プロローグ 2

 父に斬られると思っていたわたしだったけれど、父はわたしを捨てることにしたようだ。

 ただ、結果としては、斬られても捨てられても、待ち受ける運命は同じであろう。


「……こんな時でも、おつきさまは綺麗ね」


 闇色に染まった木の葉の間から、金色の満月がわたしを見下ろしていた。

 なぜわたしは、こんな赤茶色の髪で生まれてきてしまったのだろうか。

 物心ついたときから幾度と自問し、答えがないことも理解しているのに、わたしはまたそんなことを考えていた。


 わたしの髪が黒であれば、たとえ無能であろうとも捨てられることはなかっただろう。

 無能だとしても、産んだ子が無能だとは限らない。

 過去には無能の母から強い力を持った子が生まれたこともあり、道間家では、たとえ無能であろうとも、次代の「母体」として丁重に扱われる――色が、「黒」であれば。


 だからわたしの髪が黒であれば、きっとそれなりに可愛がってもらえただろう。

 母も心を病むことはなかった。


 わたしはそっと自分の髪に触れる。

 ろくに手入れをしていないから手触りはごわごわしていて、ちっとも綺麗でないわたしの髪。

 離れに閉じ込められ、座敷牢のように小さな部屋の中、ただ生かされていただけのわたし。

 それでも、屋根のある部屋にいられただけましだったなと、はあ、と白い息を吐き出しながら思った。


 飢えるのが先か、凍え死ぬのが先か。

 冬の山の中では、凍える方が先だろうか。

 いつの間にかはらりはらりと舞い落ちはじめた雪に、わたしはつい、自分の名前を嗤う。


 ユキ……漢字を当てれば「幸」だそうだ。

 わたしを憐れんだ乳母が、親に名をつけてもらえないわたしを、そう呼んだ。

 いつの間にかその名が定着し、父はわたしに名付けなかったことを忘れて、わたしの名を「ユキ」とした。

 幸……忌み嫌った娘にその名がつけられたことに、父は何も感じなかったのだろうか。感じなかったのだろう。父の中で、わたしの存在はどうでもいいものだったのだろうから。


 それにしても、冬の山は暗い。

 帝都では夜もガス灯が煌々としているけれど、周囲に民家もない山奥では頼れるのは月あかりだけだ。

 その月も、ゆっくりと漂う雲に覆われ、気が付いたら見えなくなっていた。


 ……わたしは、明日の朝まで生きていられるかしら?


 膝を抱えてうずくまり、そっと息を吐く。

 どうせ死ぬのなら早めに死んだ方が苦しまないだろう。

 わかってはいるのだが、人間というものは、死が目前に迫っているとわかっていても、生にしがみつきたくなるものなのかもしれない。


 あと少し、少しだけ、生きていたかった――


 わたしにこの名をつけてくれた乳母が願ったように、死ぬ前に「幸せ」というものを知りたかった。

 乳母が去り、ひとりぼっちになった離れの中で、ずっと願った、わたしの「幸せ」。

 誰でもいい。


 わたしを必要としてくれる人に、出会って見たかった……。




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