変化 1

「おやおや」


 あきれたような、それでいてどこか面白そうな声に声を上げると、透けるほど薄い桃色の被衣かずきを纏った綺麗な女性が立っていた。


 ……お客様、かしら?


 本日来客があるとは聞いていなかったけれど、そういうこともあるだろう。

 玄関前を履く手を止めて、お邪魔にならないように隅の方によければ、彼女は風に揺れる柳のようにしなやかな動作で門から玄関までを歩いてくる。

 そして、わたしの前で足を止めると、紅を刷いた形のいい唇を、ニッと持ち上げた。


 白い肌に、青銀色のまっすぐな髪。

 わたしよりいくつか年上の、まだお若い女性に見えるけれど、鬼というものは外見で年齢を測れない。二十歳前後に見える千早様も、齢百年を優に超えているのだ。

 失礼にならないように頭を下げると、彼女はわたしの方に手を伸ばし、顎に指先をかけた。


 くいっと顔をあげさせられ、思わず目をぱちくりとさせてしまう。


「まあまあ、本当に鬼になっていること。道間に生まれ、鬼になるなんて、お前も難儀な運命を背負った子ねえ」


 彼女の指先が顎にかかったままなので、わたしは動くに動けない。

 どうしたものかと思っていると、慌てたように玄関の引き戸が開いた。


「母上、ユキを揶揄うのはおやめください。お館様が怒りますよ」


 どこか焦った声を上げながら現れたのは青葉様だった。

 母上、と呼ばれ、目の前の彼女はころころと笑う。


 わたしはどう見ても同じ年頃にしか見えない青葉様と彼女とを見比べ、目を見開いた。

 鬼は外見と齢が一致しないとはいえ、さすがにこれには驚くしかない。

 青葉様は疲れたようにこめかみを押さえ、それからわたしの顎にかけられたままだった彼女の手を掴んでそっと下す。

 彼女はふふっと笑って、青葉様の頬を指先でするりと撫でると、玄関の奥へと消えていく。

 はあ、と息を吐いた青葉様がわたしを見て「すまないな」と言った。


「母は昔から戯れが過ぎるのだ。すまないな」

「いえ……」

「それにしても、突然やって来るなんて……、お館様が呼んだのだろうか」


 首をひねりつつ、青葉様がわたしの手から箒を取り上げる。


「すまないが、茶を出してくれ。さすがにお館様の前では母上も戯れ心を出したりはしない……と、思う」

「はい、かしこまりました」


 どちらにせよ、お客様がいらっしゃったのならばお茶をお出ししなければならない。

 青葉様が箒を片付けておいてくれると言うのでお言葉に甘えて、わたしはお茶の用意をするために台所へ向かった。

 お茶と、先日作ったお団子があったのでそれを折敷の上に載せ、千早様のお部屋へ向かう。

 襖の前で折敷を置き、正座をして、失礼にならないようにそっと襖を開けた。


「失礼いたします」


 三つ指をついて挨拶をすると、千早様と談笑していた青葉様のお母様がわたしの方へ視線を向ける。

 注目されることに緊張しつつ、折敷を持っておそばへ向かうと、お二人の前にお茶とお団子をお出しした。


「ユキ、こちらは俺の叔母の牡丹だ」


 お茶を出して下がろうとしたところへ千早様に声をかけられて、わたしは居住まいを正した。

 千早様と青葉様が従兄弟同士の関係とは聞いていたけれど、千早様のお父様の妹君が牡丹様らしい。よく見ると、千早様と目元が少し似ているような気がした。

 牡丹様は楊枝でお団子を口に運びながら、面白そうに青い瞳を瞬かせている。


「千早が珍しく頼みごとをしてきたと思ったら、なかなか愉快なことになっていること」

「牡丹、ユキは冗談も真に受ける。揶揄うのはほどほどにしてくれ」

「まあ、まだ何も言っていないのに」


 牡丹様は心外だと言わんばかりに片眉を上げたけれど、すぐに機嫌よさげにわたしを見た。


「それにしても、千早がわたしを呼ぶほどに気に掛けるなんて、いったいどんな子なのかしら……」

「別に、そういうのではない。ただ単に、女のことは女にしかわからんだろうと思っただけだ」


 ふん、と千早様は鼻を鳴らす。

 話の内容がわからなくてわたしは首を傾げた。


 すると、牡丹様がおかしそうに、千早様がわたしの後見として牡丹様を呼んだのだと言うことが判明してギョッとした。

 お邸には千早様と青葉様、それからわたししか暮らしていない。

 もともと他に下女の方がいたようだけど、わたしが来てから休みを取らせたそうだ。わたしがほかの鬼にどのように扱われるかわからなかったため、用心してくれたらしい。

 千早様も青葉様も男性であるので、わたしが身の回りのことに困っているのではないかと、わざわざ牡丹様を頼ってくださったのだと言う。


「千早様、わたしは、下女でございますので……」


 主の叔母である牡丹様に目をかけていただくのはおかしいと言ったのだけど、千早様は取り合ってくださらない。


「俺が決めたことだ。俺の母がいればよかったが、すでにこの世にいないからな。仕方なく牡丹を頼った」

「まあまあ、仕方ないなんて、失礼な子ねえ」


 牡丹様が口を尖らせたけれど、千早様は意に介した様子はない。


「ユキの精神衛生上にはあまりよろしくはないだろうが、ほかよりはいくらかましだ」

「はあ、日に日に憎たらしくなっていくわ。いったい誰に似たのかしら?」


 牡丹様が頬に手を当てて、ほぅ、と息を吐き出した。


「牡丹、ユキは特殊な環境で育った。ゆえに知らなないことも多い。母がわりとまでは言わんが、手を貸してやってくれ」

「……本当に、珍しいこともあるものね」


 牡丹様は戸惑って何も言えないわたしにふわりと優しく笑いかけた。


「まあいいでしょう。鬼になりたてならば赤子も同然。面白そうだし、可愛い甥のお願いを聞いてあげるわ」


 こうして、牡丹様がしばらくの間お邸にお住まいになることが決定した。




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