変化 5
「ユキを嫁にしたいと言ったら、どう思う」
書き物をしていた手を止めて、千早が唐突にそんなことを言い出しても、青葉は驚かなかった。
青葉は最近――いや、もしかしたら千早がユキを鬼の隠れ里に連れてきたそのときから、こうなることを予感していた。
千早はもともと、他者への関心が薄い。
かといって情が薄いと言うわけでもなく、まるで、わざと自分の大切なものを作らないようにしているのではないかと青葉は思っていた。
恐らくだが、情が深いがゆえに、故意的に他者を懐へ入れないようにしているのだろう。
そんな千早が、女を連れ帰った。
しかも女は道間の女で、すでに鬼に変質していた。
千早が変質させたのだ。
長い付き合いだが、千早がそれほど感情的に行動するのを青葉ははじめて見た。
いくら道間を相手にしたからと言って、青葉の知る千早であれば、その場で縊り殺して終わるだろう。鬼に変えるなんて、しかも連れ帰るなんてあり得ない。
だからこそ、青葉は千早にユキをどうするつもりかと問うた。
千早は明確な答えを返さなかった。
返せなかったのだろう。
千早自身が、自分の行動を、感情を、持て余していたのだ。
ゆえに、予感がした。
ああ、千早はあの娘を「選んだ」のだと。
ユキの何が千早の琴線に触れたのかはわからない。
だが確実に千早はユキに心動かされたのだ。
そして、持て余していた感情にようやく答えが出たのだろう。
「俺はお館様の決定に従うのみです。……ユキは、鬼に変質した時点で厳密には道間ではなくなりました。思うところがあるものもいるでしょうが、お館様が娶ったものを、表立って傷つけようとするものはこの里にはいないでしょう」
青葉は前からユキの立場を明確にすべきだと思っていた。
中途半端な立場のままでは、ユキはこの里で穏やかに生活することは不可能だ。
母の牡丹を後見としたけれど、青葉はそれでもまだ弱いと考えていた。
先代棟梁の妹で、千早の叔母である牡丹は、この里でそれなりの地位にいる。
だが、道間であった娘を確実に守るのならば、千早の庇護下に入れなければ無理だ。
妻でないなら養女でもいい。ユキが千早の庇護下にあると、明確にわかる状況に置かなければ、彼女の安全は保障されない。
ユキ自身に罪はなくとも、それだけ、道間の名は鬼の感情を逆なでするのだ。
長い年月を経れば、「道間」ではなくユキ個人を見るものも現れよう。
しかし、ユキが里で認められるまで、彼女が生きていられる保証はどこにもない。それだけ彼女の立場は危ういのだ。
千早もそれがわかっているから、ユキを邸の外に出すときは必ず千早自身がそばにいるようにしているのである。
そうすることで、ユキは千早自身が守っているのだと周囲に認知させたいのだろうが、それだけですべての鬼に周知できるわけではない。
逆に、千早が目をかける元は道間の鬼に、面白くない感情を抱くものだって出るはずだ。
青葉としては、ようやく決断したかと、安堵すらしたいくらいだった。
「祝言はいつになさいますか? 早い方がよろしいでしょう」
「まずはユキに確認してからだ」
青葉はわずかに目を見張った。
(確認だって?)
鬼の上下関係は明白だ。
この里では棟梁である千早が絶対であり、彼の決定に否を唱えるものはいない。
だというのに、千早はユキに彼女の意思を確認しようと言うのだろうか。
「日取りはユキの返事が聞けてから決める」
「さようで、ございますか……」
変わったな、と青葉は思った。
千早は優しいが、自分の立場を明確に理解している鬼でもあった。
少し前の千早であれば、確認、なんて言葉は使わなかっただろう。
ユキを鬼にした時ですら、相手の意思確認など行わず、強引に連れて帰ってきたはずだ。
千早の命で、鬼の隠れ里に移り住んだ時ですらそうだ。
どうしても千早の決定に賛同できなかった一部のものたちは袂を分かちたが、多くの鬼は千早の決定に頭を垂れて従った。
恭順か、それとも別離か。
選択は二つで、鬼の棟梁に対して「意見する」という選択肢は、多くの鬼たちは持たない。
一部例外もいるが、牡丹をはじめ、千早によほど近しい鬼たちだけだ。
だから千早も、他者の意見など滅多に聞かない。
聞かなかった、はずだった。
(ああそうか。先ほどお館様は、俺にもどう思うかと訊ねたんだ)
千早は自分自身の変化に気づいているのかいないのか。
だが、少しだけ表情が柔らかくなったように思うのは、青葉だけだろうか。
棟梁である自分自身の言葉が絶対で、鬼たちは彼に意見しない。
それは、ひどく孤独であっただろう。
ほかの鬼がどう思うかはわからないが、青葉は、千早にいい変化がもたらされたと思った。
張り詰めていた糸が緩むように。
彼の肩の力が、少しばかり抜けたようだ。
青葉は頭を下げて、静かに微笑む。
「ユキから良い返事が聞けることを、祈っております」
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