鬼の隠れ里 1

 ――ぽかぽかと温かいのが不思議だった。


 ぼんやりと瞼を持ち上げたわたしは、そのまま、何度か目をしばたたく。


 ……ここ、は?


 ふわりと肌に触れるのは、柔らかくて温かいお布団の感触だった。

 パチパチと火が爆ぜるような音がして、首を巡らせれば、両手で抱えられないほど大きな火桶が置いてある。

 火の爆ぜる音は、そこからしているようだ。

 火桶のおかげか、お布団か。それともその両方か。

 先ほどまで凍えていたはずのわたしは、まるで春の暖かな日差しに包まれているかのように暖かかった。


 ……ええっと。


 記憶がつながらなくて、わたしはお布団に横になったまま首をひねる。

 ここはどこで、わたしはどうして眠っているのか。

 わたしは確か、父の命令を受けた道間家の使用人に、山奥に捨てられたはずだった。

 彷徨い歩いているうちに小さな祠を見つけて、そこで膝を抱えて自分に訪れる死を待っていたはずだ。

 そして、綺麗な鬼に会った。


 ……そうよ、わたしは、鬼に殺されたはずよ。


 殺されたと言うよりは、情けをかけてもらったと言う方が正しいのか。

 舞い落ちる雪に埋もれながら徐々に命の灯が小さくなっていくわたしを、彼は一思いに殺してくれようとしたのだ。

 最後に、わたしの首にかけられた鬼の指にぐっと力がこもったのを感じた。


 それから記憶が途絶えているのだが……順当に考えたらわたしは死んだはずなのに、ここで寝ているのはどうしてだろう。

 それともここは死後の世界なのだろうか。


 横になったまま、考えていると、すっと襖の開く音がした。

 首を巡らせれば、ボタンの絵柄の描かれた襖の奥に、「鬼」が立っている。


 わたしを殺した――いや、殺そうとした? 鬼だ。

 死んだのか死んでいないのか、自分のことなのによくわからなくて、わたしはただただじっと彼を見つめた。明るいところで見ても、彼はやっぱり綺麗だ。

 ぐっと眉を寄せた不機嫌な顔で、鬼は畳の上を歩いてくる。


 そしてわたしの枕もとで、腕を組んで仁王立ちになった。

 このまま寝ているのも失礼な気がしたので上体を起こし、お布団の上に正座をして彼に向き直る。


「あの……」

「お前は死んだ」


 戸惑うわたしに、彼は冷ややかな声で告げた。

 わたしがぱちりぱちりと瞬くと、彼はお布団の側に胡坐をかいて座る。

 何も理解できていないわたしは、一体何を訊ねていいのかもわからなかった。

 ただ呆けたように瞬きを繰り返すわたしに、彼はひとつ息を吐く。


「道間……いや、もう道間ではないな」


 道間で、ない?


 それはわたしが道間家から捨てられたからだろうか。

 それとも、ほかに意味があるのだろうか。

 やっぱり何も言えないでいるわたしに、彼は端的に訊ねた。


「名は?」

「……ユキ、と呼ばれておりました」

「そうか。では、ユキ。お前は、死んだ」

「…………さようで、ございますか」


 たっぷり沈黙して、理解できないまま頷く。

 彼は形のいい眉を跳ね上げて、じろりとわたしを睨んだ。


「理解しているのか?」

「いいえ、理解しておりません……」


 けれど、それを訊ねていいものなのだろうか。

 道間家では、わたしは「問う」ことを許されなかった。

 疑問を抱くことも、それに否を唱えることも、何一つ許されてこなかったわたしにとって、何かを訊ねるという行為はひどくわたし自身に戸惑いをもたらす。

 悩み、惑って、わたしはおずおずと、問いではなく「確認」を入れることにした。


「わたしは、死んだのでございますね」


 彼は、そっと息を吐き出した。

 そして、吐き捨てる。


「変な女だ」


 決して誉められていないのはわかっているけれど、その言葉はわたしを傷つけることはなかった。

 無用なものとされ、存在ごと打ち捨てられていたようなわたしにとって、変と表現されることは逆に小さな感慨すらもたらす。

 変、と言われると言うことは、すなわちわたし自身を「表現」してくれていると言うことだ。

 わたしを、見て、感じてくれていることなのだ。


 彼の綺麗な赤紫色の瞳に、わたしが映っている。

 感動せずには、いられない。


「お前は死んだ」


 彼は同じ言葉を繰り返す。


「俺が殺した。そしてお前は人の理から外れた」


 彼はわたしの首元に手を伸ばす。

 指先が触れ、何かを確かめるように滑った。

 ちょっとだけ、くすぐったい。


「お前は、もはや道間ではない。――お前は、鬼だ」


 わたしは、大きく目を見開いた。




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