プロローグ 3

 寒さのせいか、意識がとぎれとぎれになりはじめていたわたしの耳に、がさりと落ち葉を踏むような音が聞こえてきた。

 ぼんやりしながら膝の間から顔を上げ、わたしはぱちりぱちりと緩慢に瞬く。


 一瞬、おつきさまが落ちて来たのかと思った。

 だが、その勘違いも、すぐに違うとわかる。

 目の前にあらわれたのは、月のように綺麗な金色の髪に赤紫色をした背の高い男性だった。

 白に赤い紅葉の模様が美しい羽織を纏い、腕を組んでじっとわたしを見下ろしている。


 その目は驚くほど怜悧で、同時に、わたしをひどく憎んでいる目だった。


 ……鬼。


 彼は「鬼」だ。

 わたしはすぐに理解した。

 腐っても破魔家の家系に生まれたものだからだろうか。

 人と何ら変わらない外見をしている彼は、「鬼」なのだと、わたしの直感が告げた。


 はじめて見る「鬼」。

 おそろしく冷ややかで怖いのに、このときわたしは、ただただ彼のその怜悧さが美しいと、そう思った。


「……道間の、女狐か」


 うずくまったままのわたしに、彼は忌々しそうに言う。

 女狐なんてはじめて言われた。

 何の力もないちっぽけなわたしが「女狐」なんて呼ばれるとは――、その言葉が決して誉め言葉ではないことはわかったけれど、なんだかおかしくなる。


 彼はわたしを、道間の人間と警戒しているのかもしれない。

 魑魅魍魎を払う力もなく、父から忌み嫌われていたわたしなんて、警戒する必要はどこにもないだろうに。


「……ふふ」

「なにがおかしい」

「いえ……」


 寒さで、わたしの頭は動きが鈍くなっていたのかもしれない。

 この状況で笑えた自分に、わたし自身が驚くと同時に、ああ、それもそうかと得心する。


 ――一人で死に逝くさだめだと思っていたのに、誰かに看取られることが……たとえそれが、わたしを憎んでいそうな鬼だとしても、それが、わたしは嬉しいのだ。


 笑いながら、意識が朦朧としていくのがわかる。

 わたしがぼんやりしている間に、周囲にはうっすらと雪が積もりはじめていた。


「……死ぬのか」


 わたしの様子を眺めながら、鬼が、ちょっとだけ驚いたように目を見張った。

 そんな顔をしていても、やっぱり綺麗な人……。

 鬼は人を惑わすために美しい顔(かんばせ)をしていると聞いたことがあるけれど、まさしくその通りだった。

 鬼の呪い子と呼ばれたわたしが、鬼に看取られて死ぬのも、ちょっと変で面白い。


 ゆっくりと目を閉ざすと、体が支えられなくなって、うずくまった姿勢のままこてんと横に倒れた。

 ずっと凍えるような寒さの中にいたせいか、わたしの体は、もう限界に来ていたようだ。


「死ぬのか」


 鬼は一歩わたしに近づいて来て、もう一度つぶやいた。

 薄く笑おうとしたわたしの側に、鬼が膝をつく。

 鬼は、ゆっくりと手を伸ばして、わたしの首に指を巻き付けた。

 軽く力が込められて、わたしは完全に目を閉じる。


 死に逝くわたしに、止めを刺してくれようとしているのだろうか。

 殺されそうになっているのに、わたしは何故かそのことに安堵してしまった。

 このまま鬼が立ち去り、一人で死ぬのを待つよりは、彼の手にかかって死ぬ方がましだと、わたしは何故かそう思ったのだ。


 徐々に徐々に力が込められていく。

 すでに朦朧としているからか、あまり苦しさは感じない。


「……死ぬのなら、俺の手で殺してやろう。道間」


 それが「道間ユキ」として聞いた、最後の言葉だった。




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