変化 4

 お団子を食べ終わって、少しばかり休憩を取ってから、わたしは千早様に連れられてお団子屋を後にした。

 お邸に帰るのかと思ったのだけど、来た道と逆の方へ千早様が歩いていく。もう少し散策するのかもしれない。


 ……でぇと。


 出かけに牡丹様が言った言葉がまた思い出される。

 これは「でぇと」なのだろうか。

 そもそも「でぇと」について詳しく知らないから判断がつかない。

 しばらく歩くと、大きな瓢箪池のある庭園にたどり着いた。

 池の周りにはこもを巻かれた松の木が植えられていて、細い葉に白い雪が積もっている。


「寒くないか」


 白く染まった吐息が空気に溶けていくのを見ていると、千早様が訊ねてきた。


「はい、大丈夫です」


 羽織を纏って来たし、温石も忍ばせている。

 何より千早様が繋いでくれている手が温かくて、それほど寒いとは感じない。

 池のほとりをゆっくりと歩いていると、千早様がぽつりと言った。


「悪かったな」


 ……悪かった?


 突然の謝罪を受けて、わたしは千早様を見上げた。

 千早様もわたしを見下ろしていて、何度見ても綺麗な赤紫色の瞳がわたしを映している。


「お前の意思を聞かずにお前を鬼に変えた。……お前は、道間らしくない」


 つまり、わたしが道間らしくないから、千早様はあのときわたしを鬼に変えるべきではなかったと思っていると言うことでいのだろうか。

 山の中で千早様にはじめて会ったとき、千早様の目には道間への憎しみがあった。

 道間は鬼や魑魅魍魎を狩る一族だ。

 そんな道間の人間が鬼に変質させられれば、発狂するほど怒り狂っただろう。

 もしかしなくても、千早様は道間への復讐心からわたしを鬼に変質させたのだろうか。


 ……だけどわたしは、道間であって、道間でないから。


 千早様が望むような反応を彼に返すことができなかったのだろう。

 そして、わたしが道間らしくないから、千早様はその時のことを、悔やんでいる?


 でも――


「わたしは、あのままだとおそらく夜が明ける前に息絶えていたと思います。千早様が救ってくださらなかったら、ここにはおりません」


 人としての生を終えたのだから、わたしは一度死んだということでいいのだと思う。

 だけど、千早様がわたしを手にかけなくても、どちらにせよわたしは死んでいた。

 そして人として死ぬ間際、一人ぼっちで死ぬより、千早様に殺される方がいいと思ったのも事実だ。

 むしろ、安堵したほどだったのだから、千早様が謝る必要はどこにもない。


 それどころか、道間で暮らしていたときより、よほど穏やかでいい暮らしをさせてもらっている。

 鬼になりたてで、鬼のことはよくわかっていないけれど、わたしに新しい生を与えてくれた千早様に一生お仕えしたいと思うくらいには感謝しているのだ。


「千早様は悪かったとおっしゃいましたけれど、わたしは、千早様に鬼にしていただいて嬉しいです」


 黒を持たずに道間に生まれたわたしは、人のままでは平穏に生きられなかった。

 黒髪で生まれていたか、もしくは破魔の力を持っていたならば違っただろうが、逆に、そのどちらかがあれば道間らしい人間に育っただろう。


 もしわたしが道間らしい道間であれば、千早様とこのように雪景色の中をお散歩することもなかった。

 だからわたしは、今の結果に満足している。この上なく、幸せだと思う。

 乳母が願い「ユキ」と名付けられたわたしは、確かに今、その名に秘められた「幸」と言うものを感じているのだ。


「わたしのここは、ずっと寒かったんです。でも、最近はぽかぽかしています。鬼になれて……千早様にお仕えできて、わたしは嬉しいです。ありがとうございます」


 千早様とつないでいない手をそっと心臓の上に当てる。

 寂しさや悲しみなどとうの昔に消え去って、いつ「処分」されるのだろうかと、絶望と諦念を抱えて生きてきた。

 心が動けば苦しいから、極力感情を揺らさないようにと――そうすることで、心はだんだんと凍り付いていたのかもしれない。

 いつの間にか心が寒くて、でもそれにすら目を背けて、ただ終わりがいつ来るのかと、それだけを思いながら生きてきた。

 そんな凍った心は、鬼の隠れ里に連れて来られて、いつの間にか溶けていて……今は、暖かい。


 千早様が与えてくれた熱だ。

 千早様はわたしが生かされているのは千早様の気まぐれだと言った。

 逆を言えば、千早様の気まぐれが続く限り、わたしは生きていていいと言うことだ。

 生きていていいなんて……わたしの生が認められたことなんて、生まれてこの方、はじめてのことだった。

 わたしは本心からお礼を言ったのに、千早様は苦しそうにぐっと眉を寄せた。


「……お前は、馬鹿な女だ」

「はい」

「否定しないのか」

「学がないのは本当ですので」

「そういう意味で言ったのではない」


 千早様が嘆息して、一度手を離すと、わたしの肩に、千早様が纏っていた緋色の羽織をかける。

 わたしは慌てた。


「千早様が寒いですよ」

「俺は平気だ。もともと寒さには強いからな」

「でも……」

「気にするな。……風邪をひかれてはかなわん」


 冷える前に帰るか、と千早様がわたしの手をつなぎ直す。

 外は寒いけれど、わたしは、一秒でも長く千早様と歩いていられたらいいのにと思っていた。




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