変化 2

「帯はこれとそれ、あとそちらかしら?」

「…………あ、あの……」


 お掃除の途中で牡丹様に呼ばれてお部屋について行ったわたしは、部屋の中にたくさんの着物がかかった衣架が並べ荒れているのを見て言葉を失った。

 どうやら牡丹様がお店から運ばせた着物と帯のようだ。

 広いお部屋にずらりと並んだ華やかな着物や帯は圧巻だが、わたしの心臓は穏やかではいられなかった。

 なんと、わたしの着物を買うために用意させたと言うのだ。


「牡丹様、わたしは、高価なお着物をいただいても、着ていくところがございませんので……」

「まあまあ、着ていくところがないですって? 千早はなんて甲斐性がないのかしら。大丈夫よ、外出の機会ならいくらでも作らせるから」


 ……ええっと、そういう意味で言ったのではないのだけれど……。


 着物をお断りしようと思ったら、外出の機会まで合わせて用意すると言われてしまった。

 おろおろしている間に、襦袢やら小物類まで選ばれていく。


「今日はお着物にしたけれど、帝都では西のお国のお洋服というものが流行っているんですって。残念なことに里では売られていないけど、こんどこっそり千早に用意させましょう」

「い、いえ! そのっ、着方もわからないですから……!」

「あら、お着物より簡単だって聞いたけど」

「わ! わたしは下女ですからっ」


 このままだと大変なことになりそうだとわたしは慌てて首を横に振った。

 お着物だけでも目が回りそうなのに、これ以上なものなど頂いても困ってしまう。第一、なものがわたしに似合うはずもない。


 けれどわたしの反応など歯牙にもかけない様子で、牡丹様は用意させていたお着物から五着と、それから帯と小物類をお着物の数だけ購入する手はずを整えてしまっていた。


「さあさ、せっかく買ったんだから、どれか袖を通してみましょうよ」


 購入しなかった残りのお着物などを部屋から出させて、牡丹様が弾んだ声で言う。


「あ、あの、わたし、お掃除の途中で……」

「そんなもの、青葉にやらしておきなさい。あの子は千早のためなら何でもする子よ。掃除くらい二つ返事で請け負うわ」

「そ、そんなわけには……!」


 青葉様は千早様の側近だ。対してわたしは下女。下女の仕事を側近の方にさせるわけにはいかないのだ。


「頭の固い子ねえ。いいのよそのくらい。千早も青葉も、その程度で文句を言うような子たちじゃないもの。ほら、いいから着替えるわよ」


 牡丹様が有無を言わさずわたしの帯に手をかけた。

 あっという間に帯がほどかれて、着ていた小袖がはぎ取られた。


「やっぱり最初は振袖よねえ。結婚したら着られなくなるもの」


 瑠璃色の生地に大きな藤の花の絵柄の入った振袖をわたしの体に当てながら牡丹様が笑う。


「いいじゃなぁい。帯はこっちの白地のものにしましょう。ほら、まっすぐ立ってちょうだい」


 牡丹様が鮮やかな手つきでわたしに振袖を着せていく。

 振袖なんてはじめて袖を通した。

 戸惑いつつも、どこか浮足立つような気持ちもあって、もじもじしている間に着付けが終わる。

 自分で締めるのとは違い、複雑な形に帯が結われて、そのまま髪の毛も整えられた。


 いつも紐で結わっていただけのわたしの髪が銀杏返しに結われ、大ぶりの簪が挿される。

 簪は白い椿の花の飾りがついていた。

 お化粧もしましょうと言われて、おしろいが塗られ、目じりと口元には紅が刷かれる。


「似合うじゃないのぉ」


 牡丹様はとても満足そうな顔で手を叩いて笑ったあと、わたしにそこにいるように告げて部屋から出て行ってしまった。

 取り残されたわたしは、振り袖姿で仕事に戻るわけにもいかず、言いつけ通りおとなしく待っているしかない。


 そっと髪に触れると、簪の椿の花が指先にあたった。

 振袖も、綺麗な髪形も、お化粧も……。すべてがはじめてで、どきどきそわそわしてしまう。


 ぱちぱちと火桶の中の炭が爆ぜる音がして、雪見障子の奥――庭の柚子の低木から、ぱさりと雪が落ちるのが見えた。

 千早様のお邸がそうなのか、それとも鬼の隠れ里全体がそうなのか。ここは、時代を少し遡ったような、優美な雰囲気に満ちている。


 帝都は喧騒に満ちているが、ここは静寂に包まれている。

 それに優劣なんてつけられないけれど、わたしはこの静かな雰囲気が好きだった。


「お待たせしたわね~」


 そんな静寂の中に、牡丹様の華やかな声がする。

 すっと開いた襖に視線を向け、わたしは牡丹様の隣にいた千早様に目を見張った。


 ……え?


「ほーら千早、見てごらんなさい。あなたがこれまでいかに甲斐性なしだったかわかると言うものでしょう?」


 自慢げに胸を張り、牡丹様が「ほほほ」と笑う。

 千早様は座っていたわたしを静かに見下ろして、わずかに目を見張った。


「可愛いでしょう? こんな可愛い格好をした女の子を、お部屋の中に閉じ込めておくものじゃあないわよね?」


 千早様は牡丹様を軽く睨んだ後で、はあ、と息を吐く。

 そして、ゆっくりとわたしの前まで歩いてくると、すっと手を差し出された。

 手を取れと言うことだろうかと、おずおずと千早様の手のひらに手を重ねると、ぐいっとその手を引いて立たされる。

 そのまま、わたしの手を繋いで千早様が歩き出した。


「あの……」


 戸惑いつつも千早様について歩き出すと、牡丹様がにっこりと目を細める。


「帝都では最近、でぇとにはかふぇが定番だそうよぉ?」


 千早様はそれに、無言を返した。




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