第19話 ちゅ、からの、ぎゅ。

「ユノ! どうしてここに」

「バラエティの撮影だよぉ。今ちょっとだけ休憩だから、アトラクション乗りに来たんだ」

「ゆ……ゆゆ、『ユノっち』!?」


 ミニスカートを危ない角度で翻し、少女は見事なバランス感覚で通路を分断する柵の上に立った。これがただの子供の振る舞いであれば、注意してやらねばならぬ場面でござる。しかし拙者は――いや、アニヲタならば知らぬ者はいまい。


 彼女は立派な大人の女性であり、そして声優界の若手トップを突っ走るスーパースター――


「はいはーいっ、みんなの天使えんじぇるボイス、ユノっちです! ありがとね、お兄さん」

「ふ、ふぁえええ!?⁉︎ い、いや、お待ちくだされ、拙者理解が追いつかぬでござる! ほっ、本当にユノっt」

「おっと! 落ち着いてよ、マッチョ君♡」

「むぐっ」


 小さな手が瞬時に伸びてきて、拙者の鼻と口を塞ぐ。もう一方の手の人差し指を艶やかな唇の前に立て、少女――どう見ても、そうとしか形容できぬお姿でござる――は、小悪魔じみた完璧なスマイルを浮かべた。


「大騒ぎになっちゃ困るんだ。短い休憩時間を、少しでも長く楽しみたいからね」


 拙者に寄りかかるようにして近づけられた顔から、クセのあるストロベリーブロンドがこぼれ落ちる。宝石のように大きな青い目はエネルギッシュな輝きを放ち、拙者の間抜け顔をくっきりと映していた。たしか沖縄出身で、海外の血筋も入ったお方でござったか。


 声優業だけでなくドラマやCMからも引く手あまたというだけあり、その容姿はもはやファンタジーの領域。拙者が言うのもなんでござるが。


「もしかしてキミ、カノンちゃんの彼氏?」


 無邪気な声でそう問う間にも、少女の身体はこちらへ倒れるように傾き続けている。さすがに息苦しくなり拙者は顔を背けようとしたが、意外なほどに強い力の彼女による支配は解けなかった。


「ふッ……」

「こんないい男捕まえたなんて報告、もらってないんだけどな?」

「!」


 指の隙間から拙者の鼻腔に、薔薇のような甘い香りが流れ込んでくる。魔族の鼻には少々強いはずのその香りでござったが、口を塞がれているのでどうしようもない。それに、なぜか心地いい。円盤で必ず毎話耳にした声が、頭の奥を痺れさせる――。


「あーもうボク、ショックで落ちちゃうかも」


 飴を舐めたあとでござろうか。いちごの香りを含んだ甘い吐息とともに、拙者の耳もとにささやきが届いた。


「そうなったら受け止めてね? 上手にできたら、サインしてあげる。キミの好きなとこ、どこにでも……ね♡」


 遠慮なく体重をかけてくるので、いつの間にか彼女の顔は拙者よりも高い位置にあった。しかし無理に振り払うとバランスを崩し、柵の上から転落する可能性がある。身軽そうなコートに包まれた細い体に手を伸ばすか迷っているうちに、拙者の横から黒い影が躍り出た。


「ユノ! 危ないっ!!」

「ありゃ」


 がばっとユノ殿の腰に抱きついたのは、花月殿だった。そのまま少女を抱きしめて身体を反転させる。無事に彼女の足が通路に降り立ったのを確認し、花月殿はふうと息を落とした。


「柵の上になんて乗っちゃダメでしょう。もうオトナなんだから、昔みたいに無茶するのはやめて」

「はぁーい。変わんないなあ、カノンちゃんは。元気だった?」

「うん」


 弾むようにして抱きついてきたユノ殿を、花月殿はなんの抵抗もなく受け止めた。ついに周囲も「何、芸能人?」と少しざわつきはじめたので、拙者たちは慌てて列を離れて建物を出る。


 人気の少ないバザールの隅で、拙者たちはようやくひと心地ついた。


「改めて紹介しますね。こちらは星城ユノさん。ご存知だと思いますが、声優で――『らぶ♡ぎぶ』では主人公、『赤木いちご』の声を演じていました」

「よろしくぅ」

「まさかアニメキャラだけでなく、プライベートでもボクっ子だったとは……ではなく。自分は、東野ガルシと申します」


 またしてもみずから真名を拡散することになるが、仕方なかろう。花月殿の目の前で、違う名を名乗れるわけにもいかぬでござる。


「カノンさんのネットプロデュースをお手伝いしている者――の、兄です」

「あはっ、つまりめっちゃ他人じゃん! キミ面白いね」

「はは、まあ……」


 うぐ、噂通りの天然毒舌キャラ。しかし言われてみればたしかにそうなので、拙者のハートにはまあまあのダメージが入ったでござる。


「カノンちゃんとボクは、高校時代の同級生なんだよ。同じ仕事をすることになった時はびっくりしたなあ。『らぶ♡ぎぶ』が終わってから彼女すぐ業界抜けちゃったから、あんま会ってないけど」

「ふふ、もう気軽に会えるような人じゃないでしょ? でも本当に久しぶりだね、ユノ」

「えーっ、ボクはカノンちゃんとお話できるなら、いつでも飛んでいくのにぃ」


 身長差がある女子同士が腕を絡ませ、やたら至近距離でお喋りをしている。すまぬが、その構図をしまってくれぬか……拙者には眩しすぎる。


「ネットプロデュースってカノンちゃん、なんかやってるの?」

「本名でシンガーをしてるの」

「えっ、そうなんだ!? 水臭いなぁ。ボクに言ってくれたら、いくらでもツテを紹介するのに」


 さらっと言ってのけるあたり、さすがの大物感がございまする。拙者は浮ついた気持ちで花月殿をちらと見たが、彼女は幼馴染の発言を予測していたかのように迷わず首を振った。


「ううん、そういうのは良いの。今回は自分の力でやってみたいから」

「……ふーん、わかった。んじゃ、ボクのアカウントで拡散とかはやめとくよ」

「ありがとう」


 おおお、今なにげにすごい話を蹴ったでござるな。拙者の戦友ともたち全員のフォロワーを合わせても足元にも及ばないほど、ユノ殿はファンを抱えているはず。しかしその短いやりとりからは、お二人の長年に渡る絆が見えたようでござった。


(それにしても、ラムネたんといちごたんが目の前に……。拙者、今日召されるのではなかろうな)


 写真を撮るのは失礼であろうし、これはもう脳内美術館にひっそりと保管しておくしかなさそうでござる。筋が浮いた両手を密かに合わせて感謝していると、遠くの方から若い男が慌てて走ってきた。


「あーっ、ユノさん!! 見つけましたよ、現場に戻ってください!」

「うえぇ、見つかっちゃったか。それじゃ、カンドーの再会はここまでだね」


 絵に描いたようなADスタッフ殿を見、てへっと舌を出して見せるユノ殿。あれっ、ここ二次元世界?


「じゃあね、カノンちゃん! また連絡するよ」


 花月殿にハグしたあと、美少女は拙者の前を通り過ぎようとする。おそらくもうこんな奇跡は起こらぬでござろう。サインをお願いするべきであろうかと拙者がぐるぐる悩んでいると、パーカーの襟元が突然ぐいと下方向へ引っぱられた。思わず前のめりになった拙者の首に、しなやかな細い両腕が絡みついてくる。


「それから」

「っ!?」


 ちゅ。


「ボク、キミのこともっと知りたいな。また会いにいくね――ガルシ」

「!」


 ぞわわ、と腹のあたりに甘い痺れが走る。頬の一部に小さく湿った箇所があり、冬の風を含んで存在を主張していた。え、今――なにが?


「んじゃ、ふたりとも! このあとも、どうぞごゆっくりー♪」


 頬を押さえて呆然とする拙者と、猫耳カチューシャの鈴さえ鳴らぬほど硬直している花月殿。


 そんな我々を置き去りに、赤い嵐は去っていったのでござった。





 バザールを離れ、拙者たちはあてもなくパークの中をしばし彷徨っていた。


「……」

「……」


 どうするでござる、この空気。真名を呼んでいただくどころか、普通の会話すら成立しなくなり申したが。


 数分後、拙者はとうとうお手洗い宣言をし、情けなく戦場から一時撤退した。今こそ、経験豊富な仲間たちからのサポートが必要にござる。

 

『緊急事態。空気が壊滅状態。今後の策を所望』


 震える指で四天王間のメッセージグループに救援を求める。すると、数秒とかからず返信があった。さすがの友たちでござる。


『ホテルだな』

『ホテルね』


 真昼間から何を言ってるのでござろう、この赤とピンクは。めまいを起こしそうになった拙者だったが、一拍遅れて残りの仲間からメッセージが届く。


『肉食獣どもは気にすんな。絶叫マシンでも乗って、明るい雰囲気に切り替えろ』

「おおっ! さすがアス殿」


 ようやくまともな策を得た拙者は、急いで待ち人の元へ向かった。しかし元の広場に、黒髪美人の姿はない。

 お手洗いには行かないと言っていらしたはず。行き交う無数の人々を見、拙者の背筋がスッと冷たくなった。


(ッ、拙者の阿呆! 呪いにつきまとわれているお人を、こんな煩雑な場所で一人にするなど)


 平和な国とはいえ、その中でもこのパークは多くの人の思念が集まる場所。

 青き友いわく、呪いは人の願いや欲から力を得るという。まさかまた、危険な目に遭っているのでは――。


「ガルシさんっ!」

「おわぁっ!?」


 背後から大きな声で呼ばれ、拙者は間抜けな悲鳴を上げる。心臓をばくばくさせながら振り向くと、そこには探し人の姿があった。


「すみません。向こうの通路のワゴンで、期間限定の『アコギバター』味のチュロスが売っていて」


 掲げた袋から飛び出しているのは、長いスティック状のスイーツ。揚げたてらしく、湯気が立ち昇っている。


「すぐ売り切れちゃいそうだったので、並びに行ってました。はい、どうぞ」


 走って戻ってきたのか彼女の肩はわずかに上下していたが、ジーンズの膝には転んだあともない。スイーツを無事に運搬できたことが、何よりも彼女の無事を語っていた。拙者の胸に安堵が広がる。


「さっきのユノのこと、気にしないでくださいね。あの子海外で過ごすことも多いので、コミュニケーションがちょっと大胆で。私もよくイタズラにキスされました」

「そう……でしたか」


 きっと彼女も、この妙な空気を変えようと気を遣ってくださったのでござろう。拙者はぎこちなくスイーツを受け取り、バツの悪い思いでちらとその美しい顔を見る。


 そして、戦慄した。


「!?」


 細い首を包む、ベージュのマフラー。その柔らかな色を塗りつぶすかのように、真っ黒な煙のようなものがぐるぐると渦巻いていたのでござった。


「なっ……!」


 花月殿ご本人には視えていない。しかし黒い蛇を思わせるその煙はやがて、シンガーの大事な喉を締め上げるように収縮していく。身体を折り、彼女は黒髪を揺らして咳き込んだ。


「けほ、けほ! すみませ、マスク、つけま……けほっ!」

「カノン殿っ!」

「きゃ!?」


 気づけば拙者は、彼女をコートごと両腕の中に収めていた。密着したこちらの体に彼女のあたたかさと、黒い煙のおぞましい冷気が触れる。


「が、ガルシ、さ……っ?」

「そのまま。呼んでください、自分の名を」

「え……どうしたんですか、ガルシさん」


 視界の端で、黒い煙の一部がぱちんと弾けるのが見えた。やはり拙者の名や魔力には、呪いを遠ざける力がある。さらさらとした黒髪にまとわりつく呪いの煙を睨み、拙者は腕の中の人物にささやいた。


「お願いです。もう一度」

「ガルシ……さん」


 少し震えた声が響いた途端、黒い煙たちはさあっと冬空に溶けていった。拙者はしばらくそれらが消えた空を見張っていたが、不吉な冷気が完全に去ったのを確認してふうと息を落とす。


「……っ」

「?」


 そしてふと、拙者の胸の前でぷるぷると震えている黒い物体に気づく。少し乱れた黒髪から覗くのは、見覚えのある青のインナーカラー。


 拙者は投降する兵士のごとく、がばっと両手を宙に跳ね上げた。


「だわあああ!? かっ、花月殿、申し訳ござらん!! せ、いや自分、またとんでもない失礼を」

「……ずるいです」

「へっ」


 熱があるかと疑うほどに赤い額の下、少し潤んだ目がこちらを見上げる。


「ひとに名前を呼べって言っておいて……自分だけ、戻しちゃうんですか」

「な、何の話で……?」


 一連のあれこれでまったく頭が働かない拙者。美女はミルクティー色の布に深く埋もれながら、もごもごと答えた。 


「な、名前……。下の」

「!」


 その指摘でようやく拙者は、今日何度か彼女を下の名で呼んでいた事実に気づく。顔面が、サラマンダが張り付いたかと思うほどに熱い。


「か……のん、殿」

「……。もう一度」

「カノン殿」


 人間の真名に、特別な力などない。それなのに拙者は、その響きが持つ心地よい温かさに包まれていた。もう体は触れ合っていないというのに、彼女をとても近くに感じる。


「はいっ! ガルシさん」

「……ッ」


 さらにぱっと花が咲いたような笑顔を見せられ、拙者の心臓はもうオーバーキル状態に。


 なにやら上機嫌になったらしいカノン殿は、スイーツにかぶりつきながら次の目的地へと歩きはじめた。その足取りはどこか軽く、危うさはない。


(そちらこそ……ずるいでござるよ)



 その後は無事、たくさんのアトラクションに乗った。けれど拙者の最高心拍はその日、ニューレコードを記録することはなかったのでござった。



***

近況ノート(漫画風イラストつき、年末年始の更新お知らせなど):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093091046948749

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