第2話 琥珀

 初めて聞く幼なげな声に圭人けいとは戸惑う。

 圭人は部屋に巴と二人だと確認してから話を切り出したのに、いつの間に部屋の中に人がいる。


「ダメじゃ!」


 声がするのは祭壇がある場所。

 先ほど奉納をしたところで誰もいないのは確認済み。というか、祭壇近くは神聖な場所だと用事がない限り立ち入らない。

 圭人が祭壇を確認すると、祭壇の中心に飾られている銅鏡の前に幼女がいる。幼女は巴と似たような金髪。そして金髪の上には犬や猫のような耳が生えている。祭壇の上に乗っているとか、耳の存在で吹き飛ぶ。


「え? 耳?」

「ダメじゃ!」


 幼女は祭壇から飛ぶように移動して圭人の前にくる。


「ダメじゃ!」


 幼女が圭人を見上げながらダメだと繰り返す。

 圭人が近づいてきた幼女を見下ろすと、幼女の背中には尻尾がある。

 幼女は古風な狩衣かりぎぬのような服を着て、腰に手を当てている。


「圭人、妾は許さぬぞ!」

「俺の名前をなんで?」


 圭人に動物のような耳と尻尾を生やした幼女の知り合いはいない。

 もし一度でも会っていたなら記憶に絶対残っているはずだ。


琥珀こはく様」

「なんじゃ、ともえ


 琥珀と呼ばれた幼女は巴の知り合いのようだ。


「圭人の前にお姿を晒してよろしいのですか?」

「今は非常事態であるぞ」

「どのような?」


 圭人には巴の声が怒っているように思え、巴の顔を見る。

 巴の表情が完全に抜け落ちている。

 圭人には巴が相当怒っているのが長年の付き合いでわかる。圭人は音を立てないようにゆっくりと巴から距離を取る。しかし、琥珀は巴が怒っているのには気づいていない様子で会話を続けている。


わらわに奉納される好物が減る危機じゃぞ」

「ほう?」


 魔王のような雰囲気を醸し出す巴が琥珀の頭に手を添える。

 琥珀は巴の手が頭に来たことで、ようやく巴に視線を向ける。巴の表情を見て琥珀の顔がひきつる。


「と、巴? この手はなんじゃろ?」

「琥珀様、あたしは今プロポーズされていた気がするのですけれど?」


 琥珀の顔から血が引いて青ざめていく。

 琥珀は両手を胸の前で合わせて、巴を見上げる。


「ゆ、許して?」

「許すわけなかろう」


 巴の手が琥珀の頭にめり込む。


「い、痛い! 痛いぞ!」


 巴は片手で琥珀を持ち上げる。

 琥珀は空中で暴れるが巴は琥珀を落とさない。武術で鍛えた握力は凄まじい。


「あ、頭がパーンってなる! パーンって!」

「琥珀様は神様なのですから平気でしょう」

「神でも痛いのは痛んじゃ!」


 琥珀は両手で巴の手を引き剥がそうとする。

 数分の格闘を経て琥珀は解放される。


「あ、頭がぁああ」


 琥珀はうずくまって両手で頭を抱えている。


「妾は巴が使える神じゃぞぅ……」


 琥珀は涙ぐんだ声で巴に文句を言う。


「神なら巫女の恋を邪魔しない」

「はい……」


 巴と琥珀の肉体を通した話し合いは終わったようだ。

 恐る恐る圭人は巴に話しかける。


「巴、その子は?」

「金尾稲荷に祀られている神の琥珀様」


 神。


「……神?」

「信じられないと思うけど、神っているの」


 金尾稲荷がある場所は田舎とはいえ地球。

 科学が存在を確認できていないだけで、神はいるかもしれない。しかし、少なくとも2033年に神として科学的に認められた存在はいない。

 いなかったはずなのだが……。


「見て、触って、喋れる神様?」

「歌って、踊りもするわよ」


 巴の無茶振りに、うずくまっていた琥珀は立ち上がり、歌いながら踊り出した。

 先ほどまで頭を抱えてうずくまっていたのに元気な様子。回復が早いのか、神様なので平気なのか……。

 しかし、琥珀が踊っているのは圭人が中高生くらいの時に流行った踊りの気がする。


「この踊りって昔、巴がSNSに投稿していなかった?」

「練習を手伝ってもらっていたのよ」

「なるほど」


 学校でも練習していた気はするが、家でも練習していたわけか。

 しかし、神使い? が荒い気がする。

 圭人は琥珀の踊りを見ていると、どうしても耳と尻尾が気になる。


「神様ということは、耳と尻尾は本物なのか?」

「本物であるぞ。妾は狐の神であるからな」


 圭人の質問に答えたのは巴ではなく、琥珀。


「狐耳なんだ」

「コンコンなのじゃ」


 琥珀は中指、薬指、親指をくっつけて、手で狐を作る。

 神様なのに、のりがいい。


「神様お尋ねしてもいいですか?」

「圭人、妾のことは琥珀で良いぞ」


 名前を呼ぶのを簡単に許す様は、のりの良さも相まって親しみを感じる。

 圭人は流石に呼び捨てはどうかと思い、巴と同じように琥珀様と呼ぶことにする。


「琥珀様」

「うむ、なんじゃ?」

「なぜ俺のことを知っているのです?」

「ずっと見守っておったぞ。それと圭人が奉納する料理は美味しく食べておる」


 圭人は神である琥珀が料理を食べているというのに驚く。

 神も食事を食べるのか。


「奉納した料理は食べられていたのですか」

「毎日食べておるぞ」


 そういえば圭人は奉納した料理を片付けたことがない。

 圭人は今日のように巴と料理を奉納したことは何度もあるが、後片付けは金尾家の誰かがやっていた。奉納した食事が食べられていれば、圭人でも違和感を抱く。片付けを任せられたことがなかったのは、空になった皿を見せないためだったのか。


「祭事には豪華な料理が奉納されるのだが、祭事中は食べるわけにもいかなくてのう。時々食べられる圭人の料理を楽しみにしておったんじゃ」

「俺の料理も祭事の時ほど豪華ではないと思いますが?」

「金尾家の料理は美味しいんじゃが、和食で肉や魚が中心なんじゃよな。たまには洋食が食べたいんじゃ」


 確かに金尾家の食事は和食中心。

 そして金尾家は皆が武闘家で、アスリートのような食事をとっている。そのため、タンパク質を重視した食生活で、ジャンキーな食べ物が出ることが少ない。


「琥珀様は洋食を好むのですか?」

「妾は日本生まれでないので、どこの国の料理でも美味しく食べられるぞ」

「え? 日本で生まれた神様ではないのですか?」

「うむ。千年ほど前に日本に渡って来たのじゃ」


 圭人は稲荷神社の神である琥珀が日本生まれだと誤解していた。琥珀をよく見ると風貌は日本風ではなく、西洋風の顔つきなことに気が付く。

 日本で生まれたわけでないのなら、洋食でも問題がないだろう。


 圭人と琥珀が話していると巴が小さくため息をついた。


「圭人、琥珀様のことが気になるのはわかるけど、今はフランスへ行くかどうかではないの?」

「確かに。だけど琥珀様からダメって言われてるけど?」

「危険があるから行くなと言われているわけでないから問題ないわよ」

「ふむ」


 琥珀は圭人の料理が食べられなくなるからダメだと言っていただけだ。言っていることはわがままでしかないが、圭人としては自分の料理を喜んでくれているのだと嬉しかった。

 圭人はどうしたものかと悩む。


「巴、妾から楽しみを奪うというのか!?」

「毎食奉納しているではありませんか」

「それはそうなんじゃが……巴だって圭人の手料理の方が喜んでいるじゃろ」

「圭人があたしのために作ってくれる料理なの。あたしが喜ぶのは当たり前でしょ」


 当たり前と言いつつも、巴は頬を赤く染める。

 圭人は巴のために料理を用意している。しかし、巴から直接聞くと嬉しいと恥ずかしいが混じる。


「言い返せぬ……。しかし、妾も諦めたりはしない!」


 琥珀が大きく目を見開いてキメ顔を作る。

 巴がキメ顔の琥珀を見てため息をつく。


「そこまで琥珀様がこだわるなら、兄さんに奉納用の外食を定期的に注文するように言っておくわよ」

「それはそれで気になるが……妾は圭人の料理がいいのじゃ! 少しまっておれ!」


 そういうと琥珀は祭壇を飛ぶように駆け上がる。駆け上がった勢いそのままに、銅鏡へと飛び込む。

 圭人は琥珀が銅鏡にぶつかって凄まじい音を立てるかと思っていたが、琥珀は銅鏡の中に消えてしまった。

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