鬼の隠れ里 4
鬼は、暁月千早様とおっしゃるらしい。
千早様とお呼びする許可を得て、わたしは千早様の下女になった。
状況はいまだよく読めないが、人の生を終えたわたしは、ここで生きていくしかない。
生きるも死ぬも千早様の気分次第なのだから、彼に仕えるのは当然だろう。
ここは、鬼の隠れ里と呼ばれる場所だと言う。
現世と常世の狭間にある異空間だと聞いたけれど、よくわからなかったので深くは考えなかった。
何故なら鬼というのは神の亜種だそうなので、人として生きたわたしには理解できない部分が大きいはずだからだ。
「おはようございます、千早様」
わたしは千早様の寝室の襖を開いて、三つ指をついて頭を下げた。
千早様のお邸は広い。
千早様は鬼の棟梁様であるそうなので当然だ。
そして、棟梁様であるので多くの下女を抱えていらっしゃるのだけど、千早様は何故か新参者のわたしに身の回りの世話をするように申し付けた。
鬼の勝手がわからないわたしでは迷惑をおかけするだろうに、構わないらしい。お心が広い方だと思う。
そう言うと、ものすごく嫌な顔をされたけれど。
朝になったので千早様を起こしに行くと、千早様は褥の上でうつぶせの状態で眠っていた。
「千早様、朝でございますよ」
返事がなかったのでお部屋に入って枕元で呼びかけたのだけど、健やかな寝息しか返ってこない。
千早様は、朝が弱い。
逆に夜はお強いようで、いつも遅くまで起きていらっしゃる。
早く眠るようにすれば朝の目覚めもすっきりするだろうにと思ったのだけど、千早様の側近の青葉様によれば、早く寝てもやっぱり朝は弱いらしい。
青葉様は、千早様の下女になった新参者のわたしに最初は厳しい目を向けていたけれど、半月ほどもすればわたしへの警戒が解けたのか、普通に接してくださるようになった。
ご自身のことを多くは語らない千早様について、いろいろ教えてくださるのも青葉様だ。
青葉様は、千早様のことをとても尊敬しているようである。千早様はきっとよき棟梁様なのだろう。
「千早様、朝餉が冷めてしまいますよ」
朝餉が冷めると千早様の機嫌はとても悪くなる。
だから必死に起こそうとするのだけど、千早様から反応は返ってこない。
仕方がないので、無礼と知りつつも千早様の肩に触れた。
「千早様」
軽く揺さぶってみる。
すると、千早様が寝返りを打ち――
「えっ⁉」
気が付いたら、わたしは千早様の腕の中に抱き込まれていた。
すーすーと寝息が聞こえるので、まだ眠っていらっしゃるのは間違いない。
……どうしましょう。
これは困った。
身じろぎするも、千早様は力が強いので、わたしでは腕から抜け出すことはできない。
すっかり抱き枕にされたわたしは、千早様の腕の中で必死に朝だとお伝えするけれど、起きてくださる気配はなかった。
とくとくと千早様の鼓動の音がする。
千早様は鬼だけれど、鬼も人と同じように心の蔵が鼓動を打つのだなと少しだけ面白く思っていると、しばらくして足音が聞こえてきた。
「お館様……あー……」
どうやらいつまでも起きてこない千早様に業を煮やして、青葉様が様子を見にいらしたようだ。
千早様に抱き込まれているわたしを見て額に手を当てた。
「ユキ、眠っているお館様には不用意に近づくなと言っただろう」
実は、千早様を起こしに行ってこの状況に陥るのははじめてではない。これで三回目だ。
毎回青葉様に救出されているわたしは申し訳なくなりつつも、遠くからお声がけしただけでは起きてくださらないのにどうしたらいいのだろうと途方に暮れた。
そして、今日も今日とてわたしを千早様の腕の中から救出した青葉様は、どこから取り出したのか、鍋とお玉を掲げ持ち、カァン! と大きく音を立てる。
「さあ、起きてください、お館様‼」
嫌そうな眉を寄せて瞼を上げた千早様を見て、青葉様はやっぱりすごいと、わたしはただただ感心していた。
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