鬼の隠れ里 2
「お館様、『あれ』をどうするおつもりですか?」
青葉が不可解そうな顔を向けて来る。
暁月千早は――この「鬼の隠れ里」を統括する「お館様」である彼は、脇息に軽く寄り掛かりながら、視線だけを青葉に向けた。
「どう、とは?」
「……いえ」
千早の声は静かだった。
けれど千早が受け止めた途端、青葉は蒼白になり視線を落とした。
どうやら、無意識のうちに相手を威圧していたようだ。
ふう、と息を吐き出し漏れ出ていた妖気を抑えると、青葉が細く息をつく。
青葉は、父が死に、千早が鬼の棟梁の座をついた百年前から千早の側近だ。
付き合いはそれ以前に遡り、生まれたのが同じころだったため、幼いころから常に側にいた男でもある。
鬼という種族は、完全に縦社会だ。
力ある鬼が一族を束ね、彼らは力に従う。
立場的には千早の従兄弟にあたる青葉が、何の異論も言わずに千早に従っているのは、二人の力の差が明白だったからだろう。
この隠れ里の中で、千早に勝る鬼はいない。
だから、いつもであれば青葉は千早に疑問を投げかけることすらしなかったはずだ。
けれども、千早の行動がよほど引っかかったのだろう。珍しく、千早が連れてきた女を「どうするのか」と訊ねてきた。
(どうするのか、か)
正直なことを言えば、千早もそれを決めかねていた。
先ほど連れてきて、千早の邸の一室に寝かせて置いた「女」。――道間の娘。
山の中で女を見つけた時、千早は確かに彼女を殺そうと思っていた。
放置していても死にそうなほど弱っていたが、百年前に父を殺した道間に対する恨みは未だ根深い。
人の一生は短く、あの女はその時の道間の女狐ではなく末裔だったが、そんなことは千早には関係のないことだった。
放置しても死にそうだが、この手でなぶり殺しにしてやりたいという攻撃的な感情に支配され、千早は女の前に立った。
――だというのに、なぜ、その考えが変わったのだろう。
自分でもよくわからない。
もしかしたら、見下ろした女に道間らしさがなかったからかもしれない。
女は何がおかしいのか儚く笑い、そして目を閉じた。ああ、死ぬのだなと思った。
死ぬのか、という千早の問いかけに返すこともなく、諦観めいた無に近い表情で、ただただそのときが来るのを待っているように見えた。
女の首の手をかけたのは気まぐれだった……のかもしれない。
何故かもう少し見ていたいと思った。
同時に、自分たちこそ崇高であると信じて疑わない道間を、その女を「汚して」やれば――女は、どんな表情を見せるのだろうかと、おかしな興味が湧いた。
汚して、道間が忌み嫌うものと同じモノに堕としてやれば、女は千早の前で狂うだろうか。
それはそれで見世物としては一興かもしれない。
鬼らしい残虐的な考え方で、千早は女の首を絞めた。
「お館様……」
「しばらく、あれは俺が見る。手は出すな」
あの女がどんな鬼に変質したのかは知らないが、もともとそれほど力はないように見えた。他の鬼にいびられればすぐに死ぬだろう。せっかく拾ったおもちゃだ、すぐに殺すのは面白くない。
青葉は何か言いたげだったが、千早はそれを無視して立ち上がる。
そろそろ、あの女が目覚める頃だろう。
(そういえば、あれの名を知らないな)
あれはもう道間ではない。ならば名を確かめておかなくては、いつまでも「女」だと困るだろう。
何が困るのかはよくわからなかったが、千早は言い訳めいた理由をつけて女に名を確かめてみようと思った。
青葉を部屋に残し、女が寝ている部屋へ向かう。
部屋に入れば、やはり女は目覚めていた。
抱きかかえて運んできたときにひどく体が冷えていたので部屋を暖めさせたが、暖かくしすぎただろうか。暖かいというより、少し暑い。
襖を締め女に近づいていくと、女は緩慢な動作で瞬きを繰り返し、それから布団の上に正座をした。
状況が理解できていないのだろう、不思議そうな、困ったような、そんな顔をしている。
拾ったときは薄汚れていたので気づかなかったが、よくよく見れば、なかなか顔立ちの整った女だった。汚れを落とせばそれなりに見られる顔になるだろう。
この女をどうするか決める前に、少し揶揄ってみることにした。
「お前は死んだ」
普通の人間なら狼狽え取り乱すだろうことを言っても、女は戸惑いを見せるだけだった。
不思議な反応だなと思いつつ、布団の側に胡坐をかいて座る。
名を訊ねれば「ユキ」と帰って来た。
名を呼び、千早が「お前は死んだ」と繰り返しても、ユキはやはり戸惑いを見せるだけだった。
そして、「さようで、ございますか」とわかっているのかいないのか、そのような返事を返してくる。
「変な女だ」
思わず感想が口を突いて出たが、ユキは怒りはしなかった。それどころか、どこか喜ぶような顔をしたので、また「変な女だ」という感想を抱いてしまう。
(この女は一体何なんだ?)
道間の女だ。道間の女だった女だ。
千早の知る道間は、彼女とは真逆の性質を持った苛烈な人間たちのはずである。
自分たちの都合のいい「正義」の名のもとに、異形を嗤いながら嬲り殺す、そんな人間たちだ。
千早は、そんな女が狂うところを見て見たかった。
「俺が殺した。そしてお前は人の理から外れた」
望んでいた反応が返ってこないので踏み込んだことを告げても、やはりユキは千早が望んだ反応を見せない。
「お前は、もはや道間ではない。――お前は、鬼だ」
どうしてこの女は反応しないのだろうと、憮然としたものを感じつつさらに言葉を重ねると、ユキは細く息を呑んだ。
だが、やはりそれだけだった。
ユキから臨んだ反応が返ってこないことに少し苛立った千早は、彼女の細い肩を押し褥の上に押し倒す。
至近距離で睨みつけ、そして嗤ってやった。
「鬼に汚された気分はどうだ?」
さあ、わめけ、泣き叫べ。
――俺は、道間が狂うところが見たいのだ。
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