたしは微かに震えて、両腕をさすった。




「防寒具は用意してある。ユメノの分もだ」




 イオがもこもこした、フード付きの分厚い上着を渡してくる。




「それならそうと、一言言っておいてよ」




 フードを被ると、暖かさを求めてエルメラが入ってきた。







 

 精霊の海は広大な上に、酷く寂しい場所に見えた。これほど生命の気配がないと、まるでこの世の絶望を煮詰めたみたい。その上、雲に覆われていて、サラマンダーもあまり高く飛べない。空からはずっと大粒の雪が降っていた。




「ねえ、サラマンダー大丈夫?」




 わたしたちは暖かい上着を着たし、顔は冷たいけれど、そもそもサラマンダーの背中は炎のおかげかある程度暖かいので平気だ。ただ誰よりも、サラマンダーの調子が悪かった。ハァハァという息の音が、背中にまで聞こえてくる。こんなことは初めてだ。




「な、何のこれしきの氷如きで……」




 しかし、羽ばたきは明らかに弱弱しくなっていく。終わるときは突然だった。




「わ、吾輩、もう駄、目」




「え!」




 サラマンダーはいきなり羽ばたくことを止め、ヘロヘロと地上へと落下していく。




「きゃあああ!」




 背中に乗っているわたしたちは、左右に激しく揺さぶられた。必死に背中にしがみつく。ズサァッと雪の上を滑って、サラマンダーは雪の地面に横たわった。




「わわわっ!」




 わたしたちは背中から投げ出された。柔らかい新しい雪の上だから、なんとか無事だ。一番無事じゃないのはサラマンダー。ぐったりと横たわったままうごかない。身体を覆っている炎の勢いも、心なしか弱かった。急いで駆け寄って、声を掛ける。




「サラマンダー、大丈夫?」




 横たわったサラマンダーは、ううむと低く唸る。




「どうやら、ここは寒すぎるようだ」




 やっぱりそうなんだ。だけど、イオは首をひねる。




「いくら氷に囲まれているとはいえ、火の精霊の王が弱ってしまうものなのか?」




 ちょっと言い方は棘があるんじゃないと思った。だけど、サラマンダーは気にした様子もなく答える。




「うむ。この氷はただの氷ではない。昔は海だったことを考えても。精霊の力が宿っている。そう、ウンディーネのな」




「ウンディーネ……!」




 四人の精霊の王の中で行方が分からなかった、水の精霊の王ウンディーネ。こんな形で見つかるなんて思いもしなかった。同じ精霊の王、サラマンダーが言うのだから間違いない。




「ウンディーネはこの海のどこにいるんだ。出来ることなら味方につけたい」




 イオがすかさず尋ねる。ノームに対抗するためにそう言っているのだと思う。ただ、サラマンダーは弱弱しく首を横に振った。




「分からぬ。この海のどこかにいるということだけしかな」




「どこかって……」




 わたしは辺りを見渡す。雪と氷の山ばかりで、草木一本も生えていない。人すらいないのだ。どこかで尋ねることも出来ない。地図で見ると小さな穴だけれど、実際にはすごく広大なはずだ。




「すまぬ。この調子では飛べそうにない。一度、マグマに浸かって回復する」




「うん。ゆっくりしてね」




 サラマンダーは赤い光の玉になって、わたしの杖の精霊石に帰った。




「くしゅん! さむーい!」




 途端にエルメラが小さなくしゃみをする。わたしもサラマンダーが消えたら、すごく寒気を感じた。元の世界の雪山にスキーをしに行ったことがあるけれど、それよりもずっと体の芯から凍えてしまいそうだ。




 イオも平気そうな顔をしているけれど、体が小刻みに震えている。




「サラマンダーが精霊の海を超えられないとなると、大森林に戻って迂回するしかなさそうだな」




 どうやらウンディーネのことは諦めるしかなさそうだ。




「幸い、森ならまだ見えるな。戻ろうぜ!」




 カカがイオの口元の布から指だけ出した。すごく薄っすらだけれど、緑が見える。




「ううう。仕方ないね。急いで戻ろう!」




 わたしたちは雪を踏みしめて歩き出した。




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