第5話 クルガル

 圭人は銅鏡を本当に潜り抜けられると半信半疑でありながら、180センチほどの大きな銅鏡に手を差し込む。

 手は何の抵抗もなく銅鏡の反対側へと通り抜ける。

 覚悟を決めた圭人は体を銅鏡の中に入れる。


「足元に段差があるので気をつけるんじゃ」


 琥珀の声で圭人は足元を見る。そこには琥珀の言った通り大きな段差がある。

 圭人は巴と繋いでいた手を離し、注意しながら段差を降りる。降りてから巴に手を差し出し、降りるのを手伝う。

 圭人は巴が降りたのを確認した後、出てきた場所を確認する。

 空中に穴が空いており、穴の向こう側には金尾稲荷の部屋が見える。


「こちら側に銅鏡はないのか」

「目的地は任意の場所を選べるようにしたのじゃ。ちなみに、クルガル側にも壊れた場合のため用意はしておる」


 予備も準備されていると聞いて圭人は安心する。もしも金尾稲荷にある銅鏡が壊れてしまっても、クルガル側の銅鏡で地球に戻ることが可能なようだ。

 圭人は安心したことで、穴の奥にある物が気になってくる。少し立ち位置を変え、奥を覗き込む。そこには台の上に猪の石像があった。

 猪を崇めるような祭壇に見える。


「ここってジェイド様を祀っている祭壇では?」

「目的地として神と繋がっている祭壇は目印になる。トラウトポートには神官用の小さな礼拝堂があって、そちらを目的地に設定したのじゃ」


 圭人は目的地の設定にいいのは分かったが、圭人は他のことが気になる。


「祭壇に登って良かったのですか?」

「ジェイドが許せば問題あるまい?」


 祀られている神が許すのであれば、確かに誰も文句は言えない。


「気にする必要はない」


 ジェイドはそう言った後、部屋のドアを開ける。

 ドアの先には人がおり、ドアの方を見たまま固まっている。

 硬直が解けた一人が駆け寄ってくる。


「ジェイド様!?」


 ジェイドの元に駆け寄ってきたのは声からして男性。

 男性はジェイドと同じように猪の顔をしており、圭人には年齢が推測できない。


「久しぶりだな、ナイジェル」

「ジェイド様、久方ぶりにございます」


 相手はジェイドの顔見知りだったようだ。


「あの、ジェイド様。なぜ、この部屋から……?」

「買い出しをするためにトラウトポートに来たのだ。すまないが、一時的に礼拝堂を閉鎖しておいてくれ、移動用の魔道具が発動しているのでな」

「承知いたしました」


 礼拝堂から皆が出ると、ナイジェルが扉に鍵をかける。


「では行こうか」

「ああ、ジェイド様お待ちください」

「なんだ?」

「お姿がそのままですと人だかりができてしまいます」

「そうだったな」


 ジェイドが頷くと体がどんどんと小さくなっていく。

 2メートル以上あった体が、琥珀と同じような130センチ前後になる。

 黒に近い茶色の体毛が、明るい体毛に変わり黒い線が入る。猪の子供である、うりぼうのような見た目に変化した。


「か、かわいい」


 巴が小さい声で呟く。

 かわいい物好きの巴には小さくなったジェイドの姿が可愛く見えたようだ。


「ナイジェル、どうだ?」


 低音だった声まで高くなって、完全に子供にしか見えない。


「そのお姿であれば騒がれることはないでしょう」

「そうか」

「ジェイド様、良ければトラウトポートを案内いたしましょうか?」

「おお、頼めるか?」

「承りました」


 ナイジェルが深々とジェイドに礼をする。

 ジェイドからナイジェルに圭人たちが紹介される。


「トラウトポートのジェイド神殿で神殿長を務めております、ナイジェル・ワーグマンと申します。皆様、よろしくお願いいたします」


 神殿長。圭人は高い地位に驚く。

 圭人たちはナイジェルと話しながらも神殿内を歩いていく。

 神殿は石造りでギリシャ建築やローマ建築を思わせる西洋風の建物。

 神殿から外に出ると石畳、石造りの建物が並ぶ通りへと出る。


「すごい」


 建物はヨーロッパであれば似たようなものはあるだろう。

 しかし、街ゆく人の見た目が人ではない。琥珀のように人間に耳と尻尾が生えていたり、ジェイドのように毛に覆われた動物の姿。多種多様な獣人と呼べそうな人たちが通りを歩いている。


「本当に異世界。こんな世界があったなんて……」


 圭人の常識では考えられない光景に圧倒される。


「異世界……? ジェイド様、もしやお二人は地球から?」

「そうだ。ナイジェル、秘密にしておいてくれ」

「はい」


 圭人はジェイドとナイジェルの話に息をのむ。

 ジェイドは圭人が地球から来たことを知らないのに、目の前で異世界と言ってしまった。


「琥珀様、ジェイド様、申し訳ありません。異世界と口に出してしまいました」

「気にする必要はないのじゃ」

「圭人、問題はない。ナイジェルが信頼できるのは私が保証する」


 琥珀とジェイドは全く意に介した様子はない。


「そんなことより買い出しに行くのじゃ。こちらの店も閉まってしまうぞ」


 琥珀に言われて圭人は空を見上げる。

 圭人は今更ながらに台風の影響がない晴天なことに気がつく。


 赤くなり始めた空の様子から夕方だろうか。

 圭人は台風で時間があるため夕食の準備を早めにしたとはいえ、日本であればすでに暗くなっていてもおかしくない時間だった。トラウトポートではまだ日が出ていることから時差があるのだと理解する。


「皆様は何をお買い求めでしょうか?」

「バターが欲しいのですが、売っている店はありますか?」

「バターですね。トラウトポートでは取り扱っている店が多くあります。私がよく行く店にご案内いたします」


 ナイジェルは店が近いため歩いた方が早いと言う。

 ジェイドが歩くことに同意するとナイジェルが先導を始める。


 圭人は馬車のような乗り物が走っているのに気がついていたが、今はそれよりも街中を歩いてみたいという気持ちの方が強い。

 うさぎのような長い耳を持つ人、ネズミのように丸い耳を持つ人、サイの顔をした大男。圭人や巴のような見た目をしている人はいない。


 圭人は街の中を歩いていると潮の香りがすることに気づく。

 トラウトポート、ポートとはつまり港。圭人はこのが港町であることを理解した。

 食堂のような店屋から匂う香りは、磯の香りとバジルやタイムといったハーブの香り。魚介類とハーブを合わせた料理が振舞われているのだろう。

 圭人はどんな料理が出されているのかと気になる。


「圭人、足を止めるでない」

「すみません」

「確かに美味しそうな匂いじゃが、今日の妾が食べたいのはコロッケなのじゃ。今日はバターを買って帰るぞ」

「分かりました」


 圭人は同意をしながらも視線が食堂のような店から目が離れない。


「銅鏡は好きに使っていいので今度にするのじゃ」

「琥珀様、あたしも銅鏡を使っていいのですよね?」

「もちろんじゃ」


 巴が圭人の手を取る。


「圭人、あたしも気になるから今度一緒に来ましょ」

「ああ」


 今度こそ圭人の視線は食堂から離れる。


 食堂から少し歩いたところでナイジェルが足を止める。


「こちらです」


 店先には牛の看板が掲げられている。


「いらっしゃいませ」


 店の中に入ると牛の見た目をした店員が挨拶してくる。

 店の棚にはチーズが大量に並べられ、店員の前にあるケースにはカットしたチーズや乳製品が大量に並べられている。

 店員はナイジェルに気づいたようで、丁寧に頭を下げて挨拶している。


 圭人はケースの中に陳列された乳製品を見ていく。

 一部の商品には説明が書かれている。圭人はなぜか読める文字を読んでいくと、牛や山羊のチーズはまだわかるが、トカゲのチーズとは何者だろうか……。トカゲはそもそも卵生では……?

 未知の食材に興味を惹かれつつも、圭人は癖のない牛のバターを購入する。


「ナイジェル様、ありがとうございます」

「ジェイド様にお金を出させる訳にはいきませんのでお気になさらず」


 バターの代金はナイジェルが支払った。

 ちなみに店先にあった牛の看板は店主の顔で、乳製品を取り扱う目印ではなかった。

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